科学の話題でもう一個書いてみたいと思いました。
色々科学批判のようなことを書いていますが、科学から学んだことも多くありますし、興味はつきないですが、私は文系ですので、難しい話はよくわかりません。
『相対性理論』は原本を読んだわけではないのですが、PHPから出ている素人向けのやさしい解説書を買って読みました。それが廃盤になっていたので、同じような解説書を今回紹介させていただきました。
大学で受けた物理学の授業で、
「運動は相対的でどっちが動いているか決めることはできない。電車に乗って窓の外を見ていると反対車線の電車が動いたのか、自分の乗っている電車が動いたのか、わからなくなる時があるが、その感覚は間違っていない。天動説も別に間違っていない」
という話を受けて衝撃を受けました。
私はそれまで動いているのはどっちかで、実際それと逆を感じるのは錯覚だと思い込んでいました。そして、天動説は間違いだと教えられてきたのです。その感覚は皆さんも同じではないでしょうか。
私の常識は見事にぶち壊されて私はその新たな発想に非常に魅かれたのを覚えています。そして、この『相対性理論』についても、私たちの常識をぶち破ってくれることがいっぱいです。難しい数学的知識がなくてもこれらの解説書はやさしく教えてくれます。しかし、その内容はきっと衝撃的です。
私は相対性理論の表面にそっと触れただけなのでしょうし、ここで詳しく書くことなど来ませんが、それでも一つ重大なことを学ぶことが出来ました。それは客観性というものの怪しさです。
相対性理論の世界では誰もが絶対的だと信じている「時間」や「空間」でさえ相対的で、人の主観に沿って変わってしまいます。つまり、客観的な視点と言うものなどどこにも存在しないという事実です。
この事実は、やはり衝撃です。私たちはどこかに客観的な、絶対的な物が存在すると信じ、己の考えこそがそうなのだと主張し、行動します。
しかし、「時間」や「空間」にさえ客観、絶対というものは存在しないのですから、「考え」なんてもう、その何百倍も個人にとってのものでしかないでしょう。ところが、実際は自分は正しいと皆信じ込んで、結果争いは絶えません。
その愚かしさを私はこの名著、理論から学ぶことが出来ました。名文学と同様にやはりそういった普遍性をこの名理論も持ち合わせているのでしょうね。