テーマは「争い」の悲劇 争いはすべての生物の宿命

久々の更新で四大悲劇で最後の紹介になる『ハムレット』を書きたいと思います。

シェイクスピアは「人間のど真ん中を描いてくる」と、本当に何度も書きましたが、この作品もまさにそれです。『復讐の悲劇』とよく言われますが、「復讐」に限定する必要はないと思います。「争い」の悲劇と、言えるのではないでしょうか?

「争い」は人間、だけでなくこの世の生物に背負わされた宿命です。その人間、生命にとっての避けられざる宿命が、はかなくも美しく描かれているのです。

 

他の四大悲劇とことなる重大要素 悲劇の動機

ハムレットに関して、他の四大悲劇と大きく違うのは唯一、主人公が単なる悪人や愚か者ではないところです。具体的にどう違うかというと、悲劇に没してしまうことになる動機が大きく異なります。

四大悲劇の他の主人公達は、みな「私利私欲」のために行動し、その結果悲劇を招くのですが、「ハムレット」だけは違います。まじめで誠実な彼は、自らの尊厳のために行動します。争いの渦に巻き込まれながら、それでも皆を愛し、悩み、しかし、それでも避けることが出来ず、最後にみんなとともに死を遂げるのです。

 

領土を取り返すために攻め込んできた、若きノルウェイ王子は最後のその場面を目撃し、こう言います。

「なんという陰惨な光景だろう!」

これは、まさしく人間の叫びです。争いの果てにはこんな陰惨な光景しかやってきません。そして、敵であるはずのノルウェイ王子はハムレットを手厚く埋葬することを誓うのです。

 

四大悲劇の他の主人公たちも皆、最後に死にますが、他に手厚く葬られるような価値のある人間はいません。誠実であるがゆえに、争いを避けられず、死する。こんなはかない悲しいことがあるでしょうか。この宿命が絶妙な悲劇的美しさを添えているんですよね。

 

「争い」の理由

この劇で、簡潔に描かれているそれは、正しく人間の争いだと思います。争いとは、紛争です。悪がいるから、戦争が起こるのではありませんよね。そこに住む人達が愚かだから、紛争がなくならないのではありませんよね。

それはハムレットのような高貴な人間でも、決して避けられぬ宿命なのです。ハムレットのような境遇に置かれたとき、愚かだといって何もしないことや、争いを避けるために相手に迎合することが果たして、人として正しいことなのか?

 

戦争反対も結構ですが、私たちや私たちの家族、私たちの国の尊厳が踏みにじられそうになった時、ただ黙ってみているのがいいのでしょうか。それは私達が理解できることだと思います。

どうして戦争がおこるのか、なくならないのか、それを知りたければハムレットを読めばいいんです。それは決して、馬鹿に出来るような理由ではありません。そこには、悲しくも美しい理由が必ずあると思います。

 

私利私欲のための、愚かな行為の上に破滅する。人間の尊厳を守るための高貴な戦いの上に没する。それはどちらも人間のど真ん中の姿だと思いませんか。これを抉り出し、描ききっているシェークスピアは、私に言われるまでもないですが、やはりすごい!と思います。