電通の新入社員の方が亡くなられた事件によって、一気に日本の伝統的な?働き方に対する批判的な見方が強まっているようです。私も実は日本の風土に横たわるこの働き方に関して大いに疑念を持っている一人であり、このような動きが本格化することは大歓迎であり、当然のことと捉えています。

私が何より疑問に感ずることは、企業は労働者を評価するのに、会社への忠誠心にかなりの優先度を置いているということです。つまり、出世にはビジネス的な能力よりも、会社への忠誠度が最重要視されるということです。

私はサラリーマンでありながら、会社への忠誠心など全く持ち合わせていないダメ社員ですが、そんなダメリーマンの感覚が最近世間とマッチしてきたと感じるので、この記事を書いてみました。

そして、働き方改革は将来の我々の幸せのために必須とも考えられるのです。

従業員は会社の奴隷?

さて、そんな私の意見を書くだけでは、単なるダメ社員の愚痴ということになってしまうかもしれませんので、参考になる博識の方のご意見をご紹介します。当ブログでもたびたび取り上げている橘玲さんのブログです。

http://www.tachibana-akira.com/2017/01/7452

「サラリーマンは会社に忠誠を誓って幸福に暮らしている」というのがたんなる神話であることは、いまでは明らかです

橘さんのお考えでは、日本的雇用では、労働市場の流動性の低さにより、40年会社へ勤め続けることが強要されているとなっています。確かにこれはその通りだと思います。そして、我々労働者が実際にそのように行動するためには、それが「幸せを与えてくれるとを信じる気持ちを作る啓蒙が必要」だということになります。

実際に会社に勤めようとしてみると、このことは露骨に感じ取ることが出来ます。まだ、入社もしていない面接の段階から、会社側には本人の能力を少しでも読み取ろうという努力は感じられず、ひたすら会社への忠誠を試されるような質問ばかりを受けます。

「あたなは私たちの会社のどこが好きなのですか? 私たちに何を注いでくれるのですか?」と。私は受けたことありませんが、たまに聞く圧迫面接とはまさにこのためにおこなっているのでしょう。ちょっと理不尽なことを言っただけで反抗してくるようなやつでは困るという訳です。

「私はこういう仕事が出来ますが、あなたたちのことは今のところ、まだ好きではありません」

と正直に言ったら、きっと採用されないでしょうから、泣く泣く嘘をつく羽目になります。

「私はあなたたちの会社のファンで、入社前からすでにこんなに知っていて、これだけ愛しているのです。だから、ぜひ入れてください」と。

ちょっと、極端かもしれませんが、面接官が喜ぶのはそんな言葉です。日本的終身雇用を守るためには、会社に忠誠を誓うことに少しでも疑問を持つ異分子を入れることは許されないからです。

そして、めでたく会社に入社できた後にほぼ必ず社長に言われるのが、

「会社を好きになれ!」

という宗教じみた薄気味悪い言葉です。会社=社長みたいなもんだと思うのですが、綺麗なタレントさんならともかく、どうやったら小汚いおっさんを無条件に好きになれるというのでしょう・・。どれだけの魅力があると自負されているのか、この言葉は普通に考えて余りにも馬鹿げているし、傲慢です。私のことを好きになれとか言っている人を好きになるわけないし、尊敬出来るはずもありません。好き嫌いなんて完全に個人の自由です。彼らはいったい、なんのつもりでこれを言っているのでしょうか・・?

会社が嫌いだったら確かに問題かもしれませんが、大好きでなくてもいい仕事をする人はいっぱいいるでしょうし、会社よりも好きなことが他にあり、それが生きる喜びの人の方がむしろ大多数ではないですか。

従業員の会社への忠誠心を示す「従業員エンゲイジメント」指数が日本は先進国中もっとも低く、サラリーマンの3人に1人が「会社に反感を持っている」

そりゃあ、そうでしょうねえ・・。彼らが「会社を好きになれ!」という理由はズバリこれではないでしょうか。本当は自分の従業員達が会社に反感を持っていることを知っていて、それを何より恐れているからです。

 

日本電産の働き方改革

日本電産の永守社長が、働き方に関して「今は昔と正反対のことを言っている」と語っていました。日本電産は今は残業ゼロに向けた取り組みを強化し、うまくいっているそうです。その転換の早さはさすがのカリスマ社長といったところでしょう。

