インターネットを見ていたら、SF小説好きに非常に気になるニュースを見つけたので、書いてみたいと思いました。

究極のエネルギーとされる核融合発電の最新の研究装置の組立が始まったというニュースです。核と聞いて、原発でその恐ろしさを思い知った私たちは大丈夫なのだろうか? と言う気持ちでこのニュースを聞くのでしょうか。

 

少し調べてみると、原発のように事故によって放射線を撒き散らしたりするようなことはなく、危機的な状況にはならないと言うのが一般的な技術的な見解のようです。私は、技術的な知識などまったくありませんが、原発のさらに上を行くエネルギーを生み出すものが危険でないはずはないと思います。

この世の中にノーリスク・ハイリターンなものなどあるはずが無く、もしあればそれは夢、正しく「火の鳥」です。それを信じることは火の鳥が実際にいると信じるようなものだと思うのですが、どうなんでしょう。

現実的には、科学者も実験段階だからよく分からないというところなんでしょう。しかし、今これが危険か危険じゃないかを考えるよりももっと重要なことがあると私は思います。

 

それは、もしこの先、研究が進み、原発の何倍ものエネルギーを得られそうだとなったとします。しかし、その反面、原発と同じように多大なリスクがひそんでいることが分かって来たとしたとき、私たちはそれをどうするのかということです。果たしてそれを捨てることが出来るのでしょうか?

 

前回IPS細胞の記事を書きましたが、それを開発した山中教授はこう話していたそうです。

「新しい技術、これを社会が受け入れるかどうかというのは、科学者が決めることではない。社会が決めることだ」

今までの何倍ものエネルギーを与えてくれる技術を目の前に与えられたら、社会はきっとそのリスクに目をつぶりそれを再び受け入れるのでしょう。なぜなら人は欲望には逆らうことが出来ないからです。

そして、それを叶えてくれる文明の進歩を無条件に受け入れるからです。

 

私たちは本当は原発はとてつもなく危険なものだと前から知っていたのではないでしょうか。東電に騙されたようなことではなく、ただ、その多大なリスクから目をそむけていただけなのではないでしょうか。得られるリターンの大きさに目が眩んでいただけなのでは?

 

文明の進歩を受け入れないと言うことは、退化という選択をすると言うことになるのではないでしょうか。進化ではなく、退化。その道を選ぶことなんて私たちには決して出来ない、私はそう思うのですが。