要するに敗退するのである

以前、『華麗なる一族』のところで、ちらりと触れた『坊っちゃん』を、紹介したいと思います。あまりにも有名なこの作品ですが、岩波文庫の表紙のあらすじが非常に印象的です。

 

「無鉄砲でやたら喧嘩早い坊ちゃんが赤シャツ・狸の一党を相手にくり展げる痛快な物語は何度読んでも胸がすく。が、痛快だとばかりも言っていられない。坊っちゃんは、要するに敗退するのである

 

確かに、痛快なのです。学校と言う社会的組織に染まり、重役的な顔をする連中、「大人たち」に抵抗し戦う坊っちゃんは、まさに庶民派。私たちのヒーローとなるのです。私たちがなぜ、そんなに彼を好きになるかと言うと、きっと、そういった欲求を心のどこかで抱えているからでしょう。

 

組織の中で、抑圧されている心、不条理をいつかひっくり返したいと日々願っています。私はそうです。だから、それをしてくれる「坊っちゃん」を見るのは、気持ちいいのです。でもこれで、坊っちゃんが単に勝ってしまうと実は水戸黄門と変わらなくなってしまいます。

痛快ばかりだとも言っていられない。坊っちゃんは敗退するのです。これが、まさにこの小説の重大要素と言っていいと思います。実際、それが現実なのです。

 

なぜ、私たちが社会組織の中にいて、その抑圧を覆したり不条理に反抗したいと願っているのに、しないかというと単に勇気がないからではありませんよね。私たち、「大人」はそんなことをしても敗退してしまうことが分かっているからです。

そんな姑息な計算をせず、感情のまま走れる『坊っちゃん』に私たちは、憧れを抱き、心躍らせることが出来るのではないでしょうか。

 

『坊っちゃん』とは「人間性のこと」

と、ここまでで、十分な気がするのですが、深読みしてみると、もっと恐ろしかったりもします。テレビで小学校のハイテク授業が紹介されるのを見たのですが、あれでは子供たちにはきっと、テクノジーのすばらしさしか、頭に残らないでしょう。

そのバックにいるのは、大企業です。それに傾倒する危険性を私は授業ではなく、図書館の『火の鳥』に教わりました。『火の鳥』では、テクノロジーに傾倒した人間たちは、破滅してしまいます。多くの有名なSF小説もそうです。

 

世の大企業は、利潤追求のために私たちの「人間性」を奪うことを推進しています。坊っちゃんが、物語中戦うのは、「社会組織」。つまり、それはそんな大企業の象徴でもあります。そして、そんな大企業自身も”合理性”を追求しすぎた結果、破たんするということが、この名台詞で語られています。

「企業発展のためには、肉親でも何でも、人間的なものを一切、犠牲にし、置き忘れてしまってしまっていいものでしょうか、人間性を置き忘れた企業は、いつか、何処かで必ず、躓く時が来るというのが、私の信条です」

~山崎豊子作 『華麗なる一族』より~

 

「人間らしさ」、つまりは『坊っちゃん』の敗退が破滅を招くのです。心、人間性の敗退、これがこの小説の真のテーマなのかもしれません。

『坊っちゃん』とは夏目漱石の描いた人間らしさの象徴だと私は思います。