昨日に続いて、このシリーズの「Ⅲ」を投稿します。
前回、私たちは大きな勘違いをしている可能性がある、という話を書きましたが、今回続いて指摘したいのは「人間は他の動物に比べて賢い」というのは、勘違いではないか? ということです。
なぜ、人は賢いのか?
実際、ほとんどの人は「人間は、他の動物に比べて突出して賢い生物だ」と考えているでしょうが、その根拠は何? と聞いたら、最も多くなりそうな答えは「言葉を話せるから」でしょうか。
しかし、残念ながら、これは最近、ほとんど否定されてしまいました。
人間の言語に相当する精密なコミュニケーション手段を使って、動物たちが豊富な情報交換を行っていることが次々と明らかになっている。
話題の“鳥語”からイモムシの“尻ドラム”まで、「動物の言葉」にまつわる記事を集めてみた。
ここまでわかった「動物の言葉」 NATIONAL GEOGRAPHIC
この纏め記事の中でも、特に面白かったのは、こちら。
グリーン氏の研究チームは以前の研究で、ムネアカゴジュウカラ(以下、ゴジュウカラ)がアメリカコガラの警告音に耳をそばだて、近くにいる仲間にそれを「リツイート」する習性があることを発見した。これこそリアルなツイッターだと、グリーン氏は笑う。
そして今回、グリーン氏らはまたも興味深い研究結果を発表した。まともな記者なら誰でも、ニュースの発表前に事実の裏取りをするように、ゴジュウカラはアメリカコガラの警告音を一般的な警告としてリツイートはするが、元の警告に含まれた捕食者に関するより詳しい情報に関しては、自分で確認するまで声に出さないということがわかったのだ。
他の鳥の警報リツイート 余計な噂は拡散せず、研究
2次情報をうのみにしない慎重さが生存に有利か、ムネアカゴジュウカラ NATIONAL GEOGRAPHIC
明らかに人間より賢いやん・・・とにかく、言葉を話すから人間は賢いというのは、単なる思い込みであることは間違いなさそうです。では、残る人間が他の動物より賢いと考えられる答えの大本命、それは「文明を築いたから」ですよね。
これは否定されないでしょう! 他に文明を築いた動物は、少なくとも地球上には存在しません。だから、人は圧倒的に賢いのだ~アッハッハッハ!
これは裏から見ると、私たちは「文明を築かない者たち」のことを、私たちより馬鹿だと考えていると言うことですね。前回の記事で、文明は人類史500万年の中で、4~5万年前から「突然ブーストした」ことをお伝えしました。その前の495万年間の人類が文明を持たなかったのは、彼らが馬鹿だったからだ、という訳なんです。原始人は、現代人より頭が悪いんですよ、と。
この考え、なんか変じゃね?
ひょっとすると、ホモ・サピエンスが誕生してから最初の一五万〜一〇万年は、民族誌の記録にある生活とはかなり違った生活が営まれていたのかもしれない。
『進化の弟子: ヒトは学んで人になった』 キム・ステレルニー
こうした記録からはある種の謎が浮かび上がってくる。最初のサピエンスと現代人とで認知能力が異なるとすれば、両者のあいだでどのような変化が生じて、その変化はどのような理由で生じたのだ ろうか。どのような認知的変化が、大昔とより現代の生活様式の違いを説明するのだろうか。他方で、もし最初期のサピエンスが過去五万年に生きた人たちと実質的に同じ認知処理能力をもっていたとす れば、別の謎が生じてしまう。過去五万年に顕著な特徴である技術や社会生活を生みだすのに、どうして彼らはこれほど長い時間がかかってしまったのだろうか。
100歩譲って「ホモ・サピエンス」が飛び抜けて賢かったと考えたとしても、「どうして私たちは、これほど長い時間がかかってしまったのだろうか?」という謎を解決することは出来ません。
文明は、本当に私たちが創ったんですかね?
