前回、少し取り上げさせていただいた宮沢賢治の『注文の多い料理店』について書いてみたいと思います。

『オリエント急行殺人事件』にお笑いの要素がある、と言ってもなかなか理解されにくいことかもしれませんが、この『注文の多い料理店』であれば、少し分かりやすいのではないでしょうか。この結末を知ったときに、くすっと自然と笑みを浮かべたという方も多いのでは?

 

この小説の要素は宮沢賢治のボケと読者のツッコミ

前回、この小説は、宮沢賢治のボケだと書きました。

この小説は、読んでもらえれば、すぐに日本の「お笑い」とよく似た構図になっている、ということがわかっていただけるかと思います。前半が「フリ」になっていて、その後に「オチ」(ボケ)がついて、そこに読者が突っ込むという形になっています。「お前が食うんかい!」と、宮沢賢治、もしくは料理店の主の頭を読者がはたくわけです。分かり安いですよね?

 

では、宮沢賢治は読者を笑わせようと思って、この作品を書いたのでしょうか? いや、それはそうではないとみんな言うと思います。なぜなら、彼は小説家でありますし、元々小説は文学としてあるのですからね。

では、おもしろいお話を作った結果、結果として、たまたま笑いが生まれたということになります。どうも人は自分の想像とまったく違うことを目の前に差し出されると、それを快感とし、笑うということをするようなのです。これは、映画などを見てもよくあることのように感じます。

 

これは童話?

このお話は「童話」と位置づけられていますが、その要因の一つとして「単純さ」があると思います。ドストエーフスキーのような複雑、難解なテーマはこの作品には感じられません。だからこそ、このお話は「子供向け」とされているのかもしれません。

しかし、私はこの作品が子供向きだとは思いません。単純さはイコール純粋さと言い換えることが出来ます。面白いお話ということに関する純粋さでは、この作品はぴか一です。それをより理解できるのはむしろ大人ではないでしょうか。

 

まとめ 名作文学には必ず難解なテーマは必要ない

結局、何が言いたいかというと、面白いお話には必ず重厚なテーマが必要かというと、そうではないのではないか、結果的に人を笑わせてしまえるほど、人の想像を超えた話が作れたのなら、それは難解なテーマを含んだ文学と同等かそれ以上の崇高な芸術的作品となるのではないかということです。

 

そして、それはお笑いと言われる物と近い位置にあり、繋がっていると考えられる。であれば、もしかしたら、将来お笑いも芸術として学問の研究の対象として広がったりする可能性がある、ということかもしれませんね。