世の中には成功者と失敗者がいる、というのは資本主義社会の中では当たり前の考えとされています。しかし、この成功者と失敗者を分ける要因って何だと思いますか?
運がいいとは何か
米野球選手のレフティ・ゴメスが、「優秀な選手ではなく運のいい選手になりたい」と言ったのは有名な話だ。しかし、成功する上で運が果たす役割はいまだに社会で軽視されており、成功は努力と才能のたまものだとする考え方が主流だ。世界中で収入格差が広がる中、このことは盛んに議論されるようになった。
成功を決めるのは「才能」でなく「運」 驚きの研究結果発表 forbes JAPaN
「成功は、才能の賜物」
その神話を信じる人は、大半を占めるでしょう。実際の社会的成功者からは、その意識がにじみ出ており、自信を通り越した驕りにすら見えるのは、嫉妬深い私の性でしょうか。芸能人なんかは、その典型に思いますけどね・・。
イタリアのカターニア大学が最近発表した論文では、人間の才能が人生を通してどう使われるかをシミュレーションし、成功する上で運が果たす役割の特定を試みている。
チームが実施したシミュレーションでは、現実世界で見られる富の配分を正確に反映することに成功したが、特に興味深かったのは能力の分布だ。最も大きな富を得たのは、最も才能があるとされた人々ではなく、最も運が良いとされた人たちだった。
しかし、ある研究では、成功を手繰り寄せるのは、才能ではなく運がよかっただけ、のようなのです。残念でしたWW
では、富をもたらしていたものは何か? それはどうやら、純粋な幸運のようだ。
さて、成功者たちは、この現実をどう受け止めるでしょうか。
ビジネス界は、グル(教祖)崇拝のとりこになることが多い。著名な思想家が、ある分野で成功する秘訣(ひけつ)を見つけたと主張するような状況だ。こうしたグルたちは、その成功をどのように再現するかを説いて回ることで、キャリアを形成する。
過去の記事で、こう書きました。企業は宗教集団であり、面接は、出家のための儀式だとね。
この点を踏まえた上で、さらに突っ込んでみてみると、「成功者」の面白い現実、その「幸運」と「才能」の本質が見えてきます。
となると、運のいい人と積極的にかかわることのメリットがわかります。
運のいい人とできるだけ一緒にいるようにして、その行動をよく観察するのです。すると、まるで運のいい人と同じ行為をしているかのごとく、自分のミラーニューロンが活発化します。
やがて、観察していた行動や振る舞いは自分のものとなり、自分も同じような行動パターンをとるようになるでしょう。考え方やモノの見方も似てくるはずです。
脳科学がつきとめた「運がいい人」になるために関わるべき人の「驚きの特徴」 現代ビジネス
「成功者」になるためには、「成功者」を真似ること。成功者は、世の中で成功するための行動パターンが身についており、その所作を身に着けることで成功を掴むことが出来ると言う訳ですね。
あれ? でもそれって、結局、純粋に運がいいってことにならなくね? 世の中には成功の法則があり、その才がある優れた人達がいて、その真似をしてそのスキルを身につけろってつまらない説教話にすぎないんじゃ? はい、その通りです。当ブログらしくないですね。
さてでは、ご期待の?「真実」を語りましょう。
ビジネス界は、グル(教祖)崇拝のとりこになることが多い。著名な思想家が、ある分野で成功する秘訣(ひけつ)を見つけたと主張するような状況だ。こうしたグルたちは、その成功をどのように再現するかを説いて回ることで、キャリアを形成する。
成功を決めるのは「才能」でなく「運」 驚きの研究結果発表 forbes JAPaN
そのためには、もう一度このことを思い出してみましょう。
ある集団で、運よく「成功」を掴んだものが教祖となりました。次にその集団の中では、教祖を崇拝して、真似をする者たちが出てきました。すると、教祖は気分を良くして、一番熱心に自分を崇拝する者を自分の側近にして、後継者としたのです。
