今、現実にある「ロボット」の暴走

最近のマーケットにおける価格変動の大きさが、常軌を逸しており、その裏には「ロボット・トレーディング」の存在があり、もはや彼らに支配されている状態になっているのが現実。いずれ、これは我々の日常世界にも同じような場面が訪れるという危惧を過去記事でお伝えしておりました。最近読んだ本でそのままのことが、書いてあったので、ご紹介です。

 

それが、クリストファー・スタイナー著『アルゴリズムが世界を支配する』 (角川EPUB選書)です。こちらの本では、「アルゴリズム」がマーケットを支配することになる過程、そして、未来においてその支配は我々の日常生活にまで及ぶ可能性が書かれています。

私はこのことには、前から非常に強い危惧を抱いております。危機を煽るわけではなく、冷静に危険を感じるのです。世界戦争で人間が亡ぶよりもアルゴリズムの暴走が世界を滅ぼす可能性の方が遥かに高いのではないでしょうか。

「ロボット」の欠陥の本質をズバリ!

科学者の方は、「ロボット、人工知能の進化が人類に幸せを運ぶ」と信じているようですが、私は、それらは、どこまで進化したとしても所詮欠陥品であると考えますので、それはないということを断言したいと思っています。その理由はなにか? ずばり、それはロボットは合理性しか持たないからです。

当ブログでは独自に”合理性”を、

目的に対して最短で最大の効果を上げようとする性質

と定義してきました。ロボットが人間の目的のために働くものであるとするなら、人間の目的、つまりは欲望に対して最大の効果を上げようとするのがロボットの存在意義だと考えられるのです。マーケットで起きていることは正にそれです。お金という欲望を1000分の1秒単位で合理的に奪い合っている状態がそこにあるわけです。

人間とロボットの違い ”人間らしさ”とは?

科学者の思い描く、理想的なロボットとはなんでしょうか。過去にも示しておりますが、それは「人間らしいロボット」を造ることだと思います。

その”人間らしさ”とは、なんでしょう。「それは人間本来の”非合理性”のことである」と何度か主張してきました。

「極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通じて、理性による社会構造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する」

~ドストエフスキー作 『地下室の手記』

人間は合理性と非合理性の2面性を持っていて、その二つが相重なることで、生物として成立していると考えられるのですね。

対して、人工知能、ロボットはこの2面のうちの「合理性」しか、持っていません。ただ目的に対して最速で突っ走ろうとするだけ、なのです。これは、人間にとって変わって最適な判断を行わせるには、あまりにも欠陥、危険であると考えざるを得ません。現在、人間にとって代わり始めているアルゴリズムには本来私たちが持っている、非合理性という重大な片面が小さいどころか全く存在しないのです。

 

非合理性の重大性

では、我々にはなぜ、非合理性が存在しているのでしょうか。それは、一個体ではなく、社会性、全体で人間をとらえたときに、非常に重要な要素を持っていると考えられます。

私たちは動物に比べて高度な知能を持っています。それは、つまりは合理性が発展していると考えられるのです。私たちは食料を蓄える優れた術を動物に比べてたくさん知っています。個体がより有利に生きられる方法をたくさん知っているのです。それが即ち文明と呼ばれるものです。

しかし、対して動物はあまり合理性を持ちません。食料を独占して、他の個体より有利に生きる知恵は持っていないのです。ですから、逆に言うと、非合理性を持っていないくても特に問題はないのです。

 

合理性の結末は独占

ですが、合理性が大きく進化した人間はどうでしょう。合理的に富を独占しようとするでしょう。利己的な遺伝子の命令のままに、自分だけが得をしようとするでしょう。そして、その合理性のみが極まるとどうなるか。それが今、株式市場、マーケットに起きていることです。数コンマ秒の争いで、富を奪い合う。これはこれから先、どんどん早くなっていくでしょう。そして、最終的な行き着く先は、最も早くて正確な合理性への完全な独占です。

こうなっては、社会動物としての我々の多様性は失われ、おそらく、最も有利な遺伝子も結果生き残れないと想像します。

 

非合理性に価値を見出す尊さ

そんな合理一辺倒を防げる可能性のあるものが、我々の持つ非合理性、心、と言うものではないでしょうか。私たちの持っている心は非合理性に価値を見出すという、非常に崇高な力を持っていたのです。それは、ロボット、人工知能、アルゴリズムには決してできないことなのです。そして、彼らは将来的にも未来永劫、それを備えることはありません。

アルゴリズムが世界を支配する』にも書かれていますが、彼らが、人間の非合理性を合理的に利用する仕組みは出来るそうです。ですが、彼らは根本的に、合理的なだけ、なのです。これは本質的に違うのです。

『鉄腕アトム』や『ドラえもん』に代表される、人のこころを持ったロボットを造ることを科学者は夢見ているのでしょうが、これは残念ながら、企業、科学の目的から考えるに子供じみた夢想と言わざるを得ません。彼らの目的にはその必要性がないからです。

そんな重大な欠陥を抱えた彼らに人間の社会を任せるなんて、暴挙、危険極まりないと私は強く思います。昨今のマーケットが示唆するように、その暴走はいつか我々の手では止められないものとなるでしょう。