テレビのワイドショーやネットニュースが不倫の話題一色になっていますね。なんで急にそんなゴシップを? うちは元々そんな話題を取り上げるブログだったのですが、全く読まれないので、止めていただけです(笑)。 この話題はもういいよ! なぜ彼らは自分にまったく関係の無いことで、こんなに怒れるのか理解できないし。ええ、全くその通りです。 

でも、その大前提、実は大きく間違っているかもしれませんよ。逆にこうは考えられないでしょうか。本当はとっても関係あることだからこそ、彼らはこんなに怒っているのではないか。

もしかすると、今回の一連の出来事には、私たちの生存競争における重大な何かが隠されているかもしれません。

クリリンが殺されたくらいの大激怒

皆さんご存知の東出昌大さんと唐田えりかさんの不倫スキャンダルはまさに一大社会事件と化していて、様々な意見がとりざたされています。

「まったくけしからん!」と激怒する人が多い一方、その激怒する人に激怒する人もいたり、はたまた「しょうがない、人間の性なんだから」と諭すように話す人もいます。

私、個人に関して言えば、怒りと言う感情はさっぱり湧いてきません。はっきり言って、怒っている人の心情は全く理解できないのです。しかし、一部の人のように、批判する人を批判したいとは思いません。むしろ、理解できないからこそ知りたいのです。なぜ、彼らは怒っているのか、その本当の理由を。それにはとても興味があります。

「被害者の杏さんに同情しているんだ」いや「SNSが広まって、みんなが批評家になっただけ、匿名で正義ぶれることは気持ちいいからだ」、一般的に言われているのは、こんなところでしょうか。どれも間違っているとは思いませんが、どうもピンときません。

特に批評家を批評する人たちの見解には、同調する気になれません。例えば、立川志らく師匠はこう言っています。

なぜかというと、そんな理由では説明できない現象が、実際に起きているからです。

そして同日夜放送の東出主演ドラマ『ケイジとケンジ』。

視聴者が大量に脱落を始めた。男女年層別の個人視聴率で見ると、若い男性の反応は鈍い。M1(男20~34歳)は微減にとどまった。さらにMC(男4~12歳)やMT(男13~19)に至っては、逆に個人視聴率が上昇していた。問題の意味合いに対する理解度が異なるからかも知れない。

一方、若年層であっても女性は厳しい。

FTは半減以下。F1も3割強が2話を見なくなっていた。さらにF2(女35~49歳)・F3-(女50~64歳)・F3+(女65歳以上)のいずれの層も3割前後の視聴者が減っていた。

中高年では男性も同様だった。

M2で45%減、M3-は25%減、M3+も44%減と、どの層も大きく率を落としていた。不倫問題に対する世間の目が如何に厳しいかわかる。

東出ドラマ 視聴者3割脱落の現実~またも再燃 ドラマと出演者の問題~  Yahooニュース

実際、視聴率3割減の事実は尋常ではありません。一話目がよっぽどつまらなかったと言う可能性はあるものの、それにしたってこの急落ぶりはすごい・・。この怒りはやはりただごとではありません。

「行動は雄弁なり」シェイクスピアはこう言いました。

ですから、ますます私は知りたくなったのです。なぜ彼らはそこまで怒っているのだろう、と。

「実際に自分に被害がないのに、怒るのはおかしい」それは一見正論に見えます。しかし、逆にこう言えませんか?

「実害がないのに、そんなに怒るはずがない」

だから、私はこう思ったのです。実害があるから怒っているのではないか、と。

不倫は犯罪?

