問、「世界の支配者」の存在を「ディープステート」を用いずに説明しなさい。もし、そんな入試問題があったとしたら(あるか!)、その回答は、題名の通り。つまり、私たちの支配者は、私たち自身と言うことになります。
集団が嫌い
Yahooニュースの記事は、中居正広問題一色なっており、流石にうんざりしますね。
元テレビ東京社員で、桜美林大学教授の田淵俊彦さんは「スポンサー離れはフジテレビが直面する危機の序章に過ぎない。フジテレビ解体どころの問題ではなく、国民の共有財産である『電波』が危機に晒されている」という――。
ホリエモンが救世主に見えてくる…「ACジャパンより外資が怖い」フジテレビがこれからたどる”最悪のシナリオ” President ONLINE
この事件の先行きは、この記事のようなことなのでしょう。今回、そこはおいておいて、より突っ込んでいきたいポイントはこちらです。
肝心な「編成幹部社員の関与」や週刊誌が報道した「恒常的な女性社員の上納システム」の有無に関しては、あいまいな返答しかできなかった。
ずばり、「上納システム」。当ブログ読者の皆さん、どうですかこれ。あなたの会社にありますか?
以前私の勤めていた会社でこんなことがありました。ある社内イベントのチーム分けを担当していた私のところに、ある管理職が近づいてきて、
「この子を、このチームに入れてよ」
と言ってきたのです。そのチームには、役員がいたのですね。私はその指示に従い、メンバーの入れ替えを行いました。その後に、何が起こったかは、全く存じあげません・・。
大変、申し訳ございません。私は「上納システム」に関与してしまっておりました。
何が、言いたいかと言いますと、「これ芸能界だけじゃないでしょ?」ってこと。でも「どこにでもあることなんだから、大した問題じゃないでしょ?」って言いたい訳じゃないです。むしろ、その逆です。
私は「上納システム」に関与してしまった良心の呵責から、チーム編成の顛末を、その方に教えて差し上げました。
すると「え~最低」と、彼女は憤っておりました。そうです。そうなんです。彼女の言う通り、最低です。でも、どこでもやってるんだから、いいだろうって思ったとしたら、その思考はちょっとヤバいかもしれません。
山本七平氏は、日本人はどのムラに所属するかで善悪の基準がコロコロ変わる「情況倫理」に陥ると指摘しています。
日本人はなぜ「集団の考え」に染まりやすいのか? ダイヤモンド・オンライン
これ、日本人だけに限定する必要はなく、ある程度、世界共通だと思います。
情況倫理について、山本氏の指摘を見てみましょう。
「あの情況ではああするのが正しいが、この情況ではこうするのが正しい」(中略)、当時の情況ではああせざるを得なかった。従って非難さるべきは、ああせざるを得ない情況をつくり出した者だ(*3)
これは、「特定の物の見方」に支配された集団に放り込まれたことで、自分も倫理の基準を変えざるを得なかったのだ、という釈明、言い訳と捉えることができます。
「みんなやってるから」「そういうものだ」という思考は、まさにこれです。その瞬間、「闇の勢力」ではなく「光の勢力」である「集団」に支配されたと言うことになります。
山本氏は、これを一種の自己無謬性、責任が自分にはないという主張だとしています。
情況の創出には自己もまた参加したのだという最小限の意識さえ完全に欠如している状態なのである
だから、企業はどこも「カルト教団」だと、言ってはばかりません。
カルト(英: cult)は、ラテン語のcolo(動詞:耕す)から派生した cultus (名詞:耕作、世話、崇拝など)を語源とする言葉である。フランス語(仏: culte)では、宗教の宗旨別を意味し、学術用語としてはカリスマ的指導者を中心とする小規模で熱狂的な会員の集まりを指す。
「カルト」 ウィキペディア
更に深く行くと、一冊本が欠けるくらいなので、この辺で留めて、結局私が言いたいとは、「集団」ってそんなにいいですか? ってことなんです。
「ともだち、100人できるかなあ~」
