今回は、テレビドラマにもなった『華麗なる一族』を書いてみようと思います。分厚いのが、上・中・下とあり、内容ともにとても重厚な作品となっています。もちろん、それだけの時間をかけて読んでも、損をしない、非常に面白い作品となっています。

 

テーマは作中で語られる

早速ですが、この作品のテーマは何か、というと、

「不気味で巨大な権力機構〈銀行〉を徹底的に取材した力作」

とありますが、その銀行の中身を私たちに伝えることではないと思います。それはジャーナリストの仕事であり、山崎豊子の仕事は小説家ですから、それを舞台にした物語で、もっと他の重大な、なにかを伝えようとしたはずです。ですが、そのテーマは案外あっさりと、劇中の人物によって語られています。

「企業発展のためには、肉親でも何でも、人間的なものを一切、犠牲にし、置き忘れてしまってしまっていいものでしょうか、人間性を置き忘れた企業は、いつか、何処かで必ず、躓く時が来るというのが、私の信条です」

物語の最期、企業的野心のために、自らの息子を自殺に追いやった、阪神銀行頭取の万表大介に対して、その過程で失脚させられた大同銀行の三雲頭取は、一矢報いる形でこう言います。まさしく、この台詞がこの小説のテーマではないでしょうか。

 

夏目漱石の「坊っちゃん」を想起させるテーマ

「文明とそれに溺れる人間」という構図は、ありふれたと言っては、失礼なのですが、小説や映画などで、再三取り上げられる定番のテーマです。それだけにこのテーマは、私たちにとって、非常に重大といえるでしょう。

 

この話も、銀行という、一つの文明に踊らされる「華麗なる一族」の悲哀を描いたドラマです。その中でも、最期まで人間らしさを維持し、自分に正直に生きた、万表鉄平は自殺と言う結末に至りました。つまり、敗北してしまったわけです。

 

ここで唐突ですが、私は、夏目漱石の『坊っちゃん』を思い出しました。岩波の文庫のあらすじにこのようなことが書いてあります。
「無鉄砲でやたら喧嘩早い坊ちゃんが赤シャツ・狸の一党を相手にくり展げる痛快な物語は何度読んでも胸がすく。が、痛快だとばかりも言っていられない。坊っちゃんは、要するに敗退するのである
華麗なる一族の場合の「坊っちゃん」は、鉄平です。このように、舞台や、時代や、文体や、ジャンルが大きく違えど、同じテーマに沿って、リンクしてくる、これがよく言う、普遍性というものではないかと、私は考えています。そして、優れた小説には必ずこの普遍性が備わっているのです。

 

人は文明に対して、どれだけ抗することが出来るのか。それはいつの時代も私たちに突きつけられた一貫した重大なテーマです。この物語に勝利者はいません。企業発展のためには、肉親でも何でも、人間的なものを一切、犠牲にし、置き忘れた父、万俵大介も最後には敗退しました。

それは文明社会に於ける、私たち人間性の敗北の象徴と言ってもいいかもしれません。