元プロ野球選手の清原和博さんが逮捕!

「元プロ野球選手の清原和博さんが麻薬取締法違反で逮捕!」というニュースが世間をにぎわしておりますね。こちらが書こうと思っていた内容とリンクする部分があったので、取り上げてみたいと思いました。

清原さんが覚せい剤を使用した動機として、

「野球が無くなって、戦うものが無くなり、周りが期待する清原和博を保つことが難しかった」

NHKのニュースで、このように伝えられていました。もし、これが本当だとするならば、清原さんが覚せい剤を使用した理由はすでに無くなった、とは考えられないでしょうか。

期待に応え続けることの無理 期待とは要求のこと

私が今回記事にしようと思っていたのは、これなのですが、周りからの期待に応え続けるということは出来ないということです。期待というと言葉はいいのですが、結局、本当のところは、「自分に何かをもたらしてくれるだろう」という周囲の見え透いた欲望と考えることが出来ます。

それを与えれば、まさしく麻薬の様にもっと、もっと、と無制限に要求はエスカレートしていくものなのです。際現なくそれを与え続けることは物理的にも不可能です。そして、もらえなくなったとなると、その罰として、強烈なしっぺ返しを食らわせるのです。実に勝手です。

私は、そんな周りの自分勝手な期待と言うものは、さっさと裏切ることをお勧めしたいと思います。しっぺ返しを恐れてしまうと、結局嘘で繋ぐことになります。そして、嘘も限界に達し、それが露呈した結果、信頼は失墜することになるのです。清原さんはまさにこの形でしょう。

「あなたは熱に浮かされているのです。熱が冷めると厭になります」

「自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」

  夏目漱石作 『こころ』

 

ECBのドラギ総裁を先生としよう

期待を裏切るお手本と言っては言葉は悪いですが、いいお手本となったのが、最近では、ヨーロッパ中央銀行のマリオ・ドラギ総裁です。彼は、世界中の投資家の期待をコントロールするという極めて難しい仕事をしています。投資家に恋された彼は、いつも必要以上に期待を集め、それに応えてきたのですが・・。

昨年の12月、とうとう投資家の期待に応えきれずに、世界同時株安となり、昨今の暴落のきっかけを作ってしまったのです。しかし、彼は、決してめげません。次の3月の委員会で追加の手段を打つ可能性があると言明し、ピンチだったマーケットを救って見せました。

 

1月より、3月の会合でドラギが有利だと思うのは、マーケットの期待値が下がっているということです。マーケットだって、期待しすぎて悲しい目に合う、という同じ轍は踏まないように学習したことでしょう。こういったプロセスが、特にビジネスの場では非常に重要です。

そして、なにより、ヨーロッパ中央銀行総裁という過大なプレッシャーを受ける立場にあり、世界中の投資家から株価暴落という形で残酷な復讐を食らったドラギ総裁が、堂々と再びマーケットに相対している姿は、頼もしい「兄貴」として、お手本とするべきではないでしょうか。「周りの目なん気にするな!」という彼の教えでしょう。

 

策士は誰も予想(期待)しなくなった頃を見計らう!

人生の策士を目指すならば、誰も期待しなくなったところを見計らって、出し抜く形で何かを成し遂げるのが、一番効果的ではないでしょうか。そのためには、あいつはだめだと一度思われないといけません。マイナスの評価にまで突っ込むのは、まずいかもしれませんが、高まる期待を適度に冷ますということはとても重要な周囲との交渉術なんだと思います。

上がり続ける株はありません。適度な押し目を作った優良株は、長期的に健全に上昇するでしょう。一気に暴騰した株は暴落するしかありません。

 

遅れた清原さんの期待の裏切り

清原さんは、世間からの期待をずっと裏切ることが出来なかった結果、今回のような事態に陥ったと言えます。しかし、今回の逮捕でその期待は地に落ちました。

「非常に、残念だ」

「とても寂しい」

ファンからのそんな声が伝えられています。そして、報道は非常に重大な事件として、これを扱っています。しかし、特別ファンではない私から言わせると、決して大した事件ではありません。人を殺したりしたわけでもありませんし、何のことはないのです。これを一大事件とする周りの認識が、彼を追い込んだ原因そのものの一つなのです(NHKを信じるならば)。

 

もっと踏み込むと、その原因は本人の虚栄心

期待を裏切るという、優れた人間は必ず通らなければならないプロセス、清原さんがそれを出来なかった理由。それは、彼が世間からの残酷な復讐を恐れたためだと前述しましたが、その裏には、本人の強い”虚栄心”が存在していると思われます。

周りからの要求に応える対価として、彼も過大な評価と言う多大な利益を世間に求め続けていたのです。それを失うことの怖さが、彼をここまで追い込んだと言えるでしょう。まあ、結局は自分が敵と言うことですね。

 

彼は終わり、ではなく、成功への過程の中?

今回の逮捕劇により、「期待を裏切る」という、成功に必要なプロセスを遅ればせながら、やっと彼が踏むことが出来たと言えるのではないでしょうか。それは、彼の復活と言うよりも、まだ成功のための軌道の上をゆっくりと歩いている、とも取れるのですが、どうでしょうか。

今回の件で、傷ついたのはあくまで「ファンだけ」であって、彼にとっては新たなスタートラインに立つための、むしろいいことだったというのは、言いすぎでしょうか。

彼の復活にはその強い虚栄心のコントロールが鍵ということが言えるのではないでしょうか。