『こころ』が700万部を突破。要因の一つに名台詞

夏目漱石作の『こころ』が新潮文庫で700万部を突破した、とのニュースが出ていましたね。なぜ、それほどまでに『こころ』が日本人のまさしく心をわしづかみするのかと言う理由はいろいろあると思いますが。その中の一つに「先生」の語る名台詞と言うものがあると思います。この台詞の素晴らしい普遍性につい考えてみる第1弾になります。

先生:「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」

私:「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」

先生:恋に上る楷段なんです異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

私:「私には二つのものが全く性質を異ことにしているように思われます」

青空文庫 -夏目漱石『こころ』-

「おまえは女のために俺のところに来た」とおっしゃる「先生」

これは「先生」が自分のもとを訪れた「私」に対してその動機、を説明したものです。どうでしょうか? 言葉は柔らかいですが、もっと端的にしてみると、

 

「お前は女を抱くために俺のところに来た」・・・つまりもっと言ってしまうと、
「お前は最終的に女とするために俺のところに来た」

 

と言っていることになります・・・。これはショッキングです。「私」は「先生」を人生の師として慕っており、「女のために来たんだろう?」などとと言われては、はなはだ心外! でしょう。

 

それに先生は、もちろん女性を紹介してくれるわけでもないし、恋愛指南をしてくれるわけでもありません。しかし、先生はこれを冷やかしで言ったわけでも、「私」を侮辱するために言ったわけでもなさそです。あくまで先生は「真面目」です。それは、いったい?

 

読み解くカギは、恋愛の「生物学的な仕組み」

これを読み解く鍵は、恋愛と言うものの仕組みにあります。別のところで「先生」は「恋は罪悪だ」ともおっしゃっていますが、恋愛とは異性獲得のための熾烈な争いです。

Attractive woman being courted.

生物学的に見れば、自らの遺伝子を可能な限り多く残すための戦争です。特に男性は自らの精子を多くばらまくことが宿命づけられています。そのためにより多くの女性を手に入れなければなりません。

では、その方法としていったい、どうするのでしょうか。なんの地位もない得体のしれない男なんて女性から相手にされません。より多くの女性を得たいなら、女性の求めるものを多く与えられる男にならなければなりません。

 

それがお金だったり地位、名声だったりします。そして、それは多くの場合、同性の評価を得て得られるものです。なぜなら、より多くの女性を得たいのは男性皆同じなのですから、全員が敵であり、ライバルです。その中で、優位であると認められることは、勝負に勝ち、求めた結果を得られることになるのです。

 

男性が一生懸命仕事をしたり、芸術的とか文化的、またはスポーツ的な活動で名声を得ようとするのもすべて女性にもてるためといっていいのです。一生懸命出世を目指すのは、残念ながら奥さんと子供を楽させるため、ではないのです(笑)。

 

と、みてきますと、先生の台詞はまさに男性の行動動機を見事に表していて、そこに気が付かない「私」にその真理を伝えたものと言えるでしょう。これは男女一緒だと思いますが、恋愛で相手を得たければ、まずは同性を制しなければならないのです。

そのために、「私」は先生のもとを訪れたのです。そんな恋愛の真理をこんな短い一言で抉り出してしまうとは、まさに名台詞です。

 

女性獲得の方法を教えられない先生

「私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられな いでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」

更に先生はこう続けます。特別な事情(奥さんを得るために親友を裏切り死に追いやった過去)のため、「私」に、女性にモテるための出世、地位や名声を与えてやることや、「女性の獲得」の方法を教えてあげることが出来ないと先生はおっしゃっているのです。

「私」は無意識のうちにそれを求めて自分の元を訪れているのだから、それが出来ないと分かったら、自分の元を去るだろうし、「私」のことを考えても、そうであるべきだと言っています。極端に言うと、「女性を得るための方法」以外に先生に教わることなんてない、ということです。男性の方、分かりますよね? 「そんなことはない」と言う方はきっと嘘つきです。

ネットを見ていると、「男として満足を与えられない」と言う言葉から、同性愛とかに結びつけている方もいらっしゃるようですが、それはおそらく、大きな勘違いだと思われます。そう言ったことを読み取れる要素は、『こころ』には存在しないと言っていいと思います。

 

男性は悲しいことに、何をやるにしても「女性にもてるため」という行動動機からは決して逃れられない運命です。どんなに偉そうに正論ぶって自分の行動を正当化する上司がいたとしても、所詮自分が女性にもてるためにやっている、とみて、なんら間違いはないでしょう(笑)。

結局、それが先生のおっしゃっていることじゃないでしょうか。

女性目線で考える

では、次に女性目線で考えてみましょう。よく「ブリッコ」は嫌われる、と言うことが言われますが、これも、この名台詞から説明できるんではないでしょうか。

 

恋の法則 オスがメスに媚を売るのは当たり前

男性が女性に媚を売っても嫌われると言うことは、通常はあまりないです。生物学的には元来女性の方が魅力的なんですから、男性が女性に媚を売るのは当たり前で、鳥なんかでも、オスがメスに餌をプレゼントしますし、動物界ではそれは”常識”です。

し かし、この逆をやるということがあっては、媚を売ってもらって当然のはずの女性全体の価値が下がってしまうことになりますし、個人の利益のためだ けにそんなことしては、全体への裏切り行為とみなされても決して文句は言えないでしょう。結果、嫌われることになります。

そして結局、同性に嫌われては邪魔をされますから、利己的な打算も失敗に終わる可能性はかなり高くなりますね。

 

恋の成就には「本物の先生」が近道 ただし同性に限る!

何事にも順序はあるのだから、

「恋をするにも階段を一歩一歩昇りなさい、そして、そのためにあなたはここへ来たんです。それを知りなさい」

『こころ』の先生のお言葉は、女性にも十分通ずるところがあるでしょう。その普遍性が名言の名言たる所以です。

恋を成就させるには、いい先生を見つけることが近道なようです。ですが、一つ注意点があるとするならば、高級ブランド品みたいに人にも本物と偽物があるということでしょうか。

それを見抜き、本当の先生をみつけることが、恋と言うこの世で最も厳しい争いを勝ちぬく近道だとこの名作文学は教えてくれているんじゃないでしょうか。この考えから言うと、先生はやはり同性に限る! と言うことになるでしょうかね。

 

恋の階段を一歩一歩上ろう

そして、異性を得るという人生で最も大事と言ってもいい目的を果たすためには、結局は相手に媚を売ったり、嘘をついたりしないで、恋に上る階段を一歩一歩上るいうことが結局は近道であることを「こころ」の先生はそっと私たちに教えてくれているのです。

『こころ』の先生は「日本人みんなの先生」と言っても決して大げさではないでしょう。