岸田首相は、「2024年は緊迫の1年になる」と言いました。それはここの読者の方であれば、誰もが覚悟していることでありましたでしょう。

当ブログでは、国際政治における対立の源泉がどこにあるのか、について考察を続けておりますが、今年のまとめに相応しいテーマとして、最新版を書いておきたいと思います。

「ローマの源泉」

さて、このニュースを覚えておられますでしょうか。

エルサレム症候群とは、観光客がエルサレムの持つ歴史や力に圧倒されて現実から切り離され、自分を聖書の人物と思い込む珍しい疾患のことを言う。

ローマ時代の彫像を破壊、米国人の男逮捕 イスラエルの博物館 CNN

このニュースは、ハマスのイスラエル急襲とほぼ同時に、発信されました。

内容は「エルサレム症候群」の米国男が、西洋文明を破壊するというもので、今見直しても、非常によくできたプレゼンテーションだったことが分かります。

イーロン・マスク、人類は再び「ローマ帝国滅亡」を目撃しようとしている

FORBES JAPAN

その筋の広報係がすっかり板について来た、イーロン・マスクさんもこう言っています。

つまり、このニュースは「アメリカ」≒「イスラエル」∽「ローマ」を破壊するぞ、という内容だったことが分かります。そして、こう言った動きをしている「筋」を、私は「ロンドン」と呼んできたわけです。

国際政治は、今も昔も「イスラエル筋」、「ローマ筋」、そして「ロンドン筋」の対立軸によって展開しています。そのことの理解が、深まった1年でありました。

この国際三大筋のうち、最も理解が容易なのが「ローマ」です。以前は、「パリ」と呼んでいました。

ドイツの元財務相のショイブレ氏が、最近亡くなりましたが、懐かしいなあと思いましたね。EU離脱交渉時は、「ローマ」側の守護者として、大活躍していましたね。

ショイブレ氏はベルリンの壁崩壊後のドイツ再統一に貢献し、CDU党首にまで上り詰めたが、1990年代の党資金を巡るスキャンダルで2000年に党首の座をメルケル氏に明け渡した。約10年後に財務相に任命されるころには、ドイツを危機から救うのに十分な力量を持つ数少ない政策立案者の一人と見なされるようになっていた。

  1990年の政治集会で銃撃を受けて胸から下がまひし車椅子での生活を余儀なくされていたショイブレ氏は、50年以上にわたって政治家としてのキャリアを築き、祖国に貢献。財務相退任とともに連邦議会(下院)議長に就いた。

ユーロ危機時の独財務相ショイブレ氏死去-ドイツ再統一にも貢献 ブルームバーグ

彼が敵方にとって、かなり邪魔な人物だったことがすぐに分かりますね・・。銃撃かあ、政治家はどこの国も本当に命がけですね。私は最近、政治家をとても尊敬するようになりました。本当に命を懸けて、仕事しているなんて、彼らだけではないかと思いますね。

そんな彼の源泉が、どこにあるかと言えば・・

ヨーロッパ大陸の中央に位置する神聖ローマ帝国の歴史に照らして、愛国主義は健全な国民意識であり、ヨーロッパの理念と対立するものではないと肯定的に捉えている。

「ヴォルフガング・ショイブレ」 ウィキペディア

とっても分かり安いですね。

「イスラエル」の源泉

ここから先の理解は難解というより、不透明になっていきます。

古代イスラエル(こだいイスラエル)は、伝説的な太祖アブラハムの時代からユダヤ戦争終結までのイスラエル古代史を概説する。古代イスラエル史は旧約聖書に基づく記述が多く見られるが、考古学的事実や他資料からの裏付けが取れている部分は相当に少ない。

「古代イスラエル」 ウィキペディア

「イスラエル」に関しては、国際政治上の完全な謎であり、その出自を捉えることは不可能です。ですが、現代の事実から捉えられることとして、人類文明史に「イスラエル人」が、相当の影響力を行使したことは疑いの余地はありません。

謎です、のまま終わっても面白くないので、この部分に、当ブログならではの、ちょっと面白い推測を当てておきましょう。

イスラエル共和国内にある都市カイサリア。この古代の港湾都市は、19世紀末、つまり20世紀半ばのイスラエル建国以前より、有名なユダヤ系の大富豪一族ロスチャイルド家の「私有都市」となっている。

「私たちとイスラエルは老夫婦みたいなもの」
ユダヤの大富豪ロスチャイルド家の「私有都市」カイサリア COURRIER JAPON

私はこの記事を読んで、ロスチャイルド家は、古代イスラエル人の末裔なのではないか?と思ったのです。

じっさい、カイサリアの現代史はパリ・ロスチャイルド家(フランス語姓ではロチルド)の歴史と切り離せない。ここでのパリ・ロスチャイルド家の地位は、ほぼ唯一無二だ。というのもカイサリアは、そのうちの3000haを有するロスチャイルド家の私有都市なのだ。

カイサリアは国家に属しておらず、イスラエルに設立された「エドモン・ド・ロチルド財団」に帰属している。エドモン・ド・ロチルド男爵は、この地で19世紀末から決定的な役割を演じ、信仰に厚く、寄付にも熱心だったパリの銀行家だ。

そう仮定すると、色々辻褄があうのです。なぜ、ヒトラーに世界支配を企むものと名指しされて攻撃されたこと。国際政治が、まるでヨハネの黙示録の預言の通りに動くような素振りをみせること、世界的に重大な事象に散りばめられた、”誰にでも解読出来る暗号数字”の存在、そして、ネット上に溢れる定型の陰謀論が、にわかに「真実」を語っているかのような風体。

