文明批判としてのSF小説を語っておきながら、ほとんどSF小説を紹介していないことに気が付いたので((笑)、SF小説の古典、最初のSF小説とも言われる『フランケンシュタイン』を取り上げてみたいと思います。

 

フランケンシュタインと言う名は有名で、聞いたことない人はほとんどいないと思いますが(怪物くんの影響でしょうか?)、しかし、私もこれを読むまで勘違いしていたのですが、いわゆる怪物がフランケンシュタインではありません。怪物を生み出した博士の名がフランケンシュタインです。

 

この小説のテーマは最初のSF小説らしく、「行きすぎ始めた科学への警告」だと思いますが、この物語、とても切ないです。望まず生み出されてしまった怪物の心の吐露がとても悲しく胸に響きます。フランケンシュタイン博士に、

「伴侶の女性を作ってください。そうしたら、私は人間たちを脅かさず二人で密やかに生きますから、お願いします」

と懇願する場面は怪物の気持ちが図られ、涙が出そうになります。

 

博士は彼を作った直後にその恐ろしさから見捨てたばかりか、この申し出も無情に断り、物語は悲劇へと突き進みます。なんと身勝手なことでしょう。この物語の中での科学技術はまだ未熟で、生命を与えられたそれは怪物でした。

だからこそ悲劇へと進んだのですが、現代で実現されようとしている技術はもはや、怪物でなく、一人のちゃんとした人間を作れる領域にさえなってきました。それどころか、優れた人間も作れるのでしょう。

しかし、もし、本当にそんな技術で作られた人が生まれてきたとすると、いったいそんな彼らはどう感じるのでしょうか? 怪物のような醜い姿ではなく、むしろ人より美しい。それを喜ぶのでしょうか。もし、私がそうだったとしたら・・・。

 

私たちは自然から生を受け、その生きる目的は誰からも与えられていません。この世の自然の生物には生まれてきた意味などなく、人なら自分でそれを見つけようともがきます。ですが、もし、人工的に作り出された人がいるとすれば、目的を与えられて作られたことになります・・。人が人の生に目的を与える。これは暴挙もいいところだと思いませんか?

 

こんな恐ろしい危機的暴挙が生み出されるかもしれないものが、あんなのほほんとした記者会見で突然発表され、賞賛されました。これは例のSTAP細胞騒動のことですが、『フランケンシュタイン』や他の名作を読んでいれば、手放しで賞賛できるようなことではないし、小保方氏がそういったことの重大さをまるで理解出来ていないことは、すぐにわかりました。

このあたりはよろしければ過去の記事をご覧ください。今更裏切りられたとすさまじい非難を浴びせてもどうにもならないと思いますが・・。

 

「行きすぎた科学への警告」というSF小説へ与えられた使命ともいえるこのテーマを、はかなく悲しく、私たちの胸へ強烈に訴えかけるこの作品は、SF小説の元祖としていまだ色褪せない、文句ない名作といっていいのではないでしょうか。