少なくとも、私は創ったことないですよ。単に与えられただけです。恐らく、あなたもですよね。ですから「人類は文明の創造者だから、最高に賢い」という大前提は、ほとんどの人には通用せずに、それは「人類は文明を使えるほどには賢い」というレベルに格下げされてしまうのです。
文明を創ったのは「誰か」であって、私たちではありません。
こちらの本の副題にある通り、 ほとんどの「ヒトは学んで人になった」のだと私は思います。
自転車に乗れば楽だし、目的地にも早く着ける。こんな便利な自転車には、きっと更科さんも乗りたいに違いない。乗りたいにもかかわらず、なぜ乗らないのか。それは、自転車に乗れないからである、という論理だ。
でも、私は、それほど自転車に乗りたくなかった。だから、乗れるけれども乗らなかったのだ。こういうことって、人生において、わりとあるのではないだろうか。そして、これと似たようなことが、類人猿についても言えるように思う。私たちは、類人猿が道具を使わないと、つい、道具を使う能力がないのだろう、と思ってしまう。しかし、類人猿が道具を使わないからといって、道具を使えないとは限らないのだ。
『禁断の進化史 人類は本当に「賢い」のか』 NHK出版 更科功
そして、類人猿が文明を使わないのは、使えないからではなく、その必要がないから。495万年以上前の人類が文明を使っていなかったのは、馬鹿だったからではなく「その必要がなかったから」と考えた方が妥当じゃないですかね?
だとすれば、私たちが文明を学ばざるを得なかった理由とは、いったい何だったのですかね? この問題はとても難しいので、後に回しましょう。
本当に賢い人
だが、動物の認知能力に懐疑的な人はどうしたものか? 動物が現在に囚われているいるのは自明で、将来について考えるのは人間だけだと主張する人は? 彼らは動物が持つ能力に関して理に適った想定をしているのか、それとも物事が見えていないのか? さらに、人間が動物の知性を軽視する傾向がこれほど強いのはなぜか? 私たちは、人間に備わっているのは当然と考える能力が、動物にも備わっていることを当たり前のように否定する。この背景には何があるのか?
『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』 フランス・ドゥ・ヴァール
ドゥ・ヴァール先生、その理由はもしかしたら、本当は自分たちの賢さに自信がないから、なんじゃ・・(-。-; だって、実際何も知らんし、分からんからね( ¯﹀¯ )エッヘン 知ってるのは、スマホとパソコンの使い方で、火の起こし方は知りまへん・・つまり、野生では、決して生きられない情弱です!
そもそも私たちは、突出して賢いと思っているだけの生き物であって、実際は思っているほど賢くないとすれば、文明を創ったのは、いったい誰なんですかね? この答えは簡単だと思ってます。
私たちは「文明を創れるほどには賢くない」のですから、それは「文明を創れるほどに賢い人たち」に決まっています。
人類史は、500万年なのですから、その中にそのようなヒトたちがいたとしても、まったく不思議ではありません。逆にそういう人たちがいないと考えた場合は、宇宙人を持ち出すしかなくなりますね。しかし、もちろん宇宙人が、私たちを文明化する合理性はありませんし、そう考えなければならない理由も存在しません。
一言で言えば「天才」、彼らが文明の創造者のはずです。
ジーニアス(英語: genius)は、「天才」を意味する英単語。ラテン語で「守護霊」や「守護神」を意味するゲニウス (genius) が語源。
「ジーニアス」 ウィキペディア
ゲニウス(羅: genius 複数形 genii 、英: genius(ジニアス)は、天才・天賦の才を授ける守護神・守護霊を指すラテン語。なお、英語ではゲニウスも天才も「ジニアス」(genius)と発音されており、特に物語や文学でのジニアスには古代ローマ由来の「神」・「霊」的意味が受け継がれている。
「ゲニウス」 ウィキペディア
今でも「天才」のことを「神」といったりしますよね。ジーコは、サッカーの神様。神の子メッシ。つまり、文明の創造者は、やはり「神」だったと言うことになります。
ですから、現代に起きた不可思議な現象を解き明かしたければ、天才科学者の思考を読み解かなければならなかったのです。
私たちは、彼らの仕掛けたわなに見事に引っかかり「悪魔の秘密結社の陰謀探し」をやらせていたわけです。まあ、相手が神ならしょうがないか!(≧▽≦)
Ⅲでも終わらなかったですね。Ⅳは来週以降で。