今から10万年前、おそらく、人類は、何一つ不自由のない病気や暴力もない、平和で平等なユートピアに住んでいました。そんな人々の理想の社会が、種の絶滅への道だと誰が考えるでしょうか。
理想郷の創作者
当ブログはなぜ、突然「恋愛論」などを語り始めたのか? それはもちろん、突然色気づいたからではなく、それが人類にとって最も深刻なテーマだと気づいたからです。
ヒトの生殖に関して、決定権を握っているのは女性、との理解はとても重要です。
人類学者のフランク・マーロウは控えめな表現でこう記している。
「女性の選択が結婚の決め手となる主要因らしい。若い独身男性は幅広い範囲の女性と結婚する意思があるように見えるからだ」
『ブループリント』 「よい未来」を築くための進化論と人類史 ニコラス・クリスタキス
これは、人類最古の現生人類最古の狩猟採集民族ともいわれるハッザ族に関する言及です。「現代人」とは、違う?
ようするに、ハッザ族は多くの点で、配偶者の価値としてWEIRD社会に暮らす現代人と同じものを重視しているようだ。
私には、どうもそうは思えません。そして、もしかするとこれは、特に男性にとっては、触れてはいけない残酷な現実なのかもしれません。女性は男性が口説き落とすものだとという夢を抱いている男性も、実際かなり多そうですからね。
腕力から扶養へのこうした転換は、前述したようなオスとメス の体格と強さにおける二型性の縮小という証拠とも矛盾しない。こうした分析から予測されるのはメスがすっかり貞淑になることではなく、メスがオスとの間に結ぶ夫婦の絆の強さは、良い遺伝子(最上位のオスが供給する可能性が高い)と、食料と扶養の得やすさ(低位 のオスが提供する場合が多い)のバランスに左右されるということだ。そのような進化のプロセスがいったん始まれば、一種の「自己家畜化」につながるだろう。より多くのメスが、より攻撃的でないオスを生殖の相手とするからだ。その結果、メスがおおむね貞節を守り、おおむ ねきちんと食料を供給するオスと夫婦の絆を結び、集団生活をする種となっていく。そして、私たちは愛 着と愛情の進化への道を歩み始める。
人類における女性の力の増大は、男性の暴力性をそぎ、協力的な社会を発展させ、現生人類の社会生活の礎を築いたようです。「現代社会」を創ってきたのは男ではなく、女だったのですね。
すべてを土台として、より平等な関係と協力が集団内でますます一般的なものとなった。ヒト科の集団に 属する多く メンバーが、遺伝的に、つまり生殖的に近縁の関係にあり、しかも同じ場所に生息していた からだ。しかし、やがて協力が人間の特技の一つとして定着すると、集団内の他者と遺伝的な結びつきを持つ必要性が減っていったのかもしれない。 狩猟採集民の集団(ハッザ族など) 内部に見られる社会的つながりの大半は血縁関係ではない。遺伝学の研究によれば、人間の集団のそうしたあり方は少なくとも三万年前 から存在していたらしい。
人類みな兄弟、う~ん、素晴らしい。家族も他人も境界はなく、全ての人が平等で平和に暮らせる、まさに理想社会じゃないです? それが数万年前に、そこにあったのですよ。
いつから、どのように
ところで、女性はいつから、どのように、そのような特殊な「パワー」を手に入れたのでしょうか。当ブログは繰り返し、しつこいくらいにそのテーマで仮説を語ってきましたが、つい最近それを裏付ける科学的見解が、メディアで取り上げられました。
この太古の交雑について、米ペンシルベニア大学の研究チームが最近、ネアンデルタール人の男性と現生人類の女性という組み合わせに偏っていたとする興味深い説を打ち出した。ただし、交雑がほとんどこのパターンで起きていた理由ははっきりしないままだ。
太古の交雑、組み合わせは「ネアンデルタール人の男性」と「現生人類の女性」か 米研究 CNN
人類が交雑していたことは、周知の事実ですが、その交雑はネアンデルタール人の男性とホモ・サピエンスの女性に偏っていたことが改めて確認されたです。
こうなると、当ブログ読者様は、こう唸るしかないでしょう。「やっぱりか・・」と。
交雑がほとんどこのパターンで起きていた理由ははっきりしない
それは私の中では、もはや明確です。ホモ・サピエンスだけが、裸だったからです。
チームによれば、この現象を最も端的に説明できるのが「男性側に好みがあった」という仮説だ。つまりネアンデルタール人の男性にとって、現生人類の女性や現生人類由来のDNAを多く持つネアンデルタール人女性は、なぜか「交雑の相手としてより魅力的に、好ましく」見えた可能性があると、プラット氏は言う。
これは学会のコンセンサスとは、大きく離れているため、学者はこの答えにはたどり着けません。しかし、これが私の単なる妄想とは言えない根拠をご紹介しましょう。