「自分にないものを相手に求める」とか「自分と反対の性格なので、かえってうまくいく」という言い方をよくする。しかしながら、これまでの職場経験や親しい取引先企業の様子から見る限り、うまくいっている上下関係はむしろ「似た者同士」の例が多い。立居振舞い、物事の発想に、どこか共通点を感じるのだ。各社ごとに特有の慣行や言葉づかいがあり、それが社内教育を通じて類似の行動パターンを招いていることはあるだろうが、極端に言えば、言葉を発しなくとも醸し出される雰囲気や空気が似ているのである。
【第4回】上司は自分と同じタイプの部下を評価する ダイヤモンドオンライン
はい、これが成功者の幸運と才能、出世の真実では、ないですかね? 出世を志す人が、運悪く、元々上司と似ていないのであれば、必死にモノマネをして、媚を売らなければなりません。
これらの仮説を調べるために一連の研究をおこなった。たとえばあるちょっとした実証実験では、 コーヒーショップの前の道に五ポンド紙幣を置いて、自称運の良い人と悪い人を店に呼んだ。運の良い男性はその紙幣を見つけて、店に持って入り、数分もしないうちにある成功した実業家 (実はさく ら)と話しはじめてコーヒーをおごった。それに対して運の悪い女性は、五ポンド紙幣に気づかず、 自分のコーヒーを買って一人で飲んだ。後日その朝のことを尋ねると、女性は何も起こらなかったと答えたが、男性はその楽しかったひとときのことを明るく話した。
「偶然」と「運」の科学 マイケル・ブルックス
つまり、成功者は、モノマネとゴマすりの天才だったのです。
これこそが、この世界の成功と失敗の「真実」。ところで、「成功者」って、本当に「優れた者たち」なんでしょうか。まあ、はっきり言っちゃうと、多分違うと思いますよ。。
イノベーションが重要なのに、企業はなぜそれに逆らうような仕組みになっているのか疑問だ。マネジャーは皆、同じ考え方をするよう訓練され、特定の部署だけに独創的なアイディアを生み出すことを求める。
会社は同じ方法で同じ大学の学生を採用し、同じような仕事に就かせる。そして彼らは似たような成果を挙げるだろう。しかし、誰もが同じやり方で同じことをしていたら、革新も差別化も期待できない。
「似た人ばかり」採用する会社に欠けた視点 同質化された中で新しいモノは生み出せない 東洋経済オンライン
繰り返しになりますが、企業の本質は宗教団体と何ら変わりはありません。ですから、ほとんどの企業の目的は、イノベーションではなく、コンサーブメントなのです。特定の部署だけが独創的なアイデアを生み出すことが許されているのは、「運がいい人たち」の既得権を破壊しない範囲で、という条件を理解できる賢い人たちを集めているからです。
あなたの会社の疑問も、それでほとんど解けたでしょう?
分断する文明
これからのこととから、文明社会には私たちをその性質によって、分化していく機能があり、似ている人が集まってくると言うことがわかりました。社会の上位には、「幸運の持ち主たち」が集まってくるわけです。
こうして「世界」は、分断していきます。例えば、優秀な「ユダヤ人」とそれ以外、という風に。
(アシュケナジム系ユダヤ人)の平均IQは120前後といわれていますよね。 遺伝と文化の共進化によっ て、学問分野だけでなく、経済や文化でも大きな成功を収めるようになった。このことを 否定すると、ユダヤ人は何か不正なことをして成功したにちがいないという話になってし まいます。これがナチスのプロパガンダに使われ、ホロコーストの悲劇を引き起こしたこ とを忘れてはなりません。
運は遺伝する: 行動遺伝学が教える「成功法則」 (NHK出版新書 710)
殊更、興味深いのは、こちら。
ヒト集団のブロックで興味深いのは、アシュケナジムのあいだで、テイサックス病など の特定の遺伝子疾患の発症率がきわめて高いことです。インドでは、あるカーストにしか 見られない病気があるという話も聞きました。
やはり、文明社会には、遺伝子を仕分けする機能があるということでしょう。下層に分けられた人たちの不満が、ユダヤ陰謀論を肯定し、ナチスを生み、現代の極右の台頭を生み出していると言う説明は誰もが納得することでしょう。
