「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出たのだ」

とドストエフスキーが語ったと言われれるゴーゴリの『外套』を取り上げてみます。

 

魅力的でない主人公

一人の貧しき真面目な下級官吏が「外套」を何とか新調します。しかし、追剥にそれを奪われ、取り戻すために警察署長や有力者に尽力してもらえるように頼むが、相手にされず叱責され、最後には熱にうなされて死んでしまうという、なんとも不憫なお話です。

 

この小説の主人公アカーキイ・アカーキエウィッチはとても小説の主人公になれるような魅力的な人物ではありません。およそ楽しみといったものはなく、仕事を機械的にこなすだけの日々を送る人です。

 

ゴーゴリは貧しい当時のロシアの社会で真面目に働く、不憫な下級役人にスポットをあて、限りなき憐憫の情をもって描いています。そういう意味ではこれは帚木蓬生さんの『閉鎖病棟』にも似たところがあるでしょう。

 

文明社会への反抗、復讐

文明社会によって虐げられる人々への人間的なやさしい気持ち、情が主人公に与えられ、それは言ってみればその象徴である私たち人間全てへの憐憫と言ってもいいかもしれません。そして、それは我々人間の文明社会への防衛と抵抗の表れと捉えることも出来ると思います。

 

話の最後にアカーキイは幽霊として現れ、彼を叱責した有力者に恨みを述べたのち、外套を奪います。アカーキイが死んだことを知ったときから、アカーキイへの態度を後悔していた有力者は、それ以来、高慢な態度はとらなくなったのです。

 

こうしてアカーキイの復讐は果たされました。それは文明社会への人間性の復讐と勝利と読み替えていいでしょう。ゴーゴリは最後にそれを私たちに届けてくれましたが、その結末はあまりにも悲しく寂しいものです。

そんな風に感じる情とか人間らしさを文明社会を生きる私たちに強く呼び起させてくれるこの作品はとても素晴らしい物だと思います。

 

処女作で師の晩年の名作を超えた天才「ドストエーフスキー」

「我々は皆ゴーゴリの『外套』から生まれ出たのだ」

とドストエフスキーが語ったと冒頭に書きましたが、なるほど彼の処女作『貧しき人々』やその次の『二重人格』などを読んでみると、文体や構成はとても似ていて、彼はこれを真似して作品を作ったのだろうとうなづけます。

ですが、恐ろしいことは「ドストエフスキーは処女作ですでにゴーゴリを超えていた」という事実です。

ドストエフスキーはこの『外套』のような当時の社会への優れた洞察からさらに一歩踏み込み、人間の奥深い真相心理までも描きだしました。その深みは24歳の時に書いた処女作で、彼の師匠ともいえる晩年の名作家の傑作をすでに超えていたのです。

ドストエフスキーのような人をきっと天才と言うのでしょうね。