それらは、「ロンドン」が「イスラエル」に全ての罪を被せるためであるとすれば、説明としては完ぺきだと個人的には思います。前回の記事でとりあげた、ケンブリッジ・アナリティカの手法そのものですよね。

当ブログでは、ロスチャイルド家の「ロンドン家」と「パリ家」の対立を中心に、国際政治を考えていた時期もありますが、ようは、古代イスラエル王の末裔であるロスチャイルド家に、「ロンドン筋」のスパイが入り込んだと仮定すれば、これまた非常に納得感のある話となるんではないですかねえ。

シオニズム運動は「ロンドン筋」が仕掛けた、ロスチャイルド家崩壊への策略だった可能性は十分考えられるのではないでしょうか。

「ロンドン」の源泉

さて、最後に世界の軍事部門を牛耳り、まさに最強の力でもって、国際政治を操っていると推測される「ロンドン筋」の源泉について、当ブログは大胆な仮説を提唱しました。

それは「遊牧騎馬民族起源説」

(CNN) ある遊牧民の帝国が、紀元前200年から3世紀にわたりアジアの平原を支配していた。彼らはシルクロードで交易を行い、精巧な墓地を死者のために築き、馬を駆って遠方の土地を征服した。

匈奴(きょうど)の名で知られるこの帝国と強力なライバル関係にあった古代中国の王朝は、防衛のため万里の長城を建設。その一部は現在も残っている。

古代の遊牧民が築いた帝国の秘密、DNAで解明 CNN

匈奴は、「中国」の最大のライバルでした。そして、その先のスキタイの出自は、ロシアやウクライナであり、現在の国際政治の関心の中心的な場所となっています。

紀元前8世紀から前3世紀ごろ、カフカス地方の北側、黒海北岸からカスピ海北岸のヴォルガ川までの草原地帯で活動した騎馬遊牧民で、スキタイ文化と言われる高度な金属文化をもっていた。彼らの文化は草原の道(ステップ=ロード)を経て東方にも広がり、中央アジアのパミール高原の東西からモンゴル高原、中国北部にも及んでいる。その全盛期は前6~前5世紀ごろであった。

ユーラシア大陸の騎馬民族として最初に登場する民族であり、スキタイ文化は西アジアのヒッタイトなどから鉄器の製造をまなび、それを東方に伝え、他の遊牧騎馬民族に大きな影響を与えた。

スキタイはペルシア人からはサカ人と呼ばれていたが、言語的には同じイラン系民族に属すると考えられている。スキタイ人の存在はギリシアの歴史書にも現れ、ヘロドトスの『歴史』では詳しく記述されている。

現在、南ロシア、ウクライナからクリミア半島にかけての黒海北岸から中央アジアにかけて、彼らの墳墓が多数発見されている。紀元後の3世紀ごろに始まったゲルマン民族の活動の中で、東ゴート人が勃興し、それによってスキタイは滅ぼされた。

「スキタイ」 世界史の窓

そして、スキタイを滅ぼしたとされるゴート人は、長身で鼻が高く、ブロンドの髪色をした、典型的な西洋人だったようです。

一つだけ言えることは、争いの本質は決してビジネスなどではなく、自らの存続をかけて世紀の戦いであることは間違いありません。

「日本」の源泉

最後に、そのような緊迫の緊迫の国際情勢の中、日本の立ち位置を確認しておきましょう。日本が、この世界の「血筋」のどこの傘下にあるかというと、私は「中国」じゃないかと思います。

その「中国」とは、騎馬民族の方じゃなくて漢民族の方。

日本語の元となる言語を最初に話したのは、約9000年前に中国東北地方の西遼河(せいりょうが)流域に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だったと、ドイツなどの国際研究チームが発表した。10日(日本時間11日)の英科学誌ネイチャーに掲載された。

日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表 毎日新聞

ね。そう、だから私たちは世界最強の遊牧騎馬民族「ロンドン」と戦わなくてはならない運命です。遊牧騎馬民族と農耕民族の文化対立こそが、本質的な戦いの源泉なのです。

中央集権国家の建設を目指す中大兄にとって、一番の障碍になっていたのは、伝統的な権益を守るため、中央政府の命に容易に服そうとしない豪族だった。そうであれば、邪魔な豪族を戦争に送り込み、死なせてしまえばいい。突拍子もない考えに思えるかもしれないが、こういう考えは中国では「裁兵」といい、古来からあった。征服した国の将兵は反乱を起こしかねないので、負けてもいい戦いに投入して始末するのだ。

白村江の戦いの“信じがたい真実”…なぜ倭国軍全滅の戦争を起こしたのか? BUISINES JOURNAL

太古の昔、白村江の戦いで起きた結果は、太平洋戦争で起きたことを瓜二つでした。

太平洋戦争下、太宰は妻子を連れて、津軽(青森県金木町)にある生家の津島家に疎開し、終戦を迎えた。GHQによる日本の戦後改革の一環として農地改革が発表され、大地主だった津島家も人や物の出入りが減り、がらんとした様子を見た太宰は「『桜の園』だ。『桜の園』そのままではないか。」と繰り返し言っていた。太宰は長兄である津島文治の書棚からアントン・チェーホフの戯曲集を借りて読み、生家を帝政ロシアの没落貴族になぞらえていた。

「斜陽 太宰治」 ウィキペディア

いつの時代も一貫して、戦争の目的は支配層の没落なのです。白村江の戦いを仕掛けたのは、中大兄皇子(天皇)ではなく、「ロンドン筋」でしょう。

そして、これが今、日本でいや世界で起きていること、そのものなのです。

それではこの辺で、来年もよろしくお願いします。