芥川龍之介の『藪の中』を、取り上げてみたいと思います。

私は、これを始めて知ったのは、黒澤明監督の映画『羅生門』を見てです。この映画の原作が『藪の中』だと、終わりのテロップで知りました。映画はとても、面白く、悪いことをするにも自らの正義を、隠れ蓑にする人間の弱さが描かれていたように思います。

人は、自分を正しいと思ってしか行動できないということです。例え、誰から見ても、悪いことであっても。私は、原作も当然そういった趣旨のものだと、思い込んでいました。しかし、実際、原作を読んでみると、その違いに驚かされました。

 

まず、想像以上に短いです。10ページにもみたなく、戯曲のように、ほとんど台詞しかありません。しかも、登場人物が、各々勝手に話しているだけです。小説を無視して、都合で、勝手に話しているという感じです。

 

この作品には、「各々が一つのことについて話をしている」ということしか、客観性、事実がありません。「話している」ということしか、読者は知れないわけです。普通、小説は必ず事実が客観的に語られますよね。推理小説なんかは、それが謎にされていて、最後に暴かれることによって、読者は感動を得ます。

 

「犯人が誰かは、自分で考えて」って感じで、謎のまま終わられても、まったく面白いと思うことは普通出来ません。ですが、この作品はそういった類の作品なんです。インターネットで調べたところ、この作品の犯人探しは、ずっと続いていて、今も、その答えは出ていないということでした。

 

この作品は、非常に面白いです。作者によって、小説内の事実の語られないものなんて、面白いはずがありません。しかし、おもしろい。なぜでしょうか。各々が勝手に事実をそれぞれの言い分で話す。客観的事実など存在しない。見出せない。これそのものが、人間の確固たる事実だからかもしれません。

だから、フィクションなのに、まるで本当のことのように犯人探しが何十年と行われるのではないでしょうか。とすると、この作品はフィクションではないかもしれないですね。

だって、ただ、「こう言っていた」というだけなら、何もありえないことではないのですから。この作品は小説という枠を超えています