「調子に乗んなよ、おまえもやっちゃうよ」

騒動は「デイリー新潮」が同日、報じた。岩屋氏がドナルド・トランプ米大統領の就任式出席のための訪米から帰国した23日、面識のない女性が侵入しており、岩屋氏と〝鉢合わせ〟したという。

議員宿舎で〝奇々怪々〟岩屋外相、自身の部屋で不法侵入女性と遭遇 セキュリティーは大丈夫か 逃走後に再び現れ身柄確保 ZAKZAK BY 夕刊フジ

私が岩屋氏だったなら、これでは、とても平常心で交渉に望めそうにありません。

「悪い中国」に近づくな?

彼は微笑みを浮かべながら部下にこう言った。

「奴らは我々がやったと言っているのか? なら、いいじゃないか。そう思わせておけば」

パレスチナやシリアの要人を殺害、行き過ぎた首相との蜜月
スパイ大国イスラエル「モサド」の暗殺手口が神業過ぎる COURRIE JAPON

安倍晋三さんが、日本の軍事化を食い止めようと奮闘していた様を、当ブログでは、詳細にお伝えしてきました。彼の意思は、今の自民党にも確実に受け継がれています。しかし・・・

安倍さんは「連れション」をお断りし、独自の路線を貫こうとした、それが彼が殺された理由だと思います。ご存知の通り、現代のこの世界では自分独自の考えを持ち、それを貫くことは極めて難しいのです。

さて、話は少し変わりまして、相変わらず世間を騒がしているのは、芸能ですね。誰が誘ったとか、全くどうでもいい話なんでね。これはもう飽きたので、次。

それは、「DeepSeekショック」。これもなかなか、面白いのが出てきたなあ、と思いますね。

こちらの記事通りになるかはともかく、これはまさに、今、世界に起きていることを象徴しています。そんな中で、この人がとてもまた、面白いことを言っていたんですね。

トランプ氏、DeepSeekを評価「安価なのはよいこと」

日本経済新聞

そりゃそうだ! 彼は「独自の世界」を貫けるから、いいですね。しかし、「私たちの世界」の方は、そうはいきません。

中国の「DeepSeek」が国会でも論議に 自民・小野寺政調会長「ダウンロードやめて」

テレ朝ニュース

自民党きっての「優秀派」、小野寺五典氏。森友学園で「無能派」の稲田朋美が解任され、その後を継いだ人ですね。それにしても、当時の「無能」を守る安倍氏の奮闘ぶりは目を見張るものがありました。

「悪い中国」が絡んでいるんだから、悪いに決まっている!

さて、あなたは、どちらですか? とりあえず「優秀な人」は、DeepSeekは、辞めておいた方が良さそうですね。

多極化の本質

世界が多極化に向かっていることが、誰の目にも明らかになっていますが、私は、少し前から、私たちの思考が多極化していることが気になっていました。私たちは分かれ始めているのです。

当然、Apple Watchのように常時健康をモニタリングしたり、心電図を測る機能もない。側面のメッキ感など、質感も劣る部分はあると思うが、手に取ると意外に「廉価感がない」ことに驚くと思う。全体として普通に使えるスマートウォッチであり、これで6000円台は驚異的だと感じた。

Apple Watchそっくりで6000円台の衝撃–シャオミ「Redmi Watch 5 Lite」に触ってみた CNETJAPAN

例えば、シャオミのスマートウォッチはどうですか? DeepSeeK同様に、「安くて同機能なのだから、とてもいい」と考える人がいる一方、「悪い中国」のOSなんて、気持ち悪くて使いたくないという人もいると思います。

実際に、そのようなコメントをちょくちょく見かけます。

中国製OSが不安だと言う点は十分理解出来ますが、米国製OSなら安心という部分には、大きな疑問を感じますがね。どっちも怪しいので、結局同じだから、安い方がよくね? というのが、私の意見。

とは言え、ここで一つ重要なことは、どちらを選んでも人にとやかく言われることではありませんよね、ということです。どちらじゃないといけないと考える大人、ちょっと多すぎません? 今後、その考えは改めた方がいい、ということだけは間違いなく言えるでしょう。

なぜなら、世界は多極化してくからです。そして、多極化の本質とは、お国の話ではなく、個人の思考が多極化していくということなのです。

ちなにみ私は、「Redmi Watch 5 Active」使ってます。(使うんかい)。

一方で、街の雰囲気の変化に伴って、人々の行動や振る舞いが非常に落ち着いているようにも見えた。かつて「歩行者に人権なし」と揶揄されたほどの交通マナーは大きく改善され、車は歩行者のために減速して待つようになった。クラクションの音も激減した。

 特に、若者の礼儀やマナーが格段に良くなってきた印象を受ける。同行した日本人の年配者は、地下鉄で(優先席ではなく)一般席に座っていた若者が席を譲ってくれたと驚いていた。「日本では、優先席で居眠りのふりをする若者が増えているのに」と驚いて感心していた。

 経済が低迷し、人々は厳しい生活を強いられているが、それでも知恵を絞り、たくましく堅実に生きている。上述の「弁当持参」の友人は、「外食が減った分、健康的な食生活になったから、いいことだと思う」話していたのが印象的だった。という声に象徴されるように、逆境をポジティブに捉える姿勢も見られる。

理由を知ってギョッとした…中国でスタバ閉店、予想をはるかに超えた「衝撃的な街の姿」 ダイヤモンド・オンライン

これはいいことですか? 悪いことですか?

