文学的未来表現

~”ホント”を望むブログ~ ver.10.2

カテゴリー: 社会 Page 2 of 6

相模原障害者殺傷事件はテロ的犯行なのか

相模原の障害者施設において、元職員の容疑者によって、19人が殺害され、26人が重軽症を負わされるという他に類を見ないほどの凄惨な事件が起こりました。容疑者は、

「障害者はこの世に必要ないのでいなくなればいい」

などと非常に身勝手な理屈を犯行の動機に挙げており、無差別に大量な人を殺害するという点から、現在、世界中の脅威となっているテロ行為ではないかとの見方も多いようです。テロとは、

政治的目的(注)ここでいう政治的目的とは、政権の奪取や政権の攪乱・破壊、政治的・外交的優位の確立、報復、活動資金の獲得、自己宣伝などを達成するために、暗殺・暴行・破壊活動などの手段を行使すること

Wikipediaによるとこのような定義となっております。今回はこの観点を探ってみたと思いました。順を追って考えてみると、そこには「テロ」とは明らかに違う側面が見えて来るのではないかと考えております。

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スポーツと視聴率の関係は企業と株価の関係 ~サッカー日本代表はしばらく低迷?~

リオオリンピックがとうとう開幕しましたね。色々と問題が取りざたされてましたが、いざ開幕となるとやはり盛り上がって来ているのでしょうか。私は個人的にサッカーが好きだったりするのですが、日本は初戦でナイジェリアに負けてしまいましたね。

一時はテレビのドル箱と言われ高い視聴率を誇ったサッカー日本代表の試合も最近は低迷が目立つようになって来ているようです。ネットを見ていると、その理由として、監督にあまり人気がないとか、視聴者の目が肥えて重要な試合以外興味を示さなくなったとか、単に飽きたとか言われているようです。これらも理由としてもちろんあると思うのですが、私はそれにはもっと深い理由が隠れているのではないかと考えました。

それはスポーツ、特に国を代表して戦うような試合に於いては、テレビ視聴率はマーケットにおける「株価」のような性質があるのではないか、と思えるからです。株価が指し示すのは、その未来の資質です。この場合視聴者は投資家であり、その投資資材はお金ではなく、時間です。その投資対象にサッカーは的確です。世界でもっとも参加している国が多いスポーツなのですから。

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自動運転技術の先の示すもの ~20年後の世界の覇者はグーグル先生?~

最近、人工知能関連のニュースを見る機会が多くなりましたね。当ブログでは未知なる人工知能に対する捉え方を考察し、なかなか本質的なところをお伝え出来たつもりになっているのですが、それに同意いただけるかはともかくとして、少なくとも科学者の言っていることは話半分に聞いた方がいいです。専門家の言っていることが一番正しいはず? いえいえ、だってそれを作っている彼らがその悪いところを大っぴらに語るはずがないではありませんか。著名な科学者だろうとそれは人の常です。

彼らはハイリスクハイリターンのハイリスクを本当には語りたがりません。だから、私たちは彼らの言葉など鵜呑みにせず、自分たちで考える必要があるのです。それともハイリスクはないと思っている方がいたとしたら、それは科学に恋をしすぎです。ハイリスクハイリターンは誰もが知っている眼前たる事実です。

「人工知能が最適な選択をしてくれる時代になる」そんなことをよく聞きますが、それは逆に自分で考えることの大切さが今まで以上に重要になることを意味していると言えるでしょう。

私は私の最適を人工知能などに決められたくはないのです。私にとって最適だったものは、人工知能に決められた時点で最適ではなくなるのです。それが私の価値観だからです。

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戦争もテロも犯罪も、根本原因は男の悲しい性なのか

最近マーケット記事ばかり書いていますが、今更ですが、当ブログは投資予想ブログではありません(笑)。副題にありますが、世の中の本当を見極めようと言う、なんとも小生意気な趣旨のブログなのです。その一部としてマーケット情報を扱っていると言うスタンスです。単に2つのブログに分けてしまうと、閑古鳥が鳴いてしまうからと言う理由だったりもします(笑)。

マーケットは今年初めてと言っていいくらいの好調です。今後は、全てが政策次第となるのでしょう。好調だと逆に記事は書きづらいものですね。

対して世の中は荒れていますね。世界的にテロや物騒な事件が多く、これには社会的な要因がもちろん多く関係していると思うのですが、しかし、そこにはもっと根源的な理由も潜んでいそうです。今回はそんなお話を書いてみたいと思いました。

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ダッカのテロ事件はISより国内事情に起因か?