不倫は犯罪か?と言ったら、もちろんそうではありませんね。しかし中には、犯罪にした方がいいと思っている人すらいるかもしれません。では、誰もが犯罪と思っていることと比べてみましょう。人間にとって一番の罪は何かと聞いたら、ほぼ全員がこう答えるでしょう。それは殺人だと。次に来るのは、盗みでしょうか。

これらに特徴的なのは、恐らく全世界の99%の人類がそれは悪いことだと理解できることです。これが人間の道徳の根幹だと言ってもいいものではないでしょうか。

道徳性は上(神)から押し付けられたものでも、人間の理性から導かれた原理に由来するものでもなく、進化の過程で下(動物が営む社会生活の必然)から生じた。相手を思いやり、助け合い、ルールを守り、公平にやるのは、動物も人間も同じだ。

『道徳性の起源』 フランス・ドゥ・ヴァール

この観点から言うと、議論が生じてしまう時点で、不倫を犯罪にするのは難しいと言えるかもしれません。しかし、ヤーキーズ国立霊長類研究センターのリヴィング・リンクス・センター所長で霊長類の社会的知能研究の第一人者、 フランス・ドゥ・ヴァール氏のこの言葉に、私は疑問の答えを見つけたような気がしました。

それはこの部分です。

ルールを守り、公平にやるのは、動物も人間も同じだ。

それは道徳の根幹。 そして、彼らの怒りの理由は、更にここに絞られるのではないかと思ったのです。

「公平にやる」

そう、彼らの抗議の本当の意味はこれではないか、と思うのです。

つまり、「それは公平ではない!」

一夫一婦制は特異な制度

厳格な一夫一妻というのは、近代以降のヨーロッパで始まったきわめて特異な制度です。それが植民地化によって世界に広がり、一夫多妻は時代遅れで女性の権利を侵すものとして、フェミニストからはげしく攻撃されるようになりました。「愛」は至高の絆でつながる「ロマンティックラブ」でなければならないのです。

一夫多妻制はモテの男とすべての女性に有利で一夫一妻は「非モテ」に有利な制度 [橘玲の日々刻々]

実際、現代社会の一夫一婦制は長い人類の歴史の中で、ほんの短い間にある非常に特殊な制度だと橘玲さんは言います。であれば、今回の東出さんと唐田さんの不倫は、”特殊な事情”において悪いこととされただけであって、本来的には何の問題もないものである、とも言えます。

ところが最近になって、アメリカで奇妙な現象が目につくようになりました。

恋愛と縁のない若い男性は日本だと「非モテ」と呼ばれますが、アメリカだと「インセル(Incel)」です。これは「Involuntary celibate(非自発的禁欲)」のことで、宗教的な禁欲ではなく、「自分ではどうしようもない理由で(非自発的に)禁欲状態になっている」ことの自虐的な俗語としてネット世界に急速に広まりました。

(中略)

「自分たちは(チャラ男に群がる)女に抑圧されている」と考えるインセルはフェミニズムが大嫌いですが、不思議なのは、そんな彼らが一夫一妻の伝統的な性道徳の復活を強く訴えていることです。

(中略)

ここからわかるように、一夫一妻は非モテの男に有利で、一夫多妻はモテの男とすべての女性に有利な制度です。それにもかかわらず伝統的なフェミニズムは、一夫一妻を「女性の権利」と頑強に主張してきました。多くの(非モテの)男は、この「勘違い」によって救われてきたのです。

しかも、一夫多妻制を否定し、一夫一婦制を強く訴えることで、有利に導かれたのは非モテ男で、損をしたのは女性とモテ男だと橘さんは続けます。すべては非モテ男の陰謀だと言う訳です。

先程、私は不倫に対する怒りは「公平ではない!」と言うものではないか、と書きました。これはこの話と整合しています。橘玲さんの説が正しいならば、今回最も怒っているのは非モテ男、と言うことになります。 事実上、東出さんは一夫多妻制を実現していたわけですから。

しかし、どうもすっきりとしません。 だって、私がまったく怒っていないのですから(笑)。

私は男性なので、ぶっちゃけますと多分、これで怒っている男性と言うのは、ほとんどいないと思います。ドラマを見なくなった男性は冷めただけだと思います。なぜかというと浮気をしない男性は、まずいないからです。浮気をしていない男性のほとんどはしないのではなく、出来ない、つまりチャンスがないだけです。

違いがあるとすると、自分からチャンスを作りに行く人と行かない人がいるだけなのです。魅力的な女性が向こうからやってきた場合に拒む男はいません。まあ、知ってましたよね?

