国民的小説のテーマはズバリ、「日本人のこころ」

前回、日本人に二番目に読まれていると言われている『人間失格』 を取り上げさせてもらいましたが、今回は一番読まれていると言われている夏目漱石の『こころ』です。

ではその国民的文学の『こころ』のテーマとはいったい何でしょうか? それは、ずばり「日本人のこころ」ではないかと考えています。

 

『こころ』の魅力の一つは「先生」の名台詞

かつて親友を死に追いやったという過去を背負い、罪の意識に苛まれつつまるで生命を引きずるようにして生きる「先生」。

~岩波文庫のあらすじより~

この先生のところを訪れた「私」が先生の語りを聞くというスタイルで物語は進んでいきます。まず、この先生の名台詞が私たちの胸に深く響きます。

「しかし・・・しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」

「恋に上る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いてきたのです」

「自由と独立と己とに充ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」

-青空文庫『こころ』-

こんな名台詞を数々、私たちに伝えてくれる先生ですが、親友を裏切って死へ追いやったという罪の意識からやがて自らも死を選びます。

 

『人間失格』との比較から見る

前回ごちゃごちゃと書いてしまいましたが、『人間失格』は乱暴なほど簡単に一言でいうと、

いいやつすぎて自分を「人間失格」としてしまった、もしくは周りによって、されてしまった人の話です。

 

そして、この『こころ』の先生は親友を裏切って、その共通の恋の相手である女性を自分の奥さんにしてしまい、その結果親友は自殺してしまいます。

先生もその罪を苛み死を決意します。確かに先生は親友を裏切りました。しかし、先生は本当に死ななければならないほどそんなに悪いことをしたのでしょうか?

 

この世を生き抜くことは戦いを勝ち抜くことであり、それは私たちすべての生命に課せられた宿命です。ましてや、恋愛は種の存続をかけたもっとも熾烈な争いです。第三者的に見れば、結果、親友は死んでしまいましたが、先生は犯罪を犯したわけでもないですし、親友は先生との争いに敗れただけで、それはとても自然なことで、決して悪いこととは言えないでしょう。

 

「先生」の自殺の理由は?

では、なぜ先生は死を選んだのか。その答えは私たちの”こころ”の中に見つかるのではないでしょうか。

ネットで見ると、先生の死の理由を探す問いがたくさんあります。私はその答えは「わからない」が正解ではないかと思っています。その答えは、夏目漱石はおろか、当の本人の「先生」にさえもわからないのではないか、そんな気がします。

「こころ」へのアプローチは頭でわかる、ではなく、共感するなのです。読者はみな、その理由はわからないが、先生に共感している。そんな先生が大好きなのです。日本人に一番、好かれ共感されているからこそ、日本で一番読まれている小説なのです。

 

私たち日本人のこころの中には、自分だけが勝ってよければそれでよいという自然法則ではむしろ当たり前のことを否定する、気高い気持ちが存在しているのではないでしょうか。だからこそ、先生の「こころ」に最も共感し、最も読み親しんでいるのではないでしょうか。

 

日本人に最も親しまれる2作品の重大な共通点とは!

そういう意味で『人間失格』と『こころ』には共通点があるように思います。それを端的に表現すると「日本人の美意識」「日本人のこころ」と言ったことになります。そして、それを悪く言うとなると、”卑屈”という表現になると言うことです。

そう、『人間失格』と『こころ』の共通点とは、卑屈だったのです。ここで、重要なのはそれがいいか悪かではありません。卑屈な人を好む精神が日本人にはあると言うことなのです。それが、この二大小説が日本人に一番親しまれているということが指し示す重大な事実なのです。いい意味での日本人の「奥ゆかしさ」と「卑屈さ」は表裏一体の≒のようなものなのかもしれませんね。

なるほど、ただいたずらにではなく、最も読まれているということにはちゃんとした理由があるのだなあとこの二作品を読み、強く納得するところとなりました。