さて、最近のテクノロジー批判からは趣向を変えて、社会問題の皆さんご存知の例の詐欺について書いてみたいと思います。と言っても、騙されないための指南が出来るというわけではないでし、題名だとなんだか騙されていいみたいですね・・。決してそんなことはないんですよ!

自ら命を絶つオレオレ詐欺被害者のもう一つの悲劇

こんな記事が出てました。

オレオレ詐欺に騙された被害者が、お金を盗られるだけで済まずに自殺をしてしまう事例が出ているようです。しかも、家族に騙されたことを責められた挙句に・・。これはなかなか悲惨です。

いえ、家族が責めたくなる気持ちもわかります。私もTVで見ていて、

 

「なんでこんなことで騙されるんだ?」
「騙される方が馬鹿じゃないのか?」

こんな風に思うことも多々あります。同じように思う方も結構多いのでは? ですが、最近ふと立ち止まって考える瞬間がありました。それを教えてくれるのはやはり名作文学、ビクトル・ユーゴー作『レ・ミゼラブル』です。

それは主人公の「ジャン・ヴァルジャン」が愛する「コゼット」の様態が悪化するのを目の当たりし、取り乱すシーンです。

「死んだのかしら!」と彼は言った。そして頭から足先まで震えながら立ち上がった。

最も恐ろしい考えが混乱して彼の頭を通りすぎた。おぞましい想像が一隊の地獄の神のように襲いきたって、頭脳の壁に激しく押し寄せることもあるものである。愛する人々の身の上に関する場合には、用心深い人の心もあらゆる狂気じみたことを考え出すものである。 

ー青空文庫『レ・ミゼラブル』-

どうでしょうか? 愛する人のことに関しては、用心深い人も狂気じみたことを考え出す。この用心深い人もってところが重要なポイントじゃないでしょうか。この記事を読まれた方は、いや、自分はそんなことはないって自信もって言えるでしょうか? 愛する人ってのは、恋人や奥さんや子供のことで、親はきっと入りません。本当に愛する恋人や奥さんや子供の身の上に何かが起こったと感じられた時、冷静でいられるこが出来る人なんているでしょうか?

こう考えた瞬間に、今まで騙されるはずないと考えていた自分にも疑問を感じました。ましてや、被害者の方は聴覚などに衰えの出てきているご高齢の方ですから、騙されることは決して不思議なことではないかもしれません。

そして、騙された理由として、家族への本当の愛があったとするならば、その理由は決して馬鹿にしたり、責められたりする謂れのないものだと私は思い直しました。名作文学の一文から学んだのです。一見馬鹿なと思えることにも、その裏には立派な理由が潜んでいることがあるものです。

この記事を読んだあなた自身が、オレオレ詐欺に騙されることはないかもしれませんが、あなたの親があなたを愛している限り、例え用心深い人であっても、騙される可能性があることは考えてみておいてもいいかもしれません。ですから、うちの親は大丈夫とか思わないで、騙されて当然なんだという認識を持つことも無駄じゃないかもしれません。

オレオレ詐欺というものは、今更ですが、親に対する子の愛という人間の弱さに付け込んだ、非常に卑劣な犯罪と言えるでしょう。詐欺とは常にそういうものですかね。