プロ将棋界のカリスマ、「羽生善治」さんが、とうとう人工知能と対戦するかも、と言う話が出ているそうです。当ブログでは、人工知能関連ニュースを取り上げ、その中でAIに関する捉え方と、その崇拝の危険性をお伝えしてきました。
私が、羽生善治さんが人工知能とは対戦しない方がいいと考える理由は2つあります。それはもし、羽生さんが敗北してしまったときに、「プロ将棋の価値の崩壊」を招く可能性があること、そして、「AIへの崇拝が進んでしまうこと」の2点です。もちろん、羽生さんが勝利すれば、この心配はしぼんで、むしろいい効果を得られるかもしれませんが、どちらにしろ、いずれ敗北を喫することは明白だと考えるからです。
目次
プロ将棋の絶対の価値観
では、壊されるかもしれないプロ将棋の唯一絶対の価値観とは何でしょうか。それは「勝利」ですよね。羽生さんがプロ将棋の世界でスーパースターとして君臨する理由は、圧倒的に強いからで、まあ、もちろん、人柄などもあると思いますが、とにかくその強さが絶対条件なわけです。
本来、将棋の価値は「勝ち」だけじゃなかった?
しかし、そもそも、将棋の価値とは「勝ち」しかなかったのでしょうか。これはそうとは言えない側面があるでしょう。将棋は、元々「遊び」として生まれてきたものだ、と言うことに異論を抱く方はいないと思いますが、人間が生きていくために将棋をしなければならなかったわけではないのですから、これは悪く言うと”無駄”、つまり遊びです。
であるならば、将棋の価値は勝ちだけではない、ということが言えるのではないでしょうか。遊びである限り、本気で勝利を目指す必要なんてないからです。遊びの本来の目的は、「勝ち」ではなく、その「楽しさ」にあると言えます。
では、なぜ、将棋の本来の目的の「楽しさ」よりも、プロ将棋に於いては、「勝ち」が絶対視されるのでしょうか。それはその名の通り、「プロフェッショナル」、つまり、お金を稼ぐことを目的としたからです。その結果、将棋の価値が、「勝利」に限定されたと考えられます。
最強棋士の敗北はプロ将棋の価値感を壊してしまう可能性
よって、人間界のカリスマ最強棋士が人工知能に敗北してしまうと、プロ将棋の価値は大きく棄損してしまう可能性がある、と言うことではないでしょうか。
事実、人工知能関連本の名著、『AIの衝撃』の中で、作者の小林雅一さんは、
「将棋ソフトがその進化の早さで人を圧倒するようになった時、プロ将棋の価値を壊してしまうかもしれない」
と言う懸念を表明されています。
ですが、もし、本当に羽生さんが敗北してしまったとしても、そうはならない可能性もあります。それはすべて私たちの価値観次第となるのです。私個人の感覚で言えば、どうとも思いません。AIは自分自身で人間には無理な膨大な対戦を繰り返し、強くなっていくそうですが、そんなのすでに反則技みたいなものです。羽生さんがそんな経験が出来るならば、AIに圧勝するでしょう。
少しおかしい例えかもしれませんが、ロボットと人間で格闘技するようなものです。それでロボットが勝ったからって「?」 ですよね。それと同じ感覚です。
この感覚に同調される方もいるでしょうし、そうではなく、最強ではなくなったプロ棋士に魅力を感じなくなる方が出ることも想像できます。すべては私たちの価値観次第です。
羽生さん勝利の可能性は?
もちろん、現時点では羽生さんが勝利する可能性もあるでしょう。しかし、人工知能の計算力はより正確に速くなっていくので、やがて、人は全く適わない、という時代がやってくることは想像に難くありません。私は目的(将棋の場合の勝利)に最短で到達しようとする「合理性」に於いて、人間はAIには適わなくなる、と考えています。多くの著名な科学者もそう語っています。
しかし、だからと言って、AIが人間を超えると言うことではないということを、そして、そう考えることは危険であることを、度々お伝えしてきました。なぜなら、人間の価値は合理性だけではないからです。「人間がロボットに合理性に於いて敗北した」、そこだけを切り取って、AIを人間を超えた存在と捉えることは、単にハイリスク・ハイリターンの道具、科学技術である人工知能へのリスクマネジメント意識を薄れさす最大の要因になります。
原発事故は、科学技術への我々のリスク意識の低下が大きな要因の一つではないでしょうか。
羽生さんはAIと対戦する必要はない
以上のことから、羽生さんのAIへの敗北は、「プロ将棋」の価値の崩壊と「AIへの崇拝の加速」を引き起こすという2つの重大なリスクを孕んでいると考えられます。特に後者はより深刻ではないでしょうか。人間である羽生さんは今は勝てても、機械にはいずれまったく適わなくなると想像されるのですから、敢えて戦うことに意味はないでしょう。
それよりも、「戦わないことによって、プロ将棋の価値を守る」と言う選択の提案を、私のような者から掲げることは、いささか出過ぎたまねだ、と言うことになりますでしょうか。
その昔、写真機という科学技術が、「いかに見たままに描くか」という、絵画の写実主義の価値観を脅かし、それに対抗するために芸術家たちは価値の転換を選び、それが、「印象派」の登場につながったそうです。
諸説あるとは思いますが、これが正しいとするならば、この辺りに人間の「文明と文化」というものへの捉え方の重大な要素が潜んでいる気がします。
いくら天才の羽生さんでも、将棋で、印象派を作りだすことは難しいと思われますが、さて、どうでしょうか。いろいろ小難しく書いてしまいましたが、結局、ごく簡単に言うと、「羽生さんは人工知能と対戦すれば人気がなくなる可能性があるが、戦わなくても人気が下がる可能性はないのだから、戦う必要はまったくない!」という極めて合理的なお話ということになるのです。
追記 AI攻略の鍵?
5月15日放送のNHKスペシャル、「羽生善治、人工知能を探る」を見ました。内容にそれほど新しい情報はなかったのですが、一つ気になったのは、囲碁の対局で唯一「アルファ碁」が負けた一戦で、人工知能が暴走して、自滅したような場面がありました。
それを引き起こしたのは、李セドルプロの「おかしな一手」だったとか。一瞬、「人工知能はわざと負けたのか?」と、思いましたが・・。
人工知能は無限に近い囲碁の手を計算しつくすことが出来ないために、「合理的ではない手」を可能性から排除して計算するそうです。もしかしたらですが、この時の李プロの手はその本来はあり得ない手、「非合理的な手」だったのかもしれません。それはわざと自分が不利になるような手です。そこから、アルファ碁は混乱に陥った、そんな可能性もあるかもしれません。彼に”非合理”は存在しないからです。
もし仮にそうであるならば、わざと負けるような手を打てば、彼らは混乱して自滅すると言うようなこともあるかもしれませんね。人工知能にはプロは勝てなくても、私ならば勝てると言うこともあるかもしれません(笑)。