文明の本質

どうして、統一された私たちの概念が、再び分裂に向かうのか? について、数年頭を悩ませてきたわけですが、昨年暮れ辺りに、ついに決定的な仮説に行きついた気がしているのですが。

それは当時は、まったく想像つかなかった、驚くべき内容です。

まず、そもそも私たちは、大きな勘違いをしている、いや、させられているのではないでしょうか。

考古学的記録から、ホモ・サピエンスの生活は長い年月のあいだに、とりわけ過去四万年から五万年のあいだに著しく向上したことがわかる。

『人はなぜ憎しみ合うのか 群れの生物学』 マーク・ W・ モフェット

人類は500万年、ホモ・サピエンスは、約40万年生きているらしいのですが、その発展は、4~5年前からだと言います。よくよく考えてみると、まず、それが非常に不自然なのですね。

大半の人は、ある時点で、我々の頭が突然よくなって、急激に進歩したと漠然と捉えていると思いますが、それは間違いなんだと思います。突然、頭のいい人が生まれる可能性はあったとしても、種全体の能力が突然上るなんてことは、決してないはずです。

人工物の数や複雑さが増してきたのだ。それらのなかに は、ラスコーの洞窟に描かれた傑出した絵画がある。ピカソはこの絵について「われわれは何も学んでこなかった」と語ったと言われている。

文明は、今から4~5年前に突然、発祥したのですが、それは我々の頭がよくなったからではないでしょう。

実際、狩猟採集を捨て去ることは、生活の質という点では決して進歩ではないということがわかっている。農業の出現後、身を粉にして作物の収穫に努めるにつれ、人々はいっそう小さく、弱く、病気がちになっていった。こうした状態は、牛に鋤と引き具をつけるというアイデアが出現するまで逆転されることはなかった。

それに、「私たちは、進歩して今に至る」と言う考えが、そもそも間違いなのですよ。ここを改めると、全然違うものが見えてきます。

農業以前の時代、食料が集約され安定的に供給される定住地は、文明発祥のための最初の実験場だった。そこに生活する人々は、現代の政治的・組織的な意味における国家へ向かう小さな一歩を踏み出したのだ。

それは現代にいたる道筋であることは明らかで、さっき書いたことを覆すようですが、それが「進歩」なら「進歩」でいいですが、つまり、それが「よい方向」かどうかは、分かりませんよということです。

私たちは、「良い方向」だと感じている時、決して疑問を持ちません。

村でもバンドでも、農耕を進歩とみなしていた狩猟採集民はほとんどいなかった。

「あなたたちは種を蒔いて農作業してものすごく 苦労しているけど、私たちはそんなことしなくていい。何でもそこにある。熟したらそこに行って採ればいいだけ」

と、アボリジニの女性が白人の定住者に語ったという記録がある。二〇世紀半ばにアンダマン諸島民のもとを訪れたひとりの旅行者は、島民たちが、ココナツを栽培する計画にたいして 同じような反応を見せたと記録している。 どうして「ココナツの実を収穫するために一〇年も木の世 話をしなくちゃならないんだ? この島にも周りの海にも食料があふれていて、すぐに採って食べら れるのに?」

「きれいはきたない、きたないはきれい」というマクベスの台詞がありますが、「進歩は退歩、退歩は進歩」?

もし、進歩が「よい方向」ではないとしたら、私たちは一体何のために、こんな大変な思いをしてせくせく働いたているのでしょうか? 

集合記憶の起源は、五万年前より先にはさかのぼらないだろう。その頃、人類の数は少なかった。 仕事の専門化が小さな社会を危機に陥らせることがあるように、人数が少ない状態で他者の知識に頼りすぎることにはリスクがある。生き延びるための基本的な技術が、まったくの不運のために失われることがあるのだ。これはタスマニア効果と名づけられている。タスマニア島のアボリジニたちは、 八〇〇〇年前に海面が上昇してタスマニアが島になって孤立してから、火をおこす方法や釣りの技術などを忘れてしまったと多くの人類学者は考えている。

ネアンデルタール人も人数が少ないことに苦しんだ。彼らの脳は私たちの脳よりも大きかったが、 社会はもっと簡素だった。頭が悪かったから社会が単純だったのだと解釈されることがよくあるが、 苛酷な北方の土地で狩っていた獲物ではごく少数の人口しか養うことができなかったという理由で、 初期のホモ・サピエンスと同じ生活様式から抜け出せなかっただけかもしれない。

それはきっと、地球中のホモ・サピエンスを統一、集団化するためだったのです。それが、文明の目的。しかし、そこには、まだ続きがあります。また長くなってしまったので、それはⅢにて。