韓国の朴大統領が「日本は正しい歴史認識を持つべきだ」と日米首脳会談で述べたと言うニュースがありました。

こちらもある文学作品を元に考えると分かりやすいと思って書いてみました。それは芥川龍之介の『藪の中』です。前に取り上げた中でこの作品には客観的事実が無く、それが現実世界と限りなく近いと書きましたが、「歴史認識」なんてものもまさしくこれなんじゃないでしょうか。

 

朴大統領の言う「正しい」とはなんでしょうか。おそらく「客観的事実」と言うことを表しているのだとは思いますが、『藪の中』と同じく、その件に関して今、何を語るにしても利害を持たない第三者はいないのですから、それはそもそも存在しません。

ですから、「正しい歴史認識」など始めから存在しない、藪の中ということになります。

 

物理学の世界にも、第三者的、客観的な視点なんてものは存在しません。時間や空間でさえ、主観的な物なのですから、「歴史認識」に正しいなんてあるはずがないのです。最初から有もしない物を主張しているのですから、どこかおかしいのです。

 

韓国はこうだと主張します。そして、日本人はこうだと主張する。ただあるのはその事実だけです。それはまさしく、小説『藪の中』です。しかし、変なのは、日本政府はなぜかずっと韓国の主張の通りに受け入れ、ずっと謝罪をしてきたと言うことです。

歴史をそれなりに研究して「韓国の言うとおりではない」と言う事実を主張する日本人がいるにも関わらず、藪の中であるにも関わらず、です。これはやはりおかしなことだと考えるほうが普通なんではないでしょうか。

 

それは何らかの理由により、自らの主張を唱える意志、力を持てなかったと言うことになるのでしょう。