「時代が変わってきている。今のグループ従業員約11万人のうち、日本人は1万人。日本の働き方、考え方だけでは通用しない。欧米にある子会社は残業ゼロなのに業績は悪くない。それをみると、日本の働き方がおかしいんです。売上高が1兆円を超えたら働き方を変えようと考えていた」

そして、こう続きます。「そうじゃないと採用が難しくなった」。これは裏から見ると、労働者に会社に忠誠を誓わせるやり方の欺瞞を見抜かれた、と言っていると思えませんか? だから、経営者として労働者に有利な働き方を提供しないとうちに来てもらえない、平たく言うと、永守社長がおっしゃっていることはそういうことだと思います。

 

googleの人事制度

まるで主従的ともいえる日本的雇用ですが、では、働き方先進国の制度にはどのようなものがあるのでしょうか。先進企業の代名詞とも呼べるようなgoogleの人事制度を過去記事で紹介したことがありましたが、例えば「上司を部下が評価する制度」があったり、「自分より優秀な人だけを雇う」という発想の元、管理職の中途採用を行う際、「将来の部下が将来の上司を面接する制度」があるそうです。

日本ではまったく考えられない制度ですが、事実このシステムを採用しているgoogleが世界の覇権を握りそうなほどの勢いと実力を持っていることは誰でも知っていることです。もし仮に、あなたが将来の上司の採用の面接に立ち会ったとしたら、「いかにうちの会社を愛しているか」を尋ねますか?

 

忠誠で幸せになれたのは一握りの運のいい人

橘さんは、サラリーマンが会社への忠誠で幸せになれるというのはたんなる神話と断言します。しかし、私はそれで幸せになれた人も実際多数いただろうと思います。で、なければここまでそれが主流になるはずがありません。しかし、その幸せを作ったのは忠誠のおかげではなく、その会社をそこまで成長させた先代の勇気と挑戦のおかげではないでしょうか。

その結果の恩恵を日本社会は、会社に忠誠を誓うという形で、ご褒美として受け取ってきたと感じます。ですが、その貯金もとうとう使い果たした昨今、結局は自分たちで何かを生み出さなければならないことにやっと気が付き始めたということではないでしょうか。「何かをなさなくても忠誠だけで幸せになれる」は一時だけのユートピアであったということでしょう。

実際は、本当は、世界との戦いの結果の幸せをつかむためには、私たちはその偉大な創設者たちと同じように、挑戦によるあくなき変革が必要だったということでしょう。

 

働き方改革で日本は復活できる?

そのためには、今の日本の制度ではダメだということは橘さんの記事から分かった気がします。では、効果的な働き方改革を実行することで、日本は世界と同等以上の一人当たりの生産性を手に入れ、「ジャパン・アズ・ナンバー1」という称号を再び掴むことが出来るでしょうか。

実際、この根は非常に深く、そう簡単にはいかないかもしれません。個人的には日本の受験制度からすでにこの忠誠を誓う制度の一部と化しているのでは? と思っています。偏差値ってどれだけ忠実に言われたことを実行できるかを競う数値じゃないですか? 違いますかね。

しかし、考え方によっては、価値観さえ変わってしまえばあっとに言う間に出来るとも言えます。物理的な問題よりも精神的な問題の方が大きいと感じるからです。だって、今経営者になっている人はせっせと会社に忠誠を誓ってきた人、それに耐えてきた人が大半なのですから。いきなり、それが駄目だと言われても、なかなか受け入れられないというのは当然かもしれません。

日本的な終身雇用制度は日本人の幸せにつながっているから守るべきという考えもあるそうです。しかし、それはやはり幻想です。世界で勝てないのならば、それはいずれ崩れ去ることは必至だからです。 勝てない企業が従業員達に幸せを配れると思いますか?

なぜなら、現代の幸せとは戦い、奪い合いの結果手に入るものというのが、一つの紛いない残酷な事実だからです。敗者に幸せは決してやってこないのです。しかし、私は日本人ならきっと再び世界にも勝てる生産性を手にできる!と盲目的に信じていますが、どうでしょうか。

P.S.

日本の雇用制度はまるで、主従関係の奴隷制度の様。こんな悪しき風習による日本社会の衰退をものの見事に予言している超有名な文学作品があります。それは、かのシェイクスピアの『リア王』です。

『リア王』では、忠誠を誓ったふりをした長女、次女に老王リアは土地を与え、真心で苦言を呈した三女を放逐してしまいます。その結果、リアは長女と次女の裏切りに会い、自分も国をたたき出されてしまうのです。そして、最終的にイングランドは他国に滅ぼされ、リア一家は全滅となったのです。