集団でうまくやれないのは、ダメなヤツ。そんな無言メッセージ、うざくないすか? いや、毎度ですけど、集団活動が好きな人や、それ自体を否定はしないです。ただ、「集団活動は、すばらしいよなあ」の裏にある「集団に馴染めない奴は、無能なヤツだよなあ」は、明確に否定したいと思います。
友達、100人できるかな? いや、出来なくていいだろ。子供に変なプレッシャーかけないでよ。
「友だち」の群れの場の情報が個をとびこえて内部にはいり、内的モードが変化した。「何かそれ、うつっちゃうんですよ」という発言は、群れに「寄生され」て内的モードが変化させられる曖昧な感覚をあらわしている(*11)。
これは山本氏が描写した情況倫理とほぼ同じです。生徒たちは閉じられた共同体で、ある種の前提を共有していき、次第にその前提から発生する「物の見方」に染まっていくのです。
すると「集団がどのような考え方をしているか」で、生徒たちの倫理基準も変わってしまう。自分で倫理基準を保つ訓練をしていないと、集団の情況(物の見方)に感染してしまい、自己の倫理基準を乗っ取られてしまう。
日本人はなぜ「集団の考え」に染まりやすいのか? ダイヤモンド・オンライン
そう、前回の記事で書いた、バイオハザード4だね~。誰もが納得する世界の支配者の答えは、「私たち」なのです。
昆虫社会
しかし、その集団が実は、不自然な出で立ち、成り立ちをしていることをご存知でしょうか。
人類が出現する以前の社会では、大半の哺乳類の社会がそうであるように、集団として機能するた めにメンバーは互いを個々に認識しなければならなかった。そのせいで記憶に負荷がかかるため、ほとんどの動物において、社会の大きさにおよそ二〇〇の個体数という上限が課せられた。 私たちの進 化のどこかの時点、おそらくはホモ・サピエンスが誕生する以前に、人類は匿名社会を作ることによ ってこのガラスの天井を打ち破った。人間や他の少数の動物とりわけアリなどほとんどの社会性昆虫――において認められるこのような社会は、厖大な大きさまでに到達する可能性がある。
『人はなぜ憎しみ合うのか 群れの生物学』 マーク・ W・ モフェット
なんと、私たちは、哺乳類なのに、「どこかの時点から」「昆虫社会」を生きていたのです。その「昆虫社会」の成り立ちについては、こちら。
農耕社会が大人数の社会になっていく要因として、灌漑など治水に人手が必要だったり、 天候を司る祭司が必要だったりと歴史の本では説明しますが、初期の農耕社会で一番重要だ ったのは狩猟民族との争いです。人類の歴史、とりわけ紀元前の社会の構造をひとことで言えば、それは農耕民族と狩猟民族の争いの歴史でした。ここで言う狩猟民族とはただ動物などの獲物を狩る人たちという意味ではありません。 農業が発明されて以降、狩猟民族にとって一番効率のよい獲物は農作物 です。収穫の時期に農耕民族を狩れば、効率よく穀物を収奪することができます。もちろん農耕民族も対抗して武装するわけですが、そもそも一年中、野生生物を狩って生きている狩猟民族と、大地を耕して暮らす農耕民族では戦闘能力に大きな違いが生じています。定住地と耕作地を持ち、そこから動けない農耕民族よりも、一年を通じて居住地を移動武器を手に集落を襲う狩猟民族のほうが戦いには有利です。そこで農耕民族はより大きな集団に発展し、やがて余剰穀物という富を用いて戦力を増強していきます。これが小国やその軍、そして王の起源です。
格差と階級の未来 超富裕層と新下流層しかいなくなる世界の生き抜き方 (講談社+α新書) 鈴木貴博
ちょっと長いですけど、纏めると、遊牧騎馬民族が怖いから、現代の国家に繋がる集団ができたということですね。こうなると「元寇」の意味が、はっきり分かってきちゃいますよね。日本は、元を神風で撃退したのではなく、彼らは最初から単に脅しに来ただけなんですね。
早く、大日本帝国を創らないと、やっちゃうぞ~❤️ フビライ・ハーンより
当ブログの分析では、遊牧騎馬民族は、そのまま軍になりました。世界史の流れが、ばっちり分かっちゃうでしょ?
軍事作戦「Tsuraretion」?
