当ブログ初の芸能ネタでしょうか。ニーズはないでしょうが、当ブログならではの視点を打ち出せるのではないかと、とりあえず書いてみたいと思いました。

単なる芸能ネタでは済まない要素

さて、つい先日福山雅治さんが結婚を発表し、世の女性がVWショック以上のショックに見舞われたということですが、そんな中でも男性の私として気になったのは、TVで聞いた、

 

「相手が吹石一惠さんではしょうがない」

「吹石さんでは非の打ちどころがなく、感情のやり場がない」

 

という声です。

これは世の女性全員求めると言っても過言ではない福山雅治さんの結婚相手という夢のポストを奪った人物が、吹石一惠さんなら悔しいが仕方ないという、納得というより諦めの声ということができるでしょうか。

これは単なる芸能ネタとして何気ないようですが、実は非常に重要な要素があると私は思います。なぜなら、異性の獲得というのは、この世の生物に負わされた絶対的な最重要の宿命なのですからね。それを見事に表現するのは夏目漱石の『こころ』に出てくるこの名台詞じゃないでしょうか。

 

恋の”真実”は『こころ』の「先生」が語る

先生:「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」

私:「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」

先生:「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」

私:「私には二つのものが全く性質を異ことにしているように思われます」  

 青空文庫 -夏目漱石『こころ』-


これは、「先生」の元へ弟子入りした私に先生がその動機を語った台詞です。

「異性を獲得するためにお前は私のところへ来たのだ」

こう先生はおっしゃるわけです。これは、どういう意味かというと、生物学でいうと異性を獲得することとは生物にとって最大の目的であるがゆえに、最大の同性間の争いです。つまりは、異性を獲得するには同性を抑えなければならないわけです。これを恋に上る階段と先生は表現しているわけです。実に美しい表現です。

 

「恋の真実」を今回の件で考えると

さて、話を元に戻しますが、吹石さんは「吹石さんではしょうがない」という想いを女性に抱かせる時点で女性の間で、すでに一定の地位を得ていることがわかります。これは吹石さんが同性に認められるという恋に上る階段を一歩一歩着実に上ってきたことを表しているでしょう。

この点は異性獲得競争において、非常に重要です。これを飛び越えては絶対にうまくいきません。なぜなら、同性は異性獲得の敵であるからです。それは熾烈な争いです。自然をなめてはいけません。攻撃されたり嫌がらせをされるのは当然のことなのです。それが抱かれたい男NO.1の福山さんの相手となれば尋常じゃないほどのはずなのです。

 

「33歳という年齢もいい。若くてぴちぴちのギャルだったら許せない」

 

こんなことも聞きました。これも吹石さんが年齢を重ね、その中で世の女性の納得を獲得してきたことを表しています(もちろん中には嫌いな人もいるでしょうが・・)。若いギャルはその階段を肉体的魅力で飛び越えてしまう力を持っているため、それは許せないということなのです。

 

これは男性側から見ても同じです。吹石さんほどの女性を獲得するにはいくら男前であっても、なんの地位や名声もない男では到底無理な話なのです。そのために福山さんは今までミュージシャンや俳優で頑張ってきたと言っても過言ではないはずですね。まあ、男性の場合はより多くの・・というのがついてしまうんですが、まあ今回はおいておきましょう。

 

以上のことから、今回の二人の結婚は、世間が認めたまさにスーパースター同士の結婚だったということが言えるのではないでしょうか。そして、吹石一惠さんの”したたかさ”に感心したからこそ、こんな記事を書こうと思ったわけです。それに、凡庸な私にはせいぜいそんなことを分析してブログに書くことくらいしか報いる方法はないわけです(笑)。

 

このように、夏目漱石作の『こころ』には、芸能ネタにまで表れる普遍性が潜んでいます。そういうことを発見すると、文学の面白さも数倍になるでしょう。というか、そういうことのために文学はあると思うんですけどね。そんなに遠いものじゃないはずです。

学者のつまらない解説を読むことも否定はしませんが、私の解説も一つ参考にされて見てはいかがでしょうか。

 

最後の最後にそのショックの正体って?

「特別にファンでもないのに、なぜかすごいショック」

こういう声も聞きますね。恐れながら、ズバッと書いちゃいますが、その正体とは、

 

「異性獲得競争における嫉妬を超えた本能的な敗北感」なのです。

 

より魅力的な異性を得ることは男女ともに、一生涯をかけた最も強い願いですからねえ。ネットなんか見ていると、「こんなことでショックなんて下らない」、「理解出来ない」という男性側かららしき声もあるようですが、こうしてみてみると、女性からすれば、

福山ショックは、一生命としての非常に大きな一大事件だった可能性があるでしょう。

 

動物的本能としては当たり前のことという見方も出来るでしょう。きっと、虚栄心の強い女性ほどショックが大きいのではないでしょうか。ショックでふさぎ込んでいるなんて女性が近くにいたら、男性は少し警戒しておいた方がいいかもしれません(笑)。