アイドルの富田真由さんが、ファンの男から、20数か所をメッタ刺しにされ、意識不明の重体に陥ると言う、恐ろしい事件が起きました。世の中にはいろいろな異常な事件が起こりますが、今回のこの事件の容疑者が示す異常性は相当なものです。無抵抗の女性を公衆の面前で20数か所メッタ刺し、常軌を逸しています。事実、その異様さに、ぞっとするともに、首を傾ける方もかなり多いのではないかと思われます。

あまりにイカれているという記者の方の見解もありましたが、私もそれはそのように思いました。ですので、なにが、どう異常なのか、それを具体的に細かく考えてみることで何かが見えると思ったのです。

ストーカー犯罪なのだが・・

岩崎容疑者が強行に及んだその動機は、

「富田さんのファンだった。プレゼントを送り返されて腹が立った。曖昧な答えを返されカッとなった」

本人の供述からこのようになっています。ここから、ファンによるストーカー的犯行ということですが、確かに、状況的にはそれに違いはないのです。しかし、従来のストーカー犯罪とは様相が違うと感じています。なぜなら、そこには「愛」が感じられないからです。

ストーカーによる偏向愛を見事に描いた作品にスティーブン・キングの『ミザリー』がありますが、ファンである女が作家を監禁し、暴行を加える様は確かに狂気ですが、間違いなく女は作家を愛しているのです。愛するがゆえに自分の思い通りにしようと、凶行に及ぶ。これは誰もが持っている普遍的な「愛」の怖いところなわけですが、今回の件ではこれを感じることができません。

容疑者が抱く思いは、ネットで見つけてちょっと気に入った、というくらいにしか感じられません。事実、他にも何人もアイドルにコンタクトを取っていたようですし、富田さんは特別な存在ではなく、単なるそのうちの一人に過ぎなかったと言う風に見受けられます。

 

動機は? 壊れた合理性

では、動機は実際なんだったのでしょうか。彼女への愛が感じられない以上、それは自己愛、つまりプライドのためだったと言えると思いますが、しかし、それにしても、ここまでの凶行を犯すと言うのは、不可解、人間としての合理性がぶっ壊れているとしか考えられません。

合理性とは、「目的に対して最短で最大の効果をあげようとする性質」

と、当ブログでは定義していますが、言い換えればそれは、

「人より有利に生きようとする性質」

とも言い換えられるはずです。容疑者の場合は、この合理性が完全に破綻してしまっています。なぜなら、彼は、結果として自分の人生をも台無しにしているからです。計画的に犯行に及んでいますから、結果なってしまったのではなく、自らそれを選んだ、ということになります。

つまり、「大した関係ではない、大して好きでもない女性からの大したことのない侮辱への報復」と言う理由だけで、彼は27歳と言う若さで自分の一生を台無しにしているのです。それとも彼は狂ってしまうほどに彼女を愛していたのでしょうか?

 

計画的犯罪とは合理性の中で起こる

本来、計画的な犯行とは、合理的な判断の中で行われるものです。計画殺人は、

「あいつを消せばメリットがある」

と言う打算の中で起こるわけです。だからこそ、刑罰はそれ以上のデメリットを与えることで犯罪を抑止しているのです。つまり、犯罪とは基本的には、

合理的な判断で起こされ、合理的な判断で抑止されるってことです。

もちろん、それ以外の物もあります。そのうちの一つが情動的に爆発した結果、起こってしまうと言うものですが、今回の件では、「カッとなって」と供述しているようですが、事前にナイフを用意していることから、これで済ますことは出来ないでしょう。

 

合理性が壊れた人も犯罪を犯す

そして、もう一つ犯罪の種類、それがよく「理由なき殺人」と言われるものです。

「理由がないのではなく、我々に理解出来ないだけ」

と、えらい方が言っていましたが、これはその通りだと言う気がします。合理性が壊れている人は、「犯罪を犯せば警察に捕まって人生を棒に振る」という打算が働かないため、社会的な抑止力が効かないのです。ですから、我々には理解しがたい、とんでもない犯罪を時に引き起こすことがあるのです。それはその多大なリスクに対するリターンがまったくないか、極度に低いもの、と言うことです。

 

岩崎容疑者もこのタイプだと思われるのだが

岩崎容疑者の異常性から、彼も合理性が壊れたタイプの犯罪者だと推察されます。しかし、それでも合点がいかないのが、伝えられている彼の過去です。

「中学生の時に、柔道の大会で優勝したことがある」

「優しい人だった」

生まれつき合理性が壊れてしまっている人は一定数いるのだと思われますが、彼の場合、昔からそうであったとはとても思えません。そもそも、そこまでイカれた人間が、真剣勝負のスポーツの大会でそんな優秀な成績を残せるはずがないのです。「勝つ」とは正に合理性のなせる業で、それがぶっ壊れた人が到底出来ることではありません。彼は、少なくとも中学生までは、周囲よりも優れた合理性を持っていた、と言うことが言えると思います。

もちろん、イカれていても柔道だけは天才ということもあるのかもしれないですが、当時を知る人の話からその異常性がまったく聞かれない時点で、その時は普通だったと考える方が自然でしょう。あそこまでの特異性に周りが気が付かないはずがないのです。

「どこで道を間違えたのか・・」

当時を知る方のそんなコメントがありましたが、道を間違えたとかの次元の変質ではないことは明白だと思います。

 

ストーカー犯罪と言うより通り魔事件に近い

以前、秋葉原での無差別殺傷事件がありましたが、今回の件はあれとも性質がずいぶん違うようです。あれは男性の自己顕示欲による、自己主張の結果のいわば「テロ的な犯行」であったと思います。自分がこのまま普通に生きても、思い描いたほどに名を上げることは出来ない、であれば、死を覚悟してでも、悪い手段を用いてでも名を上げる、そんな動機であったと思います。だから、ネット上に容疑者の支持者がいたのです。その点でこの事件の容疑者は、一定の成功を収めたとも言えるのです。

しかし、岩崎容疑者には、そんな愚かな野望すら微塵も感じることが出来ません。もし、仮にそうであったならば、一人の女性を狙ってメッタ刺しのようなことにはならないでしょう。それはやはりテロ的な無差別殺人になるでしょう。

これは、ストーカー犯罪と言うよりも、通り魔事件に近い性質だと思われます。今回は対象者が道端の通行人ではなく、ネット上のアイドルになったのです。

ストーカーとは何か?/心理類型と行為・関係類型のクロス

こちらにストーカーの詳しい解説がありますが、岩崎容疑者はどちらにも該当しにくいと思われます。

被害者の富田さんは不憫であるとしか言いようがありません。ここまで頭がおかしくなった人が相手では、自分ではどうにも防ぎようがなかったはずです。どう考えても容疑者は常人ではありません。そして、その合理性の欠落、人格破綻は後天的な発症か、なにかの中毒によってもたらされた可能性が考えられるのではないでしょうか。

犯行後に、「俺がやった、俺がやった」と叫んでいたということや、「他人の郵便物を盗ったり見たりするのは犯罪だ」と書いた紙を近隣住民のドアに貼った、という証言がそれを裏付けているように私は思います。

余りに不幸すぎる、心痛む事件だと言わずにはおれません。気がおかしくなった悪魔的な人格破綻者が相手では、被害者には一縷の非もなく、防ぐ手立てもなかったのだと推察されます。

容疑者に対しては、恐怖こそあれ、怒りを感じることが出来ません。なぜなら、彼がその重大な代償を追った先に得たものが何一つないからです。それがこの事件の表す極度の異様さではないでしょうか。