ヒトの本質を核心をついているんじゃなかろうか、と言う記事が出ていました。
イギリスのユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)で行われた研究によって、脳には「想像による信号」と「知覚による信号」を足し合わせた「信号の強さ」を一種の現実性メーターとして使用しており、そのメーターがある値(閾値)を突破すると、脳は「本物だ!」と判定することがわかりました。
脳が「現実と想像」をどうやって区別するか判明! ナゾロジー
これを読んだとき、これこそが「人間と動物をへだてる、たった一つの違い」ではないか、と思ったのです。
漏れなく、差別主義者
来日した著者のイスラエル人歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏(40)は、人類に飛躍をもたらした鍵について「虚構を信じる力」だと説く。
「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ氏 「虚構の力」を超えるために 産経新聞
超有名な歴史学者のハラリ氏によれば、人類を人類足らしめているのは、「信じる力」だと言います。まあ、確かにと認める部分はあります。ただ、私はちょっと前から違うんじゃないかな、と思い始めてました。
というのも、これは「差別思考」なんじゃないかと思ってるんですね。賢い人間にはその力があるけど、愚かな動物にはその能力はないって言うね。
これも最近、気づいたことなんですけど、我々は、動物に対して、漏れなく差別主義者なんじゃないかと。人間は特別な存在であるというね。
人間は唯一無二であると主張する人々は、人間の行動の複雑さをひどく過大評価してきたか、逆に他の種の能力を過小評価してきたか、いずれかの可能性を突きつけられている。
『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』 フランス・ドゥ・ヴァール
ですから、「人間と動物をへだてる違い」が能力の良し悪しではないとすれば、いったい何なんだ? ということを考えなければならないのですが、その答えが冒頭に紹介した記事に書かれているのではないか、と思ったわけです。
漏れなく、空想主義者
逆に言えば、『頭の中のリンゴ』と『目の前のリンゴ』を分けるものは信号の強さ(太さ)の違いに過ぎないということになります。
このメカニズムのおかげで普段は想像と現実を混同せずに済んでいますが、裏を返すと実際の視覚信号がゼロでも想像があまりにも鮮明になりすぎた場合、脳はまるで自作のCG映像をライブの現実映像と誤認してしまう恐れもあるといいます。
脳が「現実と想像」をどうやって区別するか判明! ナゾロジー
「想像の信号」があまりにも鮮明になり過ぎた結果、現実と空想の区別がつかなくなったのが人間であり、そもそも動物は、得ている「想像の信号」が人間に比べて極端に弱い、ということなのではないかと。
つまり、「人間と動物をへだてる、たった一つの違い」の要因は、私たちの内側ではなく、外側にあったと言う訳です。もっと言うと、人間は与えられた「想像の信号」によって創られた存在であり、動物にも同じように「想像の信号」を与え続ければ、人間みたいになると言うことと思います。
凄いのはそれだけではありません。
カンジは火を起こし、道具を使い、調理を学ぶこともできました。
さらにマインクラフトやパックマンのようなゲームまでプレイして楽しむことができたのです。
カンジが生前にマインクラフトをプレイしたときの実際の映像がこちら。
天才ボノボ「カンジ」が44歳で死去、生前の天才エピソードが凄かった ナゾロジー
で、その想像の信号の起源がどこにあるかと言えば・・
このような進歩の鍵を握っているのは、心のなかでのシナリオを正確に創り出し、それを他者と効果的に共有する人間の能力を一変させた発明だ。文字を書くことである。
『現実を生きるサル 空想を語るヒト』 トーマス・ズデンドルフ
その発端は、やはり言語、特に文字・・
文字で書かれた教えの一部は、神から伝えられたものとして崇められるようになり、神聖な書物は、非常に強力で恒久的な影響を及ぼしてきた。今日のおもな道徳的伝統のほとんどは、約2500年前に生きていた重要な思想家に起源がある。そのころ、釈迦はインドで、孔子は中国で、ソクラテスはギリシャで、そしておそらく時期的にはやや早く、ゾロアスターはペルシャで、みずからの哲学を唱えた。ゴア・ヴィダルの歴史小説『創造』に登場するゾロアスターの架空の孫のように、一人の人物が長生きしてこれらの人びとのすべてと話をした可能性もありうる。だが、なぜこれらの重要な道徳的伝統は、ほぼ同時期に現れたのだろう?
