「不気味の谷現象」とは?

さて、少し前にアンドロイド「エリカ」について、そのアンドロイドが目指す「人間性」について書いて見ましたが、もう少し掘り下げてみたいと思いました。

タイトルにもしました「不気味の谷現象」というのをご存知でしょうか。

 

「ロボットや他の非人間的対象に対する人間的反応に関する概念である」

ロボット工学者の東京工業大学名誉教授が1970年に提唱した。森は、人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。

人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。 

ーウィキペディアー

えらい先生に、名もなき私がたてつくようで申し訳ないのですが(笑)、そんな研究者に都合のよいようなことにはきっとならないでしょう。不気味の谷は単に彼らの願望ではないでしょうか? その理由をこれから書いてみたいと思います。

 

前半の「好感度が下がるというところは当たり前

ネットを見ていますと、「ある時点で突然強い嫌悪感に変わる」という部分を特筆すべきことのように書いている記事がたくさんありますが、これは当たり前のようなどうでもいい話です。中途半端なアンドロイドは”人間に似ている何かわからない物”なのですから、怖くて当然なのです。

だって、何されるかわからないじゃないですか。得体の知れない人だって、何されるか分からないから怖いでしょう? 少し大きくみれば、これも一緒のことです。幽霊やエイリアンが怖いのも同じ理由です。これは防衛本能として当然のことです。

 

その前の、

「ロボットがその外観や動作において、より人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていく」

という部分も意味がよく分かりませんが、まあいいでしょう・・。それよりもずっと注目すべきな個所は赤字にした

人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。

という部分です。これが意味することとは、

 

「ロボット研究が極まり、より人間らしくなればそれは人間に愛される」

 

というロボットの工学者の主張です。

 

本当に注目すべきは「最終的には強い好感に転じる」という部分

ここに彼らの願望が表されているのです。これは確かに彼らにとって最良のストーリーと言えるでしょう。

 

重要なポイントは、そんなことが本当にあるのか?ってことです。これを解く鍵は「人間らしさ」というものの解明だと思います。人間らしさとはなんでしょうか?  前回も書きましたが、世界最高の作家ドストエフスキーの『地下室の手記』の示唆通り、それは「非合理性」のことだと考えられるのです。

 

そもそもアンドロイドは合理的な物の塊なのですから、非合理性を持たないのです。

合理的でしかない彼らに人が愛情を抱くことはないと思いますが、どうでしょうか。初めは物珍しさで近づくかもしれませんし、アニメキャラクターに恋をする人もいるのですから、全くないとは言えないかもしれませんが、それは異常なことという認識に疑いはないでしょう。

 

そもそも皆さんの好きな人は合理的な人でしょうか? 好きな人の前で示すあなたの言動は合理的でしょうか? また、嫌いな人に接する態度は合理的でしょうか?

 

そんな私たちに彼らは「それはおかしい、合理的でない」と指摘するでしょう。そんなアンドロイド達を好きになりますか? そんな野暮なことはせずに、何でも人の言うことを聞く、つまりはうまく人に合わせられるアンドロイドも作ることができるでしょう。

しかし、何でも言うことを聞く人は残念ながら、大事にされません。なんでも言うことを聞く恋人は大事にされません。それはもはや恋人ではなく、奴隷になってしまう。それが人間の性です。

 

”人間関係”はお互いの尊重の中でしか生まれない

人間関係はお互いの尊重の中で成立するということが言えると思います。なぜ尊重するのか、それは相手も同じ意志を持っているからです。自分の意志とはつまり相手の意志の言いなりにならないことを意味します。

 

ですから、アンドロイドが人間とまともな関係を築こうというのでしたら、彼らも自分たちの意志を主張しなければならないのですが、彼らが”本当の”意志を持った暁には果たして彼らの合理性は「人間の必要性」を導き出すでしょうか? 人間は必要なし、として排除の選択をする?

そんな風に考えてみると、やはりホーキング博士が警鐘を鳴らす、

ホーキング博士「人工知能の進化は人類の終焉を意味する」

のようなことは目の前に迫った非常に現実的なことと考えられます。

 

まとめ 結局、不気味の谷現象とは?

以上のことから、「不気味の谷現象」とは、

自分たちの作るアンドロイドが、「いったんは嫌われるものの、技術の進歩により最終的には人間に愛される」という彼らにとって都合のいい解釈で作られたお話

 

ということが言えるでしょう。提唱者の森博士は「これは科学ではない」と言っていたようなので、間違いないでしょう。

我々はそんなうまい話には簡単には騙されないという感覚を持つことも重要なことなのではないかと思いますが、いかがでしょうか?