今回社会面でこのブログの主旨に沿う様な内容のニュースがあったので、取り上げてみたいと思いました。
タイトルに記載しましたが、「原発もIPS細胞も同じ類のもの」こう書くとどうなんでしょうか。
「なんで、これからの多くの人を救う希望の光であるIPS細胞と、あんな大事故を起し多くの人を苦しめている原発が同じなのだ!」と言う感覚が普通なのでしょうか。
先日、あるニュースを見ていたところ、キャスターが「希望の光ですからね」と笑顔でこのニュースを伝えているのを見て違和感を覚えたからこそ、この記事を書いてみようと思ったわけです。原発も希望の光、夢のエネルギーとされていたこともあったわけです。
では、実際IPS細胞とはどのようなものなのでしょうか? そんなに深く勉強などせず、ウィキペディアをちらりと覗いただけでもそれが非常に危険なものだと言うことが分かります。
同性の子を作ったり、パートナーのいない自分だけの子どもを作ったり出来るようです。これはとても怖いことで、生命と言うところで考えれば原発より危険ではないですか?
いや、正しく使えば医療に役立つのだから、と言う声が聞こえてきそうですが、それは原発もそのはずだったんではないんでしょうか。では、なぜ彼らはあんなにも簡単に笑顔で賞賛しこのニュースを伝えるのでしょうか。
「人は欲望を叶えるための技術を求め、それに傾倒し賞賛してしまう。これを文明と言う」
何処かは忘れましたが、こういった言葉を聞いたことがあります。今回のは正しくこれではないでしょうか。火の鳥を追い求め、手に入れ歓喜する人々。漫画『火の鳥』に描かれた姿そのものがここにあります。そういった人々の文明への傾倒に警鐘をならすため、『火の鳥』やSF小説が存在するわけです。
「困っている人々がいる限り、それを救う医療の発展は当然。その成果は賞賛されるべき」
これは確かに正しいのかもしれません。多くの人がそう考えるからこその絶賛なのでしょう。私も将来そのおかげで命を救われるのかもしれませんし、医療と言う文明がなければ既にこの世にいないかもしれません。文明によって生かされ、こんな記事を発信しているわけで、そもそもこんなことをいうこと事態が筋違い。
しかし、文明の発達はもはや危険水域に達しており、一歩間違えればSF小説で描かれるような恐ろしい事態を招きかねないところまで来ているという認識を持つべきでしょう。再生医療研究、IPS細胞はその最先端なのです。
いい小説を読んでいれば、『火の鳥』を読んでいれば、少なくとも笑顔のキャスターと一緒に賞賛する気にはなれない訳です。
生きたいというそれもまた人間の欲望です。
「医者は何のためにあるんだ!」
同じく手塚治虫の漫画『ブラック・ジャック』の中で間黒男はこう叫び、葛藤します。再生医療はそういう難しい問題をはらんだものだと私は思います。そういったものに対して、葛藤もなく手放しで賞賛することはとても危険なことではないでしょうか。
そこに気づかせることが『火の鳥』や多くの著名なSF小説の宿命なのかもしれません。