この記事は前から書こうか迷っていたのですが、先日通勤中にある車内広告をみて、背中を押されました。

今回は「シカクいアタマをマルくする。」記事です。

ニュースの「真実」

電車内で見かけて、思わず心の中でニヤリとしてしまったのが、こちら。

とってもいい問題ですね。中学入試の問題なので小学6年生向けですが、大人こそ考えた方がいいと言えそうですね。

この問題は、ニュースには「真実」が存在しないことを物語っていますが、同時に昨今その代替えとして存在感を増したネット空間にも、それがないことを教えてくれています。

「メディア」と「言論」の意味

2020年のパンデミック発生以来、感染症の科学的な「真実」への注目が一気に高まったわけですが、その流行はその6年前からです。

オックスフォード英語辞書は16日、2016年世界の今年の言葉は「post-truth(ポスト真実)」だと発表した。「非常に緊迫した」政治的な1年を反映する言葉として選んだという。

「ポスト真実」が今年の言葉 英オックスフォード辞書 BBCNEWS JAPAN

当ブログの読者様において、この記事は今、改めて読み直してみると、事の次第がものすごくよくわかるのではないか、と思いますが、いかがでしょうか。

オックスフォード辞書によると、「post-truth」という表現が最初に使われたのは1992年。今年になってさかんに使われるようになり、使用頻度は前年比2000%だったという。

(中略)

グラスウォール氏は「ニュースを得る場所としてソーシャルメディアが台頭し、既存の組織や媒体が提供する事実への不信感が高まるに伴い、概念としての『post-truth』はかなり前から言語的な立場を固めつつあった」と話す。

「まず今年6月のブレグジット騒ぎで使用頻度が急激に上がり、7月にドナルド・トランプが共和党候補になるとまた頻度が上がった」

まあ、そういうことなんですよ。「真実」は、「彼ら」の政治目的のために利用されているということです。

「彼ら」はよく「光と闇」とか言ってますよね。私はそれを揶揄して、「あいつらが言ってるのは、照明の当たり具合のことだ」と書きましたが、あながち冗談とも言えません。

冒頭で紹介した清泉女学院の入試問題が示すように、メディアはどこに光を当てるのかを調整しているに過ぎないからです。

素敵なルックスで華やかなショーを踊るアイドルのお尻は、実はいぼだらけだ。

これが「真実」の正体です。申し訳ございません。例が非常に悪かったので、後で差し替えますね。

大手メディアというのは、非常に強い照明を持っていますから、当然人の意識を強烈に引き付けることが出来ます。しかしそうなると、その他の面が、非常に暗くなります。

するとここに「言論」の存在価値が生まれるのです。言論の存在価値と役割とは、光の当たらない箇所に人の意識を向けることなのです。

決して「真実」を語ることではありません。

これらの本質を分かってない大人が多すぎ! 中学受験からやり直せ・・あ、すみません。ちょっと興奮しすぎました。

科学の「真実」

さて、気を取り直して「科学」における真実について考えてみましょう。私も科学も「メディア」と同じで「真実」を語ることは出来ないと考えています。

物理学というのは、「現実はどうなっているのか」という問いに対して、実験や理論によって答えようとする学問だ。しかしファインマンは、「量子論を解釈するのは止めよう」と言っているのだ。もはやこの発言など、物理学者による敗北宣言としか思えないだろう。

天才科学者の誰もが「ぶっちゃけよく理解していない」、それが量子力学である 本がすき。

現代科学の最先端の量子力学は、科学には「真実」は存在しないといっているように私には思えますが、いかがでしょうか。

例えば「丸いものは高いところから低いところへ転がる」という科学的な「真実」がありますね。しかし、実際に外に出てやってみると、この話が「嘘」であることが分かります。

土手に行って、坂の上の方にボールをおいても、まったく転がらないですよね(笑)。なぜなら、草がぼうぼうだからです。

「草を刈って石を取り除いたうえで、平らに踏み固めて、適度な重さと固さの丸いものを用意すれば、坂を転がるでしょう」

なんだか科学法則さんって、随分わがままなやつだなあ!

実際、科学の「真実」には、多くの前提条件がつきます。そして「科学法則君」が、いかんなくその「長所」を発揮できるように整えられた舞台、その設計図こそがテクノロジーです。

科学の法則は、自然界では、そのままでは使えないものばかりです。

物は高いところから下へ必ず落ちるじゃないか? いや、星の上だけじゃん! 宇宙では絶対的な自然法則なんて、存在しないのではないでしょうか。面白いことに、自然に近づくほど「真実」は失われていくのです。

ですから、私にとって科学の真実とは「あの人って怒りっぽい人だよねえ」というのと、あまり変わりありません。

「へえ~、そうなんだあ」とは思いますが、きっと「いや、意外と優しい人だよ」という人もいるはずですから。

「真実」の実在

これまで、「真実」の存在を否定する話をしてきましたが、この「真実」が、実際に存在する場面もあります。

例えば殺人事件には、必ず「真犯人」が存在しますよね?

人が意図的に起こした行動に対しては、真実が存在するのです。特にそれが「個人」の場合は、顕著です。逆に集合体になるほど、「真実」の度合いは薄まっていきます。政治は集合知の結果のはず、ですので「真実度」は個人の場合に比べて薄いです。

そういう意味で「陰謀」には、もちろん「真実」が存在します。しかし、問題は、特に国際政治上における「陰謀」について、我々が「真実」を知ることは、決して出来ないということです。

だって、相手は「情報機関」ですからね。「真実」が漏れてくるはずがないのです。ですから「真実」は存在しないも同然で、今あるのは冒頭で書いた通り、政治目的のために流されたもの、なのです。

という訳で「真実病」にご注意をというのが、今回の記事の趣旨になります。「真実の真実」という題名にしましたが、それも真実ではないない、という実にややこしい記事になります(笑)。