久々にエンターテインメント系の小説を取り上げてみたいと思います。

「江戸川乱歩賞受賞」ということですが、解説を読んでみると結構賛否があったようですね。
それはなぜかと言うと、作品を読んでみるとすぐに分かると思います。解説にも書いてありますが、まず読んでいて誰が主人公なのかさっぱり分かりません。

文学としての小説を考えた場合、この作品はそれに値しないと言ってもいいかもしれません。私も終わりの頃でこのまま終わりかな? 無駄な時間を過ごしてしまったかな、なんて考えていました。

しかし、最後の最後のオチがその評価をいっぺんさせてしまいました。むしろ、前半の小説としての成立が危うい部分がかえってフリとしてのその部分をより強力にしているような気がします。この小説つまらないんじゃ・・・から最後にそれをいっぺんさせてしまうわけです。

これはなかなか強烈だと思いました。わざとおかしな風に書いているとしたら、かなりのしたたかさですが、どうでしょうか。

 

『注文の多い料理店』のところで、所謂お笑いとの類似点を書いていますが、この作品もそういった形態の作品と言えるでしょう。本編のほぼ全てがオチのためのフリとなっており、それはお笑いとまったく一緒と言えるのではないでしょうか。

私はそう言った形の作品は好きですね。最後のオチの部分は遅れてネット上に公開されたらしいですが、そういったやり方もとても面白いと思いますね。結果、騙され、虚をつかれた。それは最高に面白い要素で、他の細かいことはどうでもいいことかもしれません。

 

※以下、一部ネタバレです。
ネットで見ると、黒幕の存在は分かってしまうし、手紙はいらいないというようなことも書いてありましたが、どんでん返しの重要なファクターは誰が黒幕かではなく、その動機だと思います。

手紙がなければそれは知りようがありません。重要なファクターは結局、あれだけ極めて人間的な動機を作って描いてきて、それが主題だと言わんばかりだったのに、最後の最後にそれを自らぶち壊してしまうということです。

その壊しっぷりがすごいです。映画『サイコ』と同じ構図ですね。ただ、映画は題名『サイコ』ですが、これを読んでいって、サイコホラーだとは誰も思わないでしょう。それは手紙を読むまでは分からないはずです。それを作れるのは作者だけなんです。ただなんとなく、たまたまそうなった感も少し感じるんですけどね・・・

 

しかし、江戸川乱歩賞の応募当時にはそのオチの大きな中身は添えられていなかったとか。審査員はよくこれを選んだものです。私は自分でフっておいてその答え(オチ)も用意していないような作品はなしだと思っています。

この手法はたまあに見られ、ありだと言う人もいるようなのですが、それはオチのないコントのようなもの、正解のないクイズのようなもので成立していないと私は考えます。やはり追加された「ある人物からの手紙」は作品に絶対不可欠の物だろうと思いますね。