しかし、結局のところ、誰もが「成功者」の価値感に押し込められていることが分かります。
ですがもしADHDが単なる障害ならば既に淘汰されてしまっていてもおかしくないのに、多くの人々に現在も残っている事実は、こうした性質が一定の環境では「才能」として働く場面もあるのかもしれません。
ADHDの人のほうが「食料採取能力」が15%も高かったと判明 ナゾロジー
彼らが、才能の持ち主だったとしても、彼らに似ている人がたまたま、社会の上位にいないために、「幸運の持ち主」にはなれないのです。
なんて、不幸な? いや、それすら分かりません。なぜなら、社会の上位にいることが、本当に幸運かどうかは分からないからです。
自然の中で何もしない時間は最高のご褒美
「自然の中で何もしない時間」が脳の集中力を劇的に回復させる――この結果は、私たちの生活スタイルに大きな示唆を与えます。
まず第一に、「何もしない」は決してサボりではなく、脳にとって必要なメンテナンス時間だということです。
忙しい現代社会では、ぼーっとしている人を「怠けている」と見がちですが、脳科学的にはむしろ推奨される行動かもしれません。
「何もしない」が脳に効く科学的な根拠 ナゾロジー
王様はいつものんびり暮らしている。でも、家来はそうはいかない。国の財政を管理するために経済学を勉強しなくてはならないし、他国とつきあうために外国語も習わなくて はいけないからだ。
考えてみれば、人類はこの家来にちょっと似ている。そしてチンパンジーやゴリラなど の類人猿は、この王様に似ていないだろうか。類人猿は森林という宮殿に住んでいる。森林には食べ物が多く、肉食動物に襲われる危険も少ない。
『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか (NHK出版新書 541)』
これらを踏まえると、「森の人」オランウータンこそが、最高の幸運の持ち主かもしれません。
共食いする文明
さて、今回は文明のもう一つの側面に触れて終わりにしたいと思います。
森は宮殿、その中でぼうーと過ごすことが最高の贅沢だ、という視点を提示させていただきました。では、我々は文明を捨てて、自然を復活させ、原始的な森林生活に回帰すれば、みんな幸せになれる!というと、実はこれが、そんなに単純な話ではないのですね。つい最近まで、気づいていなかったのですが・・。
森林には食べ物が多く、肉食動物に襲われる危険も少ない。
問題は、ここにあります。え? 何が問題?
イギリスは、世界でも有数の“自然が失われた国”です。
過去1000年間で、森林は農地や都市に変わり、湿地は排水され、草原は舗装されました。
その結果、多くの哺乳類、鳥類、昆虫、植物が絶滅しました。
特に深刻なのは、頂点捕食者がいなくなったことです。
肉食獣オオヤマネコ、英国への再導入が決定! ナゾロジー
これはそのまま、人間にも当てはまるのではないか。
捕食者を失った森では、シカの数が急増し、若い木や下草が食べ尽くされる「過剰採食」が広がりました。
たとえるなら、草食動物だけの“食べ放題レストラン”状態です。
食べ放題は彼らにとっては天国ですが、森にとっては地獄です。
木が育たなければ森は再生できず、そこに暮らす鳥や昆虫、小型哺乳類も減少します。
さらに草や低木がなくなった地面は雨で削られ、土壌浸食も進みます。
こうした連鎖的な変化(栄養カスケード)は、頂点捕食者という“生態系の司令塔”がいないことが原因です。
我々は、元来草食動物だったはずで、食う側ではなく、食われれる側だったのです。
人類の祖先は勇敢な狩猟者ではなかった。トラ、ライオン、ヒョウ、ピューマ、クマ、オオカミ、ハイエナ、ヘビ、ワニ、ワシなど数々の肉食動物に補食されていた脆弱な生き物だった。本書は,化石証拠と霊長類研究の成果などをもとに、多くの人がもち続ける「人類=狩猟者」のイメージを徹底的に打ち破り、新たな初期人類像を描きだす。狩るヒトMan the Hunterから狩られるヒトMan the Huntedへ、人類史の常識を覆す衝撃の進化論がここに結実!