バングラディッシュのダッカでレストランが武装勢力に襲撃され日本人を含む多くの方が犠牲になるという痛ましい事件が起きました。ISが犯行声明を出しており、その関係が取りざたされておりますが、私はバングラディッシュ当局の発表通り国内勢力の仕業と見ていいのかと考えております。これはバングラディッシュ国内の問題がテロと言う形で外国人を襲ったと考えた方が自然ではないでしょうか。

そして、「日本人を狙った」という見解も一部にありましたが、これも少し違っているのではないかと感じております。

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ピカソの絵のすごさを論理的に解説する、という難題に挑む

さて、突然ですが、皆さんは「パブロ・ピカソ」の絵は理解できますか? 正直なところ、「意味不明」、「なんであんな訳の分からない絵がそんなに評価されているんだ?」そう思っている方も多いんじゃないでしょうか。私も、ずっとそのように思ってきた一人です。しかし、最近、そのすごさについて、ある程度は”わかる”ようになった気がしています。

そして、それを論理的に解説するという暴挙とも言える難題に挑戦してみました。絵の価値を論理的に解説するなんて馬鹿げている、そう思われる方もいるかもしれません。しかし、騙されたと思って読んでみてください。ピカソの絵のすごさを感性で見抜ける特殊な才能をお持ち以外の方のお役に立つことが出来るかもしれません。

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岡本太郎作、『太陽の塔』の”無意味さ”に驚愕する

とにかく”べらぼうな”作品

昨日、TV東京の『美の巨人たち』を見たのですが、岡本太郎さんの『太陽の塔』が特集されていました。私は元々、岡本さんの特別なファンと言う訳ではないのですが、今回、改めてこちらの作品を見させて、その「無意味さ」に驚愕したため、記事を書いてみたいと思いました。

「とにかくべらぼうな物をつくってやる」

大阪万博のシンボルとして依頼を受けた岡本さんはそう息巻いていたそうですが、この言葉には全く嘘はなく、その”べらぼうさ”加減には舌を巻くばかりです。

ちなみに、「べらぼう」とは、「程度が尋常でないこと」と言う意味だそうですが、この他に単に「アホ」や「馬鹿」と言う意味もあるようです。私は、一見、難解で深遠な意味を含んでいそうな『太陽の塔』は、実はべらぼうの二つの目の意味で捕らえた方が理解できるのではないかと思っています。

つまりは、『太陽の塔』とは、「とにかくアホな物」と言うことです。そして、その舞台が「大阪万博」であるということが、重大な意味を持つのではないか、と。

当ブログ的に言うのならば、それは「非合理的な物」ということになるのですが。

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厚顔無恥を承知で「北海道置き去り」の本当を推理してみる

世界中を巻き込んで、一大ニュースとなってしまった「北海道置き去り」の件ですが、無事発見で解決となり、めでたし、めでたし、で終わるかと思いきや、いまだに色々な意見、憶測が飛び交っています。と言うのも、「状況に違和感、合点がいかない」と言う方が非常に多いようで、となると、色々推理してみたくなってしまうのが、人の性と言うものです。当ブログでも下世話を承知で、その本当を推論してみたいと思いました。そんなの聞きたくない、と言う方は、ここで閉じてもらえれると幸いです。

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アイドルメッタ刺し事件の異常性が示すもの

アイドルの富田真由さんが、ファンの男から、20数か所をメッタ刺しにされ、意識不明の重体に陥ると言う、恐ろしい事件が起きました。世の中にはいろいろな異常な事件が起こりますが、今回のこの事件の容疑者が示す異常性は相当なものです。無抵抗の女性を公衆の面前で20数か所メッタ刺し、常軌を逸しています。事実、その異様さに、ぞっとするともに、首を傾ける方もかなり多いのではないかと思われます。

あまりにイカれているという記者の方の見解もありましたが、私もそれはそのように思いました。ですので、なにが、どう異常なのか、それを具体的に細かく考えてみることで何かが見えると思ったのです。

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結局、消費増税は必要なの? を改めて考えてみる

2017年の4月に消費税を10パーセントに引き上げるのか、延期するのか、その決断を安倍首相が下す時期が近づいてきているようです。元々、「特別なことがなければ、無条件でひきあげる」としていたので、延期の話が出て来る方がおかしいのですが、事実出てきているということは、政府がその可能性を探っていると考えていいのでしょう。

一時、延期が濃厚という目論見が強くなった時期もありましたが、先日のG7で麻生財務相がアメリカに増税は予定通り行うと伝えたと報じられ、今度は、予定通り増税実施ではないかとも言われています。これを素直に見る限り、安倍首相は実際、相当判断に迷っているのかもしれません。

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