刺激的なサスペンス性溢れる内容
この作品、誉れ高いギリシャ古典悲劇の最高傑作ということで有名なので、さぞかし格式高い、堅苦しい話なのだろうと思い、覗いてみると、意外や意外、その非常に刺激的なサスペンス的な内容