今日人類がはじめて 木星についたよ
ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ
さるに なるよ さるに なるよ
『さよなら人類』 たま うたねっと
おふくろ
「たま」の名曲、『さよなら人類」は取りあえず置いておいて、今回は人類史を改めて一から見直してみたいと思いました。
では、早速ですが、現在、最初の”ヒト”と言われているのは、ラミダス猿人。
アルディなどのラミダス猿人は、ルーシーなどのアファール猿人(アウストラロピテクス・アファレンシス)より前の時代のものだ。ルーシーの祖先の一部は数百万年前に枝分かれして1つの種族となり、現在はチンパンジーやピグミーチンパンジーとなっている。ラミダス猿人がすべてのヒト科の動物の起源ではないとしても、のちに人間となったヒト科の動物の起源だという可能性はある。
最古の「人類の祖先」はルーシーではなくアルディ(ラミダス猿人) wired
で、そのラミダス猿人が、なぜ二足歩行を始めたのかに関して、非常に面白い仮説がありまして、それがこちら。
二足歩行で行動すれば手を自由に使って多くの果実やイモ類を持ち帰ることが可能となり、はるかに多くのプレゼントをメスに捧げることができたはずだ。
二足歩行が人類の配偶関係を変えた? ナショナルジオグラフィック
あら、素敵! メスに沢山のプレゼントを贈るために、二足歩行になった、ですって! 感激しちゃったわ!
その仮説の真偽はさて置いて、しかし、確実に言えそうなこと。
安定的にエサを調達できる二足歩行が有利だったということだが、さらに同氏は、これが一夫一婦制が広まった起源と考えている。進化上の革新的な出来事とも言えるこのような社会構造が、ヒトの最初期の祖先が誕生したおよそ600万年前から数えて、かなり早い段階で現れていたと言うのだ。
それは、”ヒト”はかなり早い段階から、女性が優位な種として進化してきたと考えられると言うことです。
定期的なエサのプレゼント、一夫一婦の落ち着いた関係、われわれの祖先がこれほど穏やかな性質だったとはいったい誰が想像しただろう。
そうなのですよ。これが、我々の本性だと思うのです。ですので、ラミダス猿人は、確かに私たちの「おふくろ」かもしれません。

これが、ラミダス猿人の想像図なんですが、なんか、かわいいですね。
おやじ
ラミダス猿人のちょこっと後、380万年くらいに、我々の祖先として有名なアウストラロピテクスが現れたみたいです。そして、彼らが最初に道具を使った人類だとのことです。
英国ケント大学の古人類学者マシュー・スキナー氏の研究チームは、手の骨の化石を解析することで、300万年以上前の初期人類が道具を使っていた可能性があることを『サイエンス』誌2015年1月23日号に発表した。
最初に道具を使った人類はアウストラロピテクス 手の骨の解析で従来説より50万年さかのぼる ナショナルジオグラフィック
そして、ここから先、私の妄想が爆発していくわけですが・・
人類の祖先アウストラロピテクス(Australopithecus,猿人)はアフリカで生まれ,ホモ・エレクトス(Homoerectus,原人)になってから,100万年ほど前にアフリカを出て世界中に広がった。その後,各地でホモ・サピエンス(Homosapiens,新人)へと進化したと考えられてきた。
人類の祖先は何度アフリカを旅立ったか 日経サイエンス
アウストラロピテクスから、ホモ・エレクトスが生まれ、ホモ・サピエンスへと進化した。つまり、ホモ・エレクトスが我々の「おやじ」、ということになります。
彼らは、最初のホモ属と言われています。で、このおやじ(ホモ・エレクトス)がものすごくて、世界中に拡散していった上に、彼らは現代人の礎を築いていたのです。
いわゆる現代人的行動が見られるようになるのは“現生”人類であるホモ・サピエンスが現れた中石器時代(およそ5万~30万年前)以降と長い間考えられていた。しかし、それより50万年ほど早く、濃い眉毛の突き出た毛深い人類の祖先ホモ・エレクトスがすでに現代的な生活を始めていたとする最新の研究が発表された。 イスラエル北部にあるゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡で、社会的組織が形成され、コミュニケーションが行われ、また日常生活を営む場所と労働のための場所が区別されていたことを示す最古の証拠が発見された。これらはすべて現代人的行動の顕著な特徴と考えられている。この遺跡は75万年前の狩猟採集民の野営地で、ホモ・エレクトスなどの人類の祖先によって作られたと考えられる。現代人であるホモ・サピエンスが出現したのは25万年前にすぎないことが化石記録からわかっている。
