現代ビジネスマンを揶揄するお話

ちょっと趣向を変えて、ネット上でよく見る「ビジネスマンと釣り人のお話」を考えてみたいと思いました。こちらはブラックジョーク、風刺、のようなお話ですが、ネットで検索すれば結構出てきます。

現代社会をせわしく生きるビジネスマンと自然の中でゆっくりと生きる釣り人を対比し、その二人の行きつく先が同じ地点であるという結末で、その行動はあまりにも無駄であるという風に現代のビジネスマンを揶揄しています。

 

確かにこれは一つの真実の部分ではあるなと私も思いました。しかし、残念ながら重大なものが抜け落ちている気がします。真実の核を描いてないような気がするのです。

 

ビジネスマンの”言い分”を無視

なぜなら、こちらのお話ではビズネスマンが否定的に描かれているわけですが、彼の言い分がまったく無視されています。そういう意味でかなり一方的です。

「それが出来れば苦労はないよ・・・」

とビジネスマンの彼は言うでしょう。

 

なぜ、現代ビジネスマンがそういった行動に駆り立てられているのかという動機の部分がまったく描かれていません。これは重大な要素で、ずばり「欲望」です。

欲望があるために我々はそういった「無駄な」行動から抜け出ることが出来ないのだと思います。欲望をなくすことなんてそんな簡単にできませんし、それが本当によいのかは非常に難しいテーマです。

 

現代の文明社会は欲望を増幅し、増長し、またそれをかなえることのできる物になっています。それをと言ったりしますね。そして、それで成り立たせているんですが、そういう合理的仕組みに振り回されることを、どこかでおかしいと我々も気づいています。

 

風刺はいつも一方的?

そんな事情を鑑みず、一方的に現代人を否定する「ビジネスマンと釣り人のお話」に文学的価値はないといっていいでしょう。風刺と呼ばれれる物は、このように相手の言い分に耳を傾けず、一方的な表現にとどまる傾向がありますので、要注意です。物事の片面しか表現していないんですね。それは周囲の価値を下げて、自分の価値を上げようとする、作者の単なる自己顕示である可能性が非常に高い物と言えるのではないでしょうか。

まあ、元々そんな大げさな話ではないかもしれませんが(笑)。