『ヒトは食べられて進化した』 ドナ・ハート, ロバート W.サスマン
人類が狩猟者へ進化したのは、武器を手にしたからでしょう。
従来は、ハンドアックスなどのアシュール型石器は150万年前が最古で、ホモ・エレクトス(原人)が登場した後、しばらく時間が経ってから作られるようになったと思われていた。それが、我々とケニアのチームとで独自に、並行して175万年前ごろまで遡ることを突き止めたのである。今では、タンザニアからエチオピアのアファールまで、東アフリカの広域にわたり、アシュール型石器が170万年前までには展開していたと認識されている。このタイミングは、ハビリスなどの初期ホモからホモ・エレクトスへと移行した、まさにその時代に相当する。すなわち、生業活動の大きな変革と共に、形態的にホモ・エレクトスと認識できる人類が生じたことになる。
『最古の石器とハンドアックス――デザインの始まり』展によせて 東京総合研究所博物館
コンソの最上層のハンドアックスもまた、予想外であった。この層準からは、手にすっぽりフィットするような、薄手で形の良いハンドアックスやクリーバーが出土する。こうした洗練されたアシュール型石器は、従来は50万から60万年前ぐらいに出現すると思われていた。コンソの研究により、洗練されたハンドアックスは古く、80万から90万年前まで遡ることが判明した。これもまた、大きな驚きであった。この洗練化もまた、原人から旧人段階の人類への移行と関連していた可能性が高い。この時代のアフリカの人類化石はまだほとんど明らかになっておらず、今後はこの時代の人類進化について見直しが進んで行くと思われる。
その発明者は、やはり「カミ」でした。この発明品が、我々の生態系を劇的に変えた可能性が高いのではないですかね。そして「カミ」ですら、”つい最近”まで、その過ちに気づかなかったということでしょうか。
結果として、地球は、シカではなく、ヒトの楽園となり、人口問題を抱えることとなったのでしょう。それは文明社会によって、もたらされたものではなく、むしろ文明は、それを抑えるために機能しているのではないでしょうか。
文明は、自然の中では必要のなかったはずの負荷を私たちに与え、時に、「恐怖の世界」を創り出しました。
オオヤマネコは、シカやウサギを狩ることで草食動物の数を抑えますが、それ以上に大きいのは、研究者いわく「恐怖の風景(ランドスケープ・オブ・フィア)」を作り出すことです。
肉食獣オオヤマネコ、英国への再導入が決定! ナゾロジー
私たちは、文明社会の中で「食うものと食われる者」を演じるようになりました。それは、ヴァーチャル捕食者の創出。これが、文明社会のもう一つの隠れ機能だったのです。
面白いことに、HGウェルズの小説『タイム・マシン』において、未来で捕食者に進化するのは、それまでは食われる側であった「不幸な人々」なのです。ここで、大逆転劇が起きているのですね。最終的にはどちらが、幸運の持ち主ということになるのか、非常に興味深いところですね。
今回の計画では、環境教育や観光資源としての価値も含め、地域と利益を共有する形を目指しています。
オオヤマネコの再導入は、単なる動物の復活ではなく、失われた自然の機能を取り戻す試みです。
頂点捕食者の存在は、森の健康を守る“見えないメンテナンス”のようなものです。
科学的な計画と地域との信頼関係が築かれれば、オオヤマネコは再び英国の森を静かに歩き、そこから命の循環が広がっていくでしょう。
その姿は、未来の世代にとって「自然と人が共に暮らせる希望」の象徴となるはずです。
肉食獣オオヤマネコ、英国への再導入が決定! ナゾロジー
当ブログは、2017年以来「計画」追い続けてきて、その存在を確信していますが、どうやらそこに「陰謀」などと言う陳腐な言葉を当てるのは妥当でではなさそうだ、と思い始めています。
それは、現代の我々には想像だに出来ないほど高度な科学的な試みである可能性が高い、と言うのが最新の分析になります。