この遺跡では、握斧、両刃の礫器(チョッピングツール)、削器、ハンマー、突き錐といった人工物や、動物の骨、植物の残骸が、それぞれ別の場所に埋まっていた。
現代的生活の起源はホモ・エレクトスか ナショナルジオグラフィック
もう、私が何を言いたいか分かるでしょう? 彼らは、私たちの「おやじ」。
つまり、彼らが「カミ」です。
伝承
私たちは「おやじ」の存在すら、まったく気にせずにいたのです。そして、なぜ「おやじ」が、遥か昔に、家(アフリカ)を出て行ったのか、それも知りません。
もしかすると、尻に敷かれすぎて嫌になって飛び出した・・夫婦喧嘩が原因かもしれませんね。「おやじ」は家を飛び出して、世界に渡って「腕」を磨き、「おふくろ」は、家に残って「女」を磨いた・・。
火の使用をはっきり伝えるもっとも古い遺跡は、焼けた種(オリーブ、大麦、ブドウ)、木、火打ち石が発見された七十五万年前のイスラエルのゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡だ。ホモ・エレクトスなど原人の時代だ。火打ち石はいくつかの場所に集められており、焚き火をしていたと推定される。手斧や骨(体長一メートルほどのコイなど)も見つかっているので、焚き火を囲んで木の実や魚などを焼いて食べていたのだろう。
人類はいつ頃から火を利用してきたのか ダイヤモンド・オンライン
おやじは、自ら編み出した「カミの技術」、火を子供たちに与えたのでしょう。
火を使用した明確な証拠が多いのは、旧人のネアンデルタール人の時代からだ。人類がはじめて火を使った時期を考古学が明確に示さないのならば、生物学的に考えてみようと試みたのがリチャード・ランガムである(『火の賜物 ヒトは料理で進化した』NTT出版)。
ネアンデルタール人は、ホモ・エレクトスの直系の子孫だと言われています。私たちとネアンデルタール人は兄弟でしたね。
彼は人類化石をもとに、料理した食物に適応した結果の解剖学的変化から、火の使用、つまり料理が始まった時期を推定した。たとえば、生肉を食べることから料理した肉を食べるようになったと仮定しよう。加熱すると、肉はやわらかくなり消化吸収がよくなるので、人類の臼歯は小さくなり、胃腸の容量が小さくなる。消化に費やすエネルギーが少なくてすむので、脳のほうにエネルギーを振り向ける余地ができ、脳容量が大きくなる変化が起こる。そうすると、火の使用の始まりは、百八十万年前の原人ホモ・エレクトスの時代と推定することができるのだ。
科学技術と文明を創ったのは彼らだ、私はそう確信してます。私は、ほんの少し前まで、無神論者でしたが、今では完全な「有神論者」です。それは、「信者」とは違いますよ。
「カミ」は確かに存在する。なぜなら、そう考えた方が辻褄が合うからです。ただ、みんなが知る神と違うのは、彼らは全知かも知れないが、全能ではなく、姿のイメージも大きく異なっています。
人類、とくに約二十万年前にアフリカで生まれたホモ・サピエンスは、時間の経過とともに、道具、火(エネルギー)、衣類、住居、建物、道路、橋、鉄道、船、自動車、農業、工業などをつくり出し、それらの助けを借りて、全世界にはびこっている。人類の文明の土台には、「化学」という学問の進歩と、化学の成果がもたらした物質・材料がある。私たちは、天然には存在しない物質をも、化学の知識と技術でつくり出してきたのだ。
冗談じゃない。それを創ったのは我々じゃない。
ショハン氏とウェスタウェイ氏の新しい研究は、初期人類の中で最も長生きした種の1つというホモ・エレクトスの地位を固めた。この種は約180万年間存続したが、これはホモ・サピエンス(我々だ)が存在している期間の約6倍だ。
古代人類ホモ・エレクトスは約11万年前までいた…他の人類と交配の可能性も business INSIDER
それは、当然の成り行きです。
そして、この記事の最後には、わざわざこう書いてありますよ。
「我々の研究はホモ・エレクトスが最後に出現した時代を明らかにしたが、これは絶滅の時代を意味するものではない」と彼は言った。
「化石という証拠を残さずに長生きした可能性がある」
彼らは、まだ生きている可能性がある、と。
追伸:たまの『さよなら人類』の歌詞に出てくる「ピテカントロプス」とは、ホモ・エレクトスの旧名です。あ、そうそう、米軍に骨を奪われた「北京原人」も、ホモ・エレクトスの一種とされています。