今回は、かなり有名な作品になりました。この作品は映画にもなりましたし、小説好きな人で、東野圭吾の名を知らない人はいないでしょうね。この小説は間違いなく、面白いです。私は、東野さんの小説を数冊読みましたが、これが一番印象に残っています。ということは、これが一番おもしろかったんだとおもいます。

この作品には、ちゃんと棘があります。醍醐味はやはり、その『秘密』の正体にあると思いますので、なかなか語りづらいのですが、何と言うか、本当に勝手な話なんです。映画もそうですが、とても感動の愛の作品ということで取り上げられていたようですが、私の感想はちょっと違っています。

手放しで、涙できるような爽やかな作品ではないと思います。貶しているのではなく、むしろそれが面白いところです。愛の身勝手さという点では、『リボンの騎士』『ミザリー』と同じことを描いているかもしれません。

しかし、この作品はその二つほど、極端な描写ではありません。もう少し、霧に包まれたような淡いところを描いています。「勝手」です。その犠牲となる人のかわいそう加減も、ちゃんと描かれています。

しかし、まあまあ、仕方ないかなというか。人の行動で、許せる、許せないのぎりぎりのラインの許せるぎりぎりくらいの「勝手」を描いているような気がします。しかし、それはやはり人間、女性といってしまいましょう、の身勝手であり、涙涙の感動にはなりません。

 

今回その被害者は主人公の男性であるので、もしかしたら感動するのは、女性の読者だけなのかもしれません。「罪に問えない女性の身勝手さ」これがこの小説のテーマかもしれません。

「まあまあ、仕方ない。私が同じ状況だったらきっと、同じようにするだろう。彼はかわいそうだけど」

せめて、読後にそのくらい思ってあげないと、主人公の杉田平介は浮かばれないような気がします。

しかし、そういったことに一切悪びれを見せないのが、世の女性たち、杉田直子かもしれません。こう言うと、女性の方はお怒りにあるかもしれません。

しかし、これがもし男と女逆だったら、どうでしょう? 息子が事故にあい、その息子と入れ替わってしまって、同じ結末にたどり着いたとしたら。皆さん感動するのでしょうか? むしろ、お怒りになるのではないでしょうか? 特に女性は。

 

いや、男性も。「ふざけんな!」でしょう、きっと。だとすると、この話は「女性だから許されていること」なのかもしれません。なのに、全然悪びれは伝わってこないのです。

 

私は、読後に、主人公の奥さん、杉田直子に「ね、感動したでしょ?」といわれているような、気がしました。うまくごまかされている感を感じたのです。それに対し、「いやいや、でも、あなたは勝手でしょ?」と突っ込みを入れるべきなのではないか、と。

 

そして、東野圭吾に「女性ってこういうところあるよね」と語りかけられているような気がしました。そういう意味で、これは男性向けの小説かもしれないなと思います。そういうところが、深く印象に残っています。

 

いいところ突いてくるな、と。これは面白いです。決して、能天気に感動できるような甘い作品ではないと思います。本当に、一言で言うと、「ずるい!」ですね。これが一番、端的にこの小説を表すんじゃないでしょうか? あくまで男性目線ですが、あしからず。