今更推薦する必要などない、この小説をあえて取り上げてみようと思いました。
世界文学の最高の作家と賞されるドストエフスキーですが、もう一人の巨匠のシェークスピアと比べると、立体的なイメージがあります。シェークスピアは人のありのままを平面、まるで美しい絵画のように描く印象があります。マネやモネや、ゴッホのようなイメージです。
それに対して、ドストエフスキーはありのままプラス「創造的思想」、が加わっていて、立体的な感じがするんです。未来への予見といったものも感じられます。ピカソのイメージですかね。
目次
読み通すのは忍耐が必要?
このあまりに有名は小説にも、その崇高な思想がちりばめられています。しかし、それよりも、もし、これから読む方がいたら、純粋にサスペンスとして、楽しんでいただきたいなと思いますね。心理サスペンスとして、これだけ、リアルで緊迫感溢れるものには早々めぐり合えません。
それだけで、十分読む価値があります。しかし、実際、そのただ楽しむというのも案外困難だったりします。
なぜかというと、まず長い、そして、その時代のロシアの社会のイメージがわいてこない。登場人物の名前が愛称のようなものを含めて、三種類くらいあるなど、挫折してしまう要素はいっぱいあります。
私は、学生の頃に読んだのですが、一応、最後まで読み通したものの、ぼやっと理解しながら、何とか読み通した程度です。これ誰だっけの、連続で、正直苦しかったです。しかし、そういった苦しさを、乗り越えて読むに値する作品であることには変わりありません。
テーマ
内容はおおざっぱに、「天才は犯罪を犯しても許される」と、独自の思想の元に金貸し老婆を殺害した男が、信心深い女性の影響で、罪の意識に芽生えていくというものですが、小説内において、
「ナポレオンはいっぱい人を殺しても、英雄。天才は犯罪を犯す権利を持っている」
という、一つの思想の創造があります。ドストエーフスキーはこういった自由な思想を信奉していたわけではもちろんないでしょう。しかし、そういった思想の登場に危惧を抱いていたのではないかと想像できます。
なぜかというと、ドストエフスキーはキリスト教信者ですが、だんだん文明、科学の発達によって、神様の存在が危ういうものになっていくのを目の当たりにしていたからではないでしょうか。キリスト教社会では、人間に犯罪を思いとどまらせるのは、神様です。先のような自由思想は神様の前では、当然許されるはずありません。
しかし、その神がいないとしたら。いないということを、科学が暴いてしまったら。危険な思想や、犯罪を否定できる決定的なものを失ってしまう。そういった危惧がこの小説から、溢れています。
十八世紀の頃にある年をとった無神論者が「もし神がいなかったら、作り出す必要がある」といったね。ところが、はたして人間は神というものを考え出した。
しかし、神が本当に存在するということが不思議なのじゃなくて、そんな考えが、神は必要なりという考えが、人間みたいな野蛮で意地悪な動物の頭に浮かんだ、ということが驚嘆に値するのだ。
-『カラマーゾフの兄弟』-
主人公のラスコーリニコフを最後に救うのは思想ではなく、信心深い少女、キリスト教なのです。
当ブログの独自見解
と、ここまでは、他のブログ、一般的な解説書にたくさん書かれています。あえて、私のブログを読み意味はないでしょう。私は当ブログの独自見解として、彼を救うのは女性だというところに着目しています。鍵は男性という動物の”生物学的生きる目的”です。
生物学的に見る男性の”生きる目的”とは?
生物学的に見ると、男性の生きる目的とは、より多くの女性を手に入れることなのです。男性はそれを最大の動機に行動を起こすのです。
女性のみなさん、男性が生きていて一番絶望を感じる時ってどんな時かを知っていますか? 私がこっそり教えますが、それは「女性に冷たくされた時」そして、この先も「優しくされる可能性が一向にない」と感じた時です。「嫌われた時」じゃないです。これは明確に違います。
つまり、男性が一番絶望を感じる時というのは、自分が「この先一生女性に相手にされない」と思った時なのです。これは、男性が自分の遺伝子を多く残す可能性がないと感じられたとき、と言い換えることが出来ます。
そこから見る「ラスコーリニコフ」という一”男性”
これを踏まえて、話を『罪と罰』に戻しますが、ラスコーリニコフは今後自分が女性に認められる可能性がないことに絶望を感じ、追い詰められ、最後の最後の手段に打って出た、と言うようには感じられないでしょうか。
「天才は犯罪を犯しても許される」、「自分は天才(特別な存在)だから許される」それを世間に認めさせるため、強いては女性に認めさせ、自分の物にするため。それが彼の本当の本当の行動動機ではないでしょうか!?
そんな自分勝手な思想は神様の下では許されるはずもないのですが、その神の存在が危うくなってきている時代なのです。
悲しいかな男性とはそんな生き物です。だから、彼を最後に救うのは献身的な女性なのです。男性を救えるのは神様か・・女性しかいません。ですから、女性の皆様、イケメンではない我々にももう少々優しくしてください(笑)。でも、ラスコーリニコフはイケメンです・・。
予言者「ドストエフスキー」、『罪と罰』型犯罪は目の前に
ドストエーフスキーはよく、予言者とも言われています。確かに、現代の無差別犯罪などの動機を聞いていると、ラスコーリニコフのような勝手な思想の元に、犯罪を起こしているという気がします。
日本の場合は犯罪を防ぐのは、みんなの目だとよく言います。それゆえ、出るくいは打たれる社会だと。身勝手な動機の犯罪は、人の目の監視を無視するようになってしまった結果でしょうか。短絡的にサッカーみたいに、個の力を育てよう、とは言えない理由がちゃんとあるのだなと思いました。