で、Facebookページで紹介したのですが、とっても面白い記事があったんです。
研究施設では右端に座った1頭が排尿すると、すぐそばにいた1頭も排尿し始めた。
これが世界初の発見、チンパンジーの「つられション」だ。
「つられション」はチンパンジー同士が3メートル以上離れているときよりも、片腕ほどの近い距離にいるときの方が、2倍近くつられて排尿しやすいことが分かったということだ。
また、集団内の順位が低いチンパンジーほど、つられて排尿する傾向があることも分かった。
チンパンジーの「つられション」京都大学が世界初の発見 ただし仲の良さを示す人間の「つれション」とは違う現象 FNNプライムオンライン
もうさ、なんだろうね、ズバッとぶっこんできましたよ。よりによって、フジからね。御神託だね、間違いなく。
「おまえらは、つられション社会人だ」
作戦コードネーム、「Tsuraretion」・・・。ちなみに、「連れション」でグーグル翻訳したら、「companionship(交友関係)」って出ましたよ笑。
なお、人間の「つれション」は仲の良さや絆の現れといった側面があるが、チンパンジーの「つられション」には仲の良さは関係がなく、「おしっこがうつる」という伝染現象であって、この2つには進化的なつながりがあるかもしれないけれども、同じ現象とはいえないということだ。
これは「連れション」ですか? 「連られション」ですか?
岩屋氏は、東アジアの安全保障情勢を踏まえると、日本は防衛力を強化する以外に選択肢はないと述べた。
日米外相、ロ朝の連携や中国の対ロ防衛産業支援巡る懸念を協議 ロイター
そう言えば、昨日の日銀の利上げは、間違いなく、(嫌々の)「連れション」だと思いますけどね。
「連られション」に苦しむ日本人
無能連れションの達人である日本の政治家はともかく、国民の方が明らかに、集団に苦しんでいるように思います。
私が日本人に対して持つ印象の中でトップ3に入るものの1つが、日本人は孤独を好み、孤独に強い、ということだ。仕事の後も休日も1人で過ごす人が多いことに驚く。1人暮らしでも用事がなければ親に電話もしないし、たまに電話しても長電話するでもない。1人で外食チェーンで食べたり、1人でデスクランチをしたり、1人で映画を見たり、1人旅をしたりする。
人生の半分近くをイランで過ごした私には、いまだに受け入れ難いことである。
「あまりにも孤独に慣れすぎた日本人」の超危険 東洋経済オンライン
これは、私も本当にそう思います。仕事で外国人と接することが多いのですが、彼らは良くホームパーティーを開きます。私もたまに招かれたりするのですが、彼らは心底集団を楽しんでいるのです。その様子は、ほほえましくもあり、羨ましくもあります。
そして、彼らのいいところは、パーティーに呼んではくれても、その集団の中に無理に引き込もうとはしないところです。私が外から眺めるだけでも、彼らは気にしない。もしかしたら、それは私が日本人だからかもしれませんけど、そこが、日本人の仮面集団とは大きく違うところです。日本の仮面集団は、熱狂的な信仰を示さない、半身を許さない。それを許してしまうと、すぐに瓦解してしまうほど、その集団が脆弱なことを本能的に知っていること、俺も無理してつきあっているのだぞ、という一種の返報感情の2点からでしょう。
one for all, all for one の精神は、日本人ならではの素晴らしい特質だ。
それが、あの、現在まで続くマスク社会の深層だと思います。
しかし、仮面社会では、個を殺さざるを得ず、そのことが日本人のメンタルに多大な負担を与えていることは、間違いないでしょう。誰からも、個を尊重された経験がなく、自尊心を支えているのは、社会的な地位だけです。ただ、それは「本当の俺ではない」という思いを誰もが抱えているのです。
アリは、コロニーとの一体感という点では、個性がほとんど認められない。このことは、アリの社会が、においだけを基盤とする徹底した匿名社会であることに表れている。
『人はなぜ憎しみ合うのか 群れの生物学』 マーク・ W・ モフェット
日本人は、真面目に昆虫社会をやり過ぎているのです。それが、苦しみの原因です。
五〇〇人より人数の多い集団では、 人々が本当に匿名であるように感じ始めるだろう。 アリならそれを気にしないが、人間の場合には自分が個人として重要であるという感覚がゆらいでしまう。
人は、包含と独自性という感覚のバランスが取れているときに自尊心が最も高くな る。つまり、自分の属する集団の一部であると感じられるくらいには似ていたいが、それと同時に、 特別でいられるくらいはちがっていたいのだ。大きな集団のメンバーであることは大切だが、それだけでは、特別でありたいという思いはかなえられない。
さて、長くなりすぎるので、この辺できって、Ⅱに続けることにします。