「黒子のバスケ」を巡る連続脅迫事件で、威力業務妨害の罪に問われた渡辺博史被告に求刑通り懲役4年6か月の実刑判決が言い渡されたとの記事が出ましたが、この渡辺被告の人物像が注目を浴びているようですね。

それは非常に現代的な問題を象徴的に孕んでいるからだと思いますが、そんな世間で注目の話題を名作文学を通して考えてみたいと思いました。

 

私は以前より名作文学の予言力に注目しておりますが、タイトルにした「ラスコーリニコフ」とはドストエーフスキー作『罪と罰』の主人公のことであります。世界文学最高の作家のドストエフスキーの作品は現代の予言書と呼ばれており、私の書いていることも単なるこじつけでないとご理解いただくこともできるのではないでしょうか。

 

さて、『罪と罰』とはどんな物語か、また「ラスコーリニコフ」とはどんな人物なのか、それに関してはこちらによい解説がありました。NHKの「100分de名著」と言う番組がありますが、その中で『罪と罰』が取り上げられています。

ロシアでは近代化による社会のひずみがあらわになっていた。格差は拡大する一方で、金がなければ、何も出来なかった。そうした中、貧しい青年、ラスコーリニコフの未来もまた、閉じられようとしていた。

惨めな境遇を変えたい一心で、ラスコーリニコフは、老婆を殺害、金を奪う

http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/28_tsumitobatsu/index.html

渡辺被告が法廷で主張したとされる内容とうり二つです。ドストエフスキーが罪と罰を発表したのは、1866年のことですが、すでに彼はこう言った事件が現代においてこれからどんどん起こってることを予見、予言していたのです。

 

渡辺被告がラスコーリニコフだと仮定するならば、では彼はこの先いったいどうなるのか? それもこの偉大な文学に聞いてみるのがいいでしょう。

傲慢な思想に取りつかれ、殺人を犯し、その罪の重さに押しつぶされ人間性を失うラスコーリニコフを最後に救うのは、キリスト教であり、献身的な少女ソーニャでした。つまり女性です。

 

私は思うのですが、男性が一番絶望を感じるのことはどんな時か、それは女性に見向きされない時です。なぜなら、生物学的にみると、男性の生きる目的は多くの女性を手に入れ、自分の遺伝子を多くばらまくことです。これが出来る可能性がこの先もゼロに近いと感じた時が、男性が最も絶望の淵に陥るときではないでしょうか。

特にそういう欲求の強い人であればなおさらです。ですから、ラスコーリニコフも渡辺被告も格差がどうとか、天才は凡人を殺してもいいなど、色々と正当性を主張しますが、このままでは女性に一生見向きもされないままであることに危機を感じ、行動を起こしてしまったように感じられるのです。

だから、最後にラスコーリニコフを救うのは献身的な女性なのです。

 

では、渡辺被告はどうなのでしょうか。今回の事件で、多くの女性に嫌われることはあったでしょうが、しかし、女性に嫌われることは見向きもされないことに比べてはるかに意味があります。なぜなら、それは認識されたことには変わりないのですから。

そういう意味では彼の思惑は成功しており、4年で出られるのですし、「出たら自殺する」と言っているようですが、そんなことは決してしないのではないでしょうか。なぜなら彼の思惑通りだと私には思えてならないからです。

 

男性の自己顕示欲は現代の孤独と格差社会の中において、時に恐ろしい犯罪を生み出しますね。昔はコンピューターウィルスなんかも女性へのアピール手段だったりしました。こんな愚かな男性の性なんて、女性は知る由もないし、知りたくもないってところでしょうか!?