またまた漫画ですが、二度目の手塚治虫です。こちらの『火の鳥』も、よく学校の図書館などに、ありましたね。子供心に、怖いという印象が残っていました。しかし、大人になってみて、再度読み返してみると、全然違った面を掘り起こすことが出来ます。逆に言うと、この漫画は子供が理解できるほど簡単な物ではありませんでした。

 

「文明と、それに翻弄される人間」というテーマは、SFにとって、王道的な命題と言ってもいいくらいのテーマですが、この漫画も、それを如実に表現しています。

 

永遠の命を持つ火の鳥。人間はそれを得ようと、火の鳥を追い掛け回し、はたまた、文明の力によって、永遠の命を得ようとします。現実的には、火の鳥なんてものは存在しませんから、やはり文明の力ということになります。

近い将来、それが実現しないとは考えられないほど、現代文明は進歩しています。そして人は、永遠の命への欲望を持っています。そういった象徴として火の鳥はこの漫画の中で、描かれているのではないでしょうか?
「どんどん文明を進歩させて、結局は自分で自分の首をしめてしまうのに」

未来偏の最後に火の鳥はこう言います。

 

これだけ、SF小説や、映画や漫画が、警句を鳴らしても、結局、新しいテクノロジーへの賞賛はやむことはありません。より便利な世の中への欲求はやむことはありません。永遠の命への欲望が止まることはないんです。

 

そういった空しさまで、呼び起こしてくれる『火の鳥』は文学的な深みを持った作品と言っていいのではないでしょうか。