新年あけて初の投稿になります。このブログは非常に細々と好き勝手に書かせてもらっているため、繰り返し来られている方が1人でもいるのかどうか定かではないのですが、もしいっらっしゃいましたら、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。また、初めて来られた方も、もしよろしければ本年よろしくお願いします。

 

さて、新年早々当ブログの趣旨から見逃せないニュースが入ってきましたので、取り上げてみたいと思いました。それは皆さんご存知かと思いますが、東京都知事選に元首相の細川さんが小泉元首相と組んで、「脱原発」を公約に掲げて立候補するとのことです。

私は東京都民ではありませんし、選挙のことは置いておきますが、この「脱原発」というのはこのブログにとってはとても大きな重いテーマです。

「脱原発」に関しましては、あの大震災発生の間もないころから、記事を書いておりまして、
それからも何度か取り上げておりますが、一貫して「それは現実的に難しいのではないか」と考えてきました。

その考えは今も変わってはいませんが、とは言え私も原発がなくせるのならその方がいいと思っています。しかし、これら「脱原発」の主張の中には賛同しかねるものが非常に多くあります。

 

今回の小泉さんの主張もニュースを鵜呑みにするならば、

「原発をやめても偉い科学者が何とかしてくれる。今脱原発を宣言すれば民意がついてくる」

というようなものだったと思います。

 

私は原発事故は文明がその巨大な利益の代償として私たちに跳ね返ってきた物だと思っています。小泉さんの主張は「この文明はだめだったけど、私たちは何もしなくても、結局他の文明がなんとかしてくれるよ」と言っているようなもので、この考えはとても危険だと思います。

それは多くのSF小説たちが重大なテーマとして語るところです。

 

ノーリスクハイリターンなものなどない、人間の欲求を無限に叶えてくれる火の鳥などいない、夢のエネルギーなどない。そんな当たり前のことを忘れさせてしまうような彼の発言はとても浅はかで、このくらいで人々は騙せるぞと言われているようで私には不快に感じられました。

私たちは何もしなくてもというところがミソで、だから民意がついてくるのでしょう。

「これは大変なことで皆さんにも痛みを伴うがそれでもやるべきだ!」 と言ったのなら少しは彼を信用したでしょうね。

 

では、「夢のエネルギーなどない」という当たり前の視点になって考えて、「脱原発」を果たすためにはどうすればいいのでしょうか。そのために私たちは多くを節約しなければならないでしょう。巨大なエネルギーが望めないのであれば、そうするのが当然です。

巨大なエネルギーを浪費するのではなく、節約し、派手ではなく質素に生きる。数百年前の生活にもどる。これはとても現実的ではないでしょうか?

私は本気で脱原発を果たそうとするのならそのくらいのつもりで考えなければならないのではないかと思っています。むしろ「ほかの技術が何とかしてくれる」なんて「簡単に誰でも大儲けできる」程度の話で、そんな旨い話ある訳ないと普通に思うのです。

 

もしかしたら、今も原発稼働なしでちゃんと世の中動いているのですから、そこまでしなくても物理的には脱原発も可能なのかもしれません。しかし、やはりそれもこれ以上、エネルギー消費が増えないという前提であり、結局、結果国力が衰えては中国に攻め込まれてしまうかもしれません。

 

色々考えると、「脱原発」が本当にいいのか簡単にはわからないのです。元タレントの山本太郎議員がTVで既得権益がいるから脱原発できない、というようなことを言っていましたが、この問題はそんな単純な話ではありません。根本原因は私たち人間の文明への傾倒の行き過ぎなのです。

 

色々勝手を書かせていただきましたが、多くのすばらしい小説を読めば、

「新しい技術が何とかしてくれるはずだ」

などという考えが危険で愚かな物だということだけはわかることが出来るのではないでしょうか。

そもそもその考えの結果が原発であり、夢のエネルギーだったわけですから、それがだめだと分かったのに、また同じ考えをもちだしたって、どうにもなりません。こんなおかしな話はないですよね。