小説の神様と称される志賀直哉の短編を取り上げてみました。
屋台のすし屋に小僧が入ってきて、手に取ったすしを食べずに出て行く、たったそれだけの事実から生まれた。
と岩波文庫の紹介に書いてあります。
すしを食べることが出来ずに店から出てしまった小僧。それを目撃したAは、小僧に知られることなくこっそりとすしを奢ってやることにします。小僧はもちろん大喜び、奢ってくれたのはきっと神様に違いないと信じます。
さて、奢ってやったAはさぞかし気持ちのいい気分になれただろうと思いきや、変に寂しい嫌な気持ちに囚われます。そして、奥さんにそのことを話します。すると、
「そんなさびしいお気になるの、不思議ね」
といった後、不意に
「ええ、そのお気持ちわかるわ」
と言います。
全編もたったこれだけの話しなんです。他に大それたことは何もありません。深い哲学や文明批判もありません。
「ええ、そのお気持ちわかるわ」
なんとも言葉では表しにくい微妙な、しかし誰もが持っている心の領域を強烈に読者に感じさせることがこの小説の醍醐味なんじゃないでしょうか。
志賀直哉は范の犯罪のところでも書きましたが、この心の絶妙な領域を見事についてきます。
そして、おそらくこれを表現できるのは小説だけでしょう。こんな人間の気持ちの微妙な領域を表現し、共感させる手段は他にありません。だから、これぞ本物の小説でそれには必ず大それた哲学なんかは必要ないのです。
「ええ、そのお気持ちわかるわ」
これをたった数十ページの物語で成し遂げてしまう志賀直哉はやはり小説の神様と呼ぶにふさわしいと私は思います。