日本の動物学者、類人猿学者である島泰三氏は、こういっているのです。
この結論、ヒト科もその生命維持について哺乳類の原則からはずれるはずがないというこの結論自体は、それほど目新しい見解ではない。しかし、これを裸化に関係させると、たいへんな推論を導くことになる。その推論はこうなる。
裸化はヒト科にあっても、ただ一属一種の例外的な形質である、と。
「重複する偶然」が二属一一種にまたがって起こることは、確率から言っても不可能である。
ヒト科ではアウストラロピテクス属はむろんのこと、ホモ属でもホモ・エレクトゥ スやネアンデルタールは現生のヒトとは別種であるかぎり、裸ではなかった。
『はだかの起源 不適者は生きのびる』 島泰三
裸は、自然界での生存に不利な形質であり、ヒト科全体に起きることは、あり得ない。裸だったのは、ホモ・エレクトスやネアンデルタール人は、裸ではなく毛むくじゃら、つまり「野獣」だった。
つまり、現生人類を創ったのは「美女と野獣」のカップルだったのです。
山田あい「積極的にオス」オランウータンがIカップをわしづかみ「羨ましい」「なんてやつだ!」 日刊スポーツ
アフリカ南部の内陸国ボツワナに、マカディカディ塩湖と呼ばれる場所がある。まるで白い粉に覆われたように乾燥した大地が広がる、世界最大級の塩原だ。
だが、およそ20万年前は、緑が生い茂る豊かな湿地帯だった。
この古代のマカディカディ・オカバンゴ湿地帯こそ、現生人類(ホモ・サピエンス)誕生の地であるとする研究が、10月28日付けで科学誌「Nature」に発表された。
ホモ・サピエンス誕生の地はボツワナ、最新研究 ミトコンドリアDNAで共通の祖先をたどる、異論も ナショナルジオグラフィック
そこでホモ・サピエンスの祖先は体毛を失い、裸になったのでしょう。
とすれば、人類の起源はマカディカディ湿地帯にある。エデンの園があったとすれば、それはここ以外にない。
ホモ・サピエンスは、醜いアヒルの子のように、七万年ものあいだ、マカディカディ湿地に隠れていた。そして、ようやく姿をあらわしたときには、白鳥になっていた。
超圧縮地球生物全史 ヘンリー・ジー
裸こそが、ホモ・サピエンスが、唯一のヒト科となった決定的な要因なのですよ。
そもそも動物全般に通じる現象として、本来、交雑で生まれた子孫は繁殖能力が低くなる。しかし、ホモ・サピエンスでは、そうはならなかった。
また、国立科学博物館の篠田謙一も、著書『人類の起源』の中で、ホモ・サピエンスがホモ・ネアンデルターレンシスやデニソワ人から継承しなかった“生殖に関する遺伝子”に注目し、「案外、私たちが残ったのは、単により子孫を残しやすかったためなのかもしれません」と綴っている。
私たち「ホモ・サピエンス」という一つの種に絞って、その歴史をたどってみたら、どのような道程が見えてくるのか、というテーマから、そうした進化の道のりの傍に立つ【70の道標(みちしるべ)】に注目してきた“最後の道標”として、「高い繁殖能力」を挙げておくとしよう。もっとも、この特徴が“確定した道標”となるかどうか、いつ獲得されたのかについては、今後の研究の展開次第である。
ホモ・サピエンスの「非常に高い生殖能力」が理由なのか…種々の人類の共存時代の後に、「サピエンスだけ」が唯一生き残った「謎」 現代ビジネス
ちなみに、前出の島泰三氏は『はだかの起源』のなかで、「アクア説」に触れていて、水の中で生活したからと言って、裸が適応的に進化するとは言えない、とばっさり否定しています。
島氏は、裸は突然変異の結果、生きるのに不利ではあるが、たまたま特殊な条件がそろって広まっただけ、自然界では適者だけが繫栄するとは限らない、と主張します。そして、こう続けるのです。
人間だけは裸の体を守る必要がなかったと考えるのではなくて、ほかの裸の獣たちと同じレベルの問題がそこにはあると考えたほうがいい。つまり、自分の体温と水分を保つためには、バビルーサやコビトカバのように水辺で棲むとか、ハダカデバネズミのように穴を塞ぐとか、いっしょに抱き合っているというやり方があると、考えるほうが合理的である。
つまり、水辺に棲むことは、「特殊な条件」に当てはまるのです。しかし「裸がどこで生まれたか?」は、例え海だろと山だろうと、大した問題ではありません。それよりも「いつ裸になったのか?」が重要ですが、島氏はその点に関しても、学界ではなく当ブログの説を肯定してくれます。
この一節は衝撃だった。多くの人にとっては、裸になったのが七万年前でも、一〇 万年前でも、一二〇万年前でもどうでもいいことだろう。しかし、私にとっては極めて重要な問題で、現代人だけが裸のサルなのだということを、『はだかの起原』で私なりに論証したつもりだった。
『はだかの起源 不適者は生きのびる』 島泰三
