皆さん、突然ですがマスク好きですか? 私は万年花粉症のため、数年前から年がら年中マスクをしていた者なのですが、そんなマスク大先輩から、後輩の皆様に言わせてもらうと、あんまり意味ないと思います。

後、みんながしていると不気味です・・

粉じん霊からすら守ってくれない

目のかゆみ、くしゃみ、鼻水だけでは飽き足らず、うつ病のように気が沈み、酷い年は発熱、夜はせきが止まらず眠れない、私にとってそんな恐怖の病気が花粉症だったのです。

薬の副作用を嫌う私にとって、マスクは外出するときの精神安定剤のような存在だったのですが、しかし、やっぱりどっかで気が付いちゃいました。

「君、役立たずだよね?」

道路工事現場を通りかかった時、粉塵の亡霊が容赦なく私を襲いました。霊が存在すると、くしゃみが出るという言い伝えがあるそうですよ。その時、私は完ぺき憑依されました。マスクに「魔除け」の効果はまったくなかったのです。

マスクを拒む人が信じられない日本人

街を見渡せば、マスクをしていない人なんてめったに見かけないですよね。いい悪いではなく、単純に不気味な光景だなと思います。私も当然してますよ。元々ずっとしてたんで、今更外すの変でしょ?

しかし、外国、特にアメリカ人はマスクをしたくない人が結構いるみたいなのです。

米国人がマスクの着用に抵抗を示す姿は、外国人の目には自分勝手としか見えないかもしれない。だがその背景には、「政府の権力」と「個人の自由」のせめぎ合いという建国当初からの歴史がある。

マスクを拒む米国人 その歴史的背景とは CNN

そして、この手の話にめっぽう弱いのが、生真面目日本人の方々、特に最近は過激な「マスク警察」なんてのもいるらしいですね。彼らに言わせると、「マスクを拒むこと」は全く信じられず、それは、思想の自由ではなく単なる自分勝手なのだと言います。

でも、これはおかしくないですか?

だって、マスクをした方がコロナを防げるって科学的なコンセンサス(意見の一致)は存在しないですよ。

もちろん、マスクをした方が防げるって言っている科学者はいます。でも、意味ないって言っている人もいるし、むしろマイナスって言っている人もいます。

それでなんで、「自分勝手」と言う話になるのか、そっちの方が意味不明ですよね。確かに国などの権威筋、メディアは、「マスクをするべき」といっていますよ。

しかしそれが、どうかしたんでしょうか。

そういう意見に強制的に一致させようとすることは、ダメだって、みんなで決めたんじゃなかったんですかね?

過去の悲惨な経験から人類は反省し、みんなで意見の一致を強制しないって決めたって私は聞いているんですけど、違ったんすか? このルールをいきなり、勝手に変えないでくださいよ。そっちの方がルール違反でしょ、どう考えても。

攻撃者たち

自粛の時もそうだったんですけどね。権威の後ろ盾を得た連中は、水を得た魚のようにその攻撃性を強めました。今もそれです。

私はずっと反自粛派でしたけど、この場でそれが正しかったとまでは言いません。ただ一つだけ言わせてもらえば、反自粛派はずっと守備一辺倒であり、自粛派を攻撃したことは一度もないってことです。

「経済が壊れるから、自粛派のおまえらも、家に籠ってないで活動しろ!」

なんて決して言っていないってことです。マスクに関しても、

「お前ら、意味ないからマスクなんて外せ!」

とは決して言わないってことですよ(多分)。

ファシズムへの回帰

さっき書いた、人類の過去の悲惨な経験とは、「ファシズム」のことです。私たちは、これが危険だって気が付いたから、コンセンサスの強制は止めようってみんなで決めたのです! 忘れちゃったの? 強制したんじゃなくて、みんなが自然に一致した。だからこそ、本物の民主主義と言え、それは尊いものだとみんなが思ったのです。

それはもちろん、権力者にとっては邪魔でしかなく、破壊してやろうという意図を隠し持っています。

「政府の権力」と「個人の自由」のせめぎ合いという建国当初からの歴史がある。

それと戦おうとするマスク拒否派のアメリカ人は、まったくおかしくないです。日本人がその考えを理解出来ないとか、そんなの関係ないです。繰り返しますが、過去の失敗から私たちは、学んだのです。理解できないと言う理由で、排除してはいけないって。

おかしいのは、日本の「マスク警察」の方です。人には信仰の自由があります。

「マスクをした方がいい」「マスクをしない方がいい」

2020年7月1日現在、それはどっちも信仰です。

念のためもう一度書きますが、マスクをしている人を否定している訳じゃないです。実際、私もしてますから。満員電車でノーマスクで隣でくしゃみとかされたら、いやな顔くらいはしちゃうでしょうね。

そう言えば、電車の中で不自然なほどに、でかい咳払いするおっさんとかいなくなりましたね。あれはいったい何だったのかと言うと、「女子への求愛だったのではないか?」と私は思っているんですが、どうでしょうか?