今回始めて、小説の紹介以外で記事を書きます。更新するに当たって、地震の事に触れずにはいられません。私は関東在住なので、今回の被災は微々たるものでした。今回の地震の揺れや、津波のすさまじさはわざわざここで語るべきものではなありません。

 

このブログのテーマにおいて、語るべきは原子力発電所の事故です。人間が作らざるを得ず、作ってしまった、文明の利器は、今まさに、多くの文学やSF小説が描く姿そのものに、人間に大きな牙を向きました。

 

原子力などという技術は、とうに人間の範疇、自然の範疇を超えたものです。言ってみれば、それは正しく手塚治虫で言うところの『火の鳥』です。火の鳥が人間に永遠の命を与えてくれるように、原子力は私たちに巨大なエネルギーを与えてくれています。

私たちの欲求を満たすための巨大なエネルギーです。ですから、当然原子力は東京電力の持ち物などではなく(管理責任は大きいでしょうが)、国のものでもなく、人類の持ち物なのです。

しかし、その力はあまりに巨大で、もはや人間のコントロールできるような代物ではないということをまざまざと見せ付けてくれました。人間に与えてくれたものと、その代償はあまりにも大きいと言えます。

 

なら、原子力など無くしてしまえという意見もあるでしょうが、きっとそれは難しいはずです。現在の経済活動を世界と戦いながら、さらに進歩させるためには無くすことなど出来るはずもありません。

人は、意図的に退化の道を選ぶことは出来ないはずです。代わりのものがあるとすれば、それはもっと巨大なエネルギーを持ったもっと危険な物のはずです。これが、文明です。火の鳥に描かれた姿そのものです。それでも、進むしかないのです。

「どんどん文明を進歩させて、結局は自分で自分の首をしめてしまうのに」

未来編の最後、火の鳥はこうつぶやいたのです