神の御導きによって、それは人間の世界を統一していったのです。
カール・セーガン は、こう述べている。「図書館は、かつて存在した偉大な人びとが骨を折って自然から引き出した洞 察や知識に、そして地球全体とわれわれのすべての歴史から抽出された最高の教訓となる物事に、私 たちを結びつけてくれる。 おかげで私たちは、飽きずに学ぶことができ、人類の知の総体に自分も貢 献しようという気になる」
それはやがて、図書館を生み・・
心にあること、つまり考えを交換したいという人間の欲求は、一段と効果的なメディアの追求を促 してきた。紀元三世紀に中国で木版印刷が発明され、より迅速な複写ができるようになった。ヨーロ ッパ人がそれを理解したのは遅く、グーテンベルクの印刷機が一四四〇年ごろに登場して変革が起と り、大量生産が可能になった。それから一〇〇年もしないうちに、ヨーロッパでは、本の数が数万冊 から数千万冊に急増したと考えられている。世界中で、従来よりも多くの読者が、文書の形になった 説明や考えを入手できるようになった。 一七世紀以降は新聞の印刷によって、多くの人の関心が、い わゆる「時事問題」という同じシナリオに集まった。
それはいつか、メディアとよばれるようになり・・
インターネットや衛星ネットワークが出現したことで、実質的にあらゆる場所にいるどんな人びとの心もつなぎ合わせることが可能になっている(そうなっているはずだが、もしご自身の接続会社に 不満があるなら、ここでいくら嫌みを言ってもらってもいい)。ウェブは、他者が書いたことに世界 中からアクセスする機会を提供してくれる。フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディア は、多くの人の日常生活で重要な位置を占めており、あなたが本書を読むころには、さらに別のコミ ュニケーション手段ができているかもしれない。
「繋がり」は、これ以上ないレベルに進化し、まさにそのおかげで、人間は空前絶後の繁栄を極めたのです。
・・・・・とろこが、どっこい!
もう、皆様はお気づきになっていると思いますが、この人間を人間足らしめて来た「世界統一ネットワーク」が、どういうわけか、崩れ始めて来た訳です。
欧米で起きようとしている大手メディアのアジェンダ設定能力の減退は、日本でも起きる可能性がある。正確に言えば、メディアへの信頼や閲覧は減少しているので、すでに起きていると言った方がよいだろう。
アメリカ発「陰謀論が主流に」──民主主義と情報の未来、日本は対岸の火事か? newsweek 日本版
それまでの「素晴らしき世界」が崩れ去り、代わりに「クソどうでもいい世界」がやってきた、と私は書きました。
夢の世界が終わり、代わりに現実がやってきたのです。
ディズニーランドが入園価格を見直し 物価高で社長が検討表明「国民の生活を見極める」
産経新聞
そら、無尽蔵に値上げなんかしてったら、夢も醒めるわ。こんなの、誰にでもわかる、当たり前の話。これまで「きゃ~ミッキー、こっち向いて~!」って叫んでくれてた人も、「は? ねずみごときが、調子乗んなよ」となるんですわ。
この構図は至る所で起きていますね。テレビ、SNSなどに代表されるメディア、芸能、医療に代表される科学的権威、国家や宗教などなど、これまで我々の「人間らしさ」を形作ってきた、素晴らしき「世界統一ネットワーク」が、総じてアホらしいものになって来ているのです。
これって何が起きていると思います? そう、そうなんですよ。
我々を人間にしてきた「想像の信号」が劣化し、相対的に「現実の信号」が強まり、つまり、全員とは言いませんが、我々は「空想を語るヒト」から「現実を生きるサル」へと回帰されているのではないですか?
それはいや、ですか?