幸せの鍵、それは・・・

「行き過ぎている科学」への批判的内容の記事が多いのですが、前向きに、今度は一体どうすれば科学によって人が幸せになれるのか? と言うことを考えてみたいと思います。

それを握る鍵は当ブログでもたびたび取り上げている、「笑い」という人間に与えられた至高の感情、所作ではないでしょうか。

 

 

アルゴリズムで、人は仕事を4割奪われる?

最近、人工知能関連のニュースが取り扱われることが多くなりましたが、「人間の仕事の4割をロボットに奪われる」というのをNHKのキャスターが笑顔で伝える、その”おかしさ”をどこかで書いた記憶があります。

そして、前回の記事でお伝えした『アルゴリズムが世界を支配する』の中で、書かれていたことなのですが、今まで人間にしか出来ないだろうとされていた、創造的、クリエイティブ的と言われる仕事も、ロボットたちは人間以上出来る領域に進化してきているようです。

作曲と言う芸術の領域においても、人に「ロボットが作った物」と伝えない限り、彼らの仕事は称賛を浴びたそうです。

 

合理的な領域ではロボットには適わない

また、囲碁の名人がロボットに負けたということで、衝撃のニュースとして伝わったりしていますが、私は技術の進歩と言う観点から見れば当然のこと、という感想です。その結果にたどり着くまでに技術的な革新があったのだと思いますが、速度と精度が向上したという話ではないでしょうか。

現在のパソコン、スマホに計算速度、精度で適う人なんていません。これは、とうの昔に”合理性”では我々は人工知能に敗北を喫していると言うことを表しています。ですから、これは驚くほどのことではありません。

合理性とは、「目的に対して最短で到達しようとする性質のこと」と、当ブログでは主張しています。

 

音楽は合理的?

では、「作曲」はどうでしょう。これは果たして合理的な方法なのでしょうか。音楽には明確な目的というものは存在せず、合理と言うよりは、芸術と呼ばれるものというのが普通の考えでしょうか。しかし、人々の心に訴えかける、美しいメロディ、旋律は、合理的な構造を持っているため、人工知能のデータによって、再現が可能と言うことかもしれません。

 

『アルゴリズムが世界を支配する』の中では、過去のデータの中からヒットしそうな曲を選ぶため、まったく新しいものは生まれないかもしれないという記述がありました。

要は過去にヒットした曲を「いい曲」として、データを集め、パクリと言われてない程度にそれと似たような曲を作ると言うことです。「いい曲」の価値判断は、過去に「ヒットした」、「売れた」、つまり、お金をたくさん稼いだ曲になると言うことです。これが、合理的な価値判断と言うものです。

音楽を芸術的としてみた時の「いい曲の価値」とは本質的に違うもの、なのです。

追記 音楽は芸術ではなく学問?

記事公開から少したって、別の考えが出てきたので、追記いたします。音楽はもしかすると、芸術ではなく、学問、の可能性もあると言うお話です。芸術と学問がどう違うかについては別記事で書いていますので、善かったら、お読みください。→学問と芸術の違い

音楽とは音を良く整えるスキエンティア(知)

ウィキペディアによりますと、ローマの哲学者、アウグスティヌスはこう言っていたそうです。スキエンティアはのちにサイエンスの語源になった語彙だそうですね。ジョン・ブラッキングと言う方は、「人間が組織づけた音」だと語っていたそうですね。

これらをまとめると、音楽はもしかすると、芸術ではなく学問よりのもの、と言う可能性もありそうですね。とすると、人工知能の得意分野なのでしょうか。美しい旋律でない音楽に価値を与えることは、難しいかもしれません。それは、音楽としては成立しない。だとすると、音楽は合理的な性質の物、学問的な性質の物、という結論になるのですが、どうでしょうか。

 

合理性の追求では人は幸せになれない

ロボットが人の数倍の速度で、売れる曲をどんなたくさん作って、人を喜ばせたとしても、それで人を幸せにすることは出来ない、と断言します。それは、何度も書きますが、合理性の進化の断片にすぎないからです。合理性をいくら進歩させても人は幸せにななれないと私は断定してもいいくらいだと思っています。

なぜなら、合理性の本質は、所詮奪い合いに過ぎないからです。最終的に誰かが独占するまで続く、半永久的な奪い合いです。売れる曲を大量に作る、と言うことは、結局はお金を奪い合っているだけです。

