アメリカによってビン・ラディンが殺害されましたが、それがいいか悪いかは、ここで考えるようなことではないと思います。しかし、アメリカがよく使うその「正義」というものがなんなのか、それは非常に重大で、このブログのテーマに即しているといえます。

そして、そんな「正義」について、非常に深く考えさせられる作品が手塚治虫『アドルフに告ぐ』です。

「正義ってものの正体を少しばかり考えてくれりゃいいと思いましてね・・・」

5巻の最後のエピローグにおいて、作品の中で狂言回しとなっていた峠草平はこうつぶやきます。 この作品は、アドルフヒットラー、他二人のアドルフが『正義』にとらわれ、破滅する様を描いています。シェイクスピアのハムレットは争いの悲劇だと前回書きましたが、この作品においてハムレットの影響を随所に感じます。

 

※以下ネタばれあります。

親友の父親を殺害せざるをえなくなったり、そして最終的には正義のために、親友同士で殺し合います。人間の避けられない争いの姿がそこに描かれています。

 

ビンラディンが悪いのでしょうか? アメリカが悪いのでしょうか?

きっとその答えはこの作品の中にあります。

 

この作品はきっと、正義とは、ただの都合のすり替えだけで、その背後にあるのは単なる力けであると教えてくれます。人の本能はそうするように仕向けられています。力で相手をねじ伏せれば、大きな利益を得られるぞと。

その罰の悪さを自分にも相手にもごまかすために、正義が存在していると私はそう思わざるを得ません。ビンラディンはアメリカに勝てなかったから殺された。。正しく見ようとすれば、この乾いた事実しかそこには存在しないのです。