久々に古典文学の『マクベス』を書きたいと思います。シェイクスピア三作目です。

シェイクスピアは「人間のど真ん中を描いてくる」と私は思っていますが、四大悲劇において、それは顕著です。この作品も例外ではありません。誰もが持っている、愚かしい部分を描いています。だから、面白いのです。

 

私がこの作品のテーマとして、一番注目するのは、

「非科学的な未来の暗示に傾倒する人の姿」です。

人は誰でも不安を抱えながら生きていると思いますが、その不安の対象はほぼ常に未来の自分です。だから、それを安定させて、安心を得ようとします。しかし、未来なんて確実な予測は不可能ですから、占いなんかにそれを求めるわけですよね。

みんな、その真実味は否定しても、そういったものに一度も頼ったことはない人はいないと思います。勝負事の前に減を担いだり、宗教だったり、自己暗示だっり、形は人それぞれですが。そういったことは、今も昔もまったくかわらないようです。

この作品では、その象徴として魔女が描かれています。まるで絵本のような表現の仕方だと感心します。私はそういうところが好きです。

 

主人公のマクベスとその夫人は、魔女の予言に傾倒していきます。このマクベス夫人はけっこう悪いやつでです。マクベスは意志が弱く、魔女の予言に基づいて暗殺を計画したりしますが、びびってしまいます。しかし、強欲なこの夫人がそそのかし、実行に移らせます。

気高く美しい潔白のデズデモーナとは全然違います。こう言った作ごとの登場人物の違いもとても面白いです。しかし、この夫人も、結局中途半端で、後半怖くなって耐えられず、おかしくなっていきます。この辺がこの劇の重要なファクターだという気がします。

 

重要なのが、「弱い人間」です。自分の未来を決めるのは、自らの意志です。その意志決定には、自らを信じる強さが必要なはずです。例え目的が権力を手中におさめることであっても、自らの意志で突き進むのみだ! であるなら、こんな悲劇にはならないわけです。

 

この夫婦は、強欲でありながら、そういった強さを微塵も持ち合わせていません。だから、魔女の予言なんて胡散臭いものに傾倒し、破滅するのです。魔女の予言に正当性をもたせるために、二人は後から色々屁理屈的解釈を加えていきますが、まさに洗脳された人の姿だという気がします。

こういったことは現代の現実でもいたるところに存在しますよね。まさに普遍的な人間の真ん中の性質といえるのではないでしょうか。

 

「弱いくせに、強欲」

この組み合わせは最悪です。しかし、これは案外誰もが当たり前に持っている性質なのではないでしょうか。その哀れな愚かさを、まるで絵画のように抉り出すこの作品は見事、面白い、としか言いようがないのではないでしょうか。