合理的に進めようとした結果、喧嘩になり、国同志であれば、戦争になります。ビジネスは「とりあえずよし」とされている富の奪い合いです。「ロボット・トレーディング」は1000分の1秒のお金の奪い合いです。NHKがテクノロジー関連ニュースを綺麗なキャスターの奇妙な笑顔で伝える理由は、国の威信の奪い合いだからです。

 

「笑い」と言う極めて特異な存在

では、そんな合理性しか持たない「アルゴリズム」が私たちを幸せに導くなんて、夢物語じゃないかと、ええ、そうなんです(笑)。しかし、そんな夢物語を今回あえて書いています。

では、当ブログが考える、彼らが向かうべき道は? と言うと、題名にしておりますが、それは彼らが「笑い」を追求するという方向です。おかしな話でしょう(笑)。でも、これがいたってまじめな話なのです。笑顔が人を幸せにするとかそんな単純な話ではないですよ。

これを分かっていただくには、「笑い」というものの、本質をとらえる必要があります。詳しくは過去記事 →当ブログが大胆にも「笑いとはなにか」、にズバリ回答する!

を見ていただければありがたいですが、しんどいと言う人は致し方ありません。要約して、ズバリ書くと、

笑いとは 非合理への肯定の態度によって生まれる と言うことです。

それは、非合理性、つまりは目的を達せないという、生物として失敗であるはずのそれに、価値を与える、と言う非常に崇高な態度のことなのです。

 

アルゴリズムに「笑い」はあるのか?

私は偉そうに科学者の方に言いたいのですが(見てないでしょうから)、マーケットにおいて、1000分の1秒で金を暴い合うなんて愚かなことはさっさとやめて、ロボットが人間に対して笑いを追求する研究に舵を向けた方がはるかに人類のためになる! と思います。合理性の追求の結果は、「独占と滅び」、と偉い科学者の方の話で分かり切っています。

であるとするならば、対極にある、人間の非合理性の追求、「笑い」の追求が、科学が人を幸せにする最良、唯一の方法ではないでしょうか。

私にお笑いの方法論は分かりませんが、お笑いにもパターンがあるでしょうから、それをデータ化して、それらしいロボットを造ることは可能でしょう。実際、検索すると漫才ロボットなんて物が出てきます。しかし、それは単なる猿まねであり、偽物なのです。

「お笑い」の本質は、彼らには元から存在しない概念なのです。

 

まとめ 人工知能が人間を超えた、なんて多大な誤解!

最近、人工知能、ロボットが人間を超えた、超えると言う話を聞く機会がずいぶん多くなったように、確かに人工知能はその一部分においてのみ、人間を超えたと思います。しかし、それはあくまで欲望に対しての最短成就、合理性という片面だけをとらえたものに過ぎません。

本当の意味で人を超えてくれるのであれば、神様のような存在で、未熟な人類を戦争のない、みんなが平和で平等に暮らせる社会に導いてくれる、ロボットはそんな存在になると言うことです。だとするなら、それはとても喜ばしいことで、恐れるような話ではありません。

しかし、誰もが恐れを抱くと言うのには、それなりの理由があります。それを論理的に明かすとするならば、ロボットには非合理性がなく、完全な欠陥品と言わざるを得ない物であるということ。そんな欠陥品が、生物の物真似をし始め、一定以上の力を持ち始めたことを我々が感覚的にわかっているからに他ならないのです。

 

「お笑いロボット」の誕生は、「アトム」や「ドラえもん」と同じ夢物語

では、人類を救うかもしれない、「笑い」を追求する、”非合理的なロボット”は果たして、この先、誕生することになるのでしょうか? 理由は、「鉄腕アトム」や「ドラえもん」が誕生しないのと一緒で、相当低いかもしれません。技術的に難しい以上に、元々彼らには”非合理性”の存在価値がないのです。非合理に価値を与えるなんて発想は一ミリだって存在しない。ともすると、「お笑いロボット」はやはり夢物語です。

もし、仮に、生物に与えられた最高の所作、とも考えられる「笑い」で、ロボットが人を超えることが出来るのであるならば、私たちはアルゴリズムによって幸せを与えてもらうことが出来る、ということなのかもしれません。