視聴率のことから見ても、より厳しいのは女性であって、その”制裁”の最終ターゲットは同性、つまり東出さんではなく、唐田さんの方になるでしょう。その理由は同じく橘さんが教えてくれる気がします。

恋愛は不公正な競争

宝くじのルールは(期待値が異常に低いことを脇に置いておけば)たしかに公正かもしれないが、ゲームに参加しない(宝くじを買わない)という選択が認められている。だが市場経済は、国民のほぼ全員が事実上、参加を強要されるゲームだ。

私が錦織圭選手とテニスをすれば、100回戦って100回とも錦織選手が勝つだろう。私はその結果を不公正だとは思わないが、もしもこの「絶対に勝てない」ゲームに強制的に参加させられるとしたら、そのようなルールをものすごく不公正だと感じるにちがいない。

ひとは不平等であっても公正なルールのゲームを好む  橘玲の日々刻刻

恋愛とは、まさにこれですよね。恋愛において、私たちは、生まれながらにしてほぼ、その資質を決定づけられています。後天的な努力で大きく向上できる見込みもほとんどありません。その中で、ほぼ全員が参加を強要されています。

であれば、これを不公正な競争だと感じる人たちがいても不思議ではありません。

「絶対に負ける戦いがそこにはある」・・私は東出さんとの絶対に勝てないゲームに強制参加させられているということです。しかも、その戦いは人生において最も重大な競争なのです。神様はなんと冷酷なのでしょう。

そして、女性はより過酷な運命を突き付けられています。男性はお金の力によって、その差を埋めるどころか、逆転さえ可能であるのですが(明らかに非モテに見える前澤友作氏がモテモテであることが、その証明になっています)、女性は社会的地位を得て、お金持ちになったところで、男性にモテることはありません。

男性の女性に対する選り好みは多様性が非常に低く、それは「若くて綺麗な女性」に大きく偏っているからです。

そんな明らかな不正競争の中では、「社会規範で特権階級の自由を縛ること」は、立派な対抗手段になるのです。

「独占禁止法違反で自由競争に制限をかける」

これが恋愛における一部の特権階級に対する唯一有効な戦略なのです。これが芸能人の不倫に対する怒りの本当の理由ではないでしょうか。私は今回の一件には、SNSの発展により正義ぶっている人が増えたという単純なことではなく、し烈な生存競争の発露が隠されているように思います。

橘さんの言うように、一夫多妻制が本当に女性に有利なのであれば、今回の件で女性が怒る理由は見当たりません。もしかしたら、女性全体で考えたら、それは実際有利なのかもしれません。しかし、個人個人にとって、それは不正を助長するだけのものなのでしょう。これはフェミニストの単なる勘違いではなさそうです。

かくして、実直な配偶子が卵子となり、搾取的な配偶子が精子となった次第である。

こうみてくると、雄というのはかなり値打ちの低いやからに思われてこよう。

(中略)

別の角度からこれを表現すると、種にとって雄はいっそう「消耗品的」な存在であり、雌はいっそう「貴重な」存在だということだ。

『利己的な遺伝子』 リチャード・ドーキンス

生物学的な物差しから見ても、恋愛の主導権を握るのは、女性です。男性は選んでもらう側なのです。これは恋愛の成就の決定権は女性側にある、ということを表します。ですから、社会規範で女性の意志を縛り、違反者に対して厳しい制裁を科すことは、私たちの生殖戦略上、非常に理にかなっているということが言えるのではないでしょうか。

千原せいじの不倫が世間の怒りを買わないのは、イメージのおかげではなく、世の多くの女性にとって、彼が全くどうでもいい男だからです。 対して東出昌大はカッコよすぎたのです。これが騒動の最大の原因、たったそれだけの現実なのです。それは恐るべき「不公平」。

東出相手に私に勝ち目はない・・うまいことやりやがって、くたばれ、てめえら! あ、すみません。 芸能人は恋愛における特権階級層、そんな彼らに対し、批判することすら許さないと言うのは、批判される側としての気持ちは分かるものの、あまりに無情だと言えるのではないでしょうか。

だって、それはそれは私たちにとって、とっても関係のある話なのですから。もちろん、やりすぎは禁物というのは、何事も同じではありますが・・。