人類が120万年前に裸になったのだとすれば、これは当ブログにとっても大問題です。しかし、どうぞご安心ください。
二〇一七年末から二〇一八年始にかけて、数人の友人とともにこのロジャーズらの 論文の数式の信憑性についての議論ができたのは、得難い経験だった。この貴重な議 論をへて、一二〇万年前に裸化が始まったというロジャーズらの数値にはまったく意味がないと私は結論した。多数種のホモ属が世界中に生存している時代に、場所も種 も特定せず人類が裸化したと語るのは、人類学の蓄積した事実を無視するものだ。こうして裸化一二〇万年前説は、その根拠とするシラミの系統分類学上も人類学的は事実からも否定された。
この点に関しても、学界のコンセンサスは誤っているのです。ヒト(ホモ・サピエンス)が裸になったのは、やはり「ごく最近」です。
それは生殖を通じて、全人類にあっという間に広がったのです。
人類最大の問題
そして、それこそが人類史上最大の問題となったのです。
当時、クリスティーナの写真をSNSに投稿していた母親のグリケリヤだったが、なかには挑発的に見える写真もあったようで、娘を性的に扱ったとして世間から批判を浴びることに。2014年の『Mail Online』のインタビューでは、「私は、我が子を性的に扱ったというような非難は受け入れない」といい、クリスティーナの写真は汚れのないものだと主張した。
9歳で「世界で最も美しい」と称された少女、クリスティーナ・ピメノヴァの現在──母親が批判された過去も BAZZAR
ヒトの生殖は「生」ではなく「性」に極端に傾き、端的に言えば、つまり、我々の生殖はポルノ化してしまったのです。
カナダのトレント大学(Trent University)で行われた研究によって、アニメファンが「もし現実にいたら付き合いたい・結婚したい」と思うキャラ――つまり「二次元の嫁」や「二次元の夫」がいる977人の恋愛感情を詳しく分析しました。
その結果、見た目の好みが強いほど「性的なつながり」が強くなることや、性格が好きだったり「自分と似ている」と感じるほど「心のつながり」や「愛」が高い傾向が見られるという、現実の恋愛研究でもおなじみの関係がよく似た形で見られました。
「二次元に恋するなんて現実逃避だろ」と切り捨ててしまう人は多いでしょう。
しかしこの研究結果によって、フィクションのキャラクターへの恋心も、人間の恋愛心理のごく自然な一部として理解できる可能性があることが示されました。
「俺の嫁」を科学する研究で、人間の恋愛エンジンは「生身かどうか」を気にしない可能性が浮上 ナゾロジー
しかし、ヒトという一種の動物にとって、そんな甘美が許されるのは、たまたま次に挙げる特殊な条件がそろっている今という一瞬だけだということを知る人は、ほとんど存在しないでしょう。
①捕食者が存在しない
②地球環境が温暖である
現生人類が抱える、将来の生存を脅かす最大の問題は、ずばり性の乱れ、「性的趣向」にあったのです。
なぜ人は、体の特定の部位――とくに胸に、これほどまで強い性的関心を抱くのでしょうか? これは非常に深遠な哲学的思索です。
この疑問には、これまでさまざまな説が唱えられて来ましたが、主に2種類の解釈が中心になっています。
それはいわゆる本能だという生物学的な解釈と、人間社会が価値を感じるよう誘導しているという文化的影響による解釈です。
(中略)
ところが、今回の調査ではそうした文化的慣れ(脱感作)の影響は特に見られなかったのです。
「男性が女性の胸に惹かれるのは本能か?」胸を露出して暮らす部族の男性を調査した研究 謎ロジー
そんなの決まってるだろ! バカなの? この本能を変えることは、とっても困難。それは「神」にとっても、同じことです。
神に似せてつくられた人間という宗教的な観念を「進化論」が打ち破ったとしたなら、「自然淘汰」による「最適者」として生存している「完全な人間」という虚像 を、「重複する偶然」による「不適者の生存仮説」が壊し始めている。
この仮説は、一切の生命現象を説明するなどという大それたことは宣言しない。ただ、人間の裸は適応的形質でもなんでもないこと、その不利益を補う偶然が重なったために、結果として人間は例外的な成功を収めることになったこと、しかし、それは 生態系の破壊につながる問題をそもそもから孕んでいたことを示すだけである。
『はだかの起源 不適者は生きのびる』 島泰三
最後に、みんな何となく思ってはいるけど、言ってはいけない残酷な現実、「王様は裸だ」を放言して、終わりにしましょう。
誰もが、小学校高学年から中学生になったくらいに追ったであろうトラウマ・・「なぜ、人の生殖行為は、あんなにもキモイのか?」
子供に見せられない理由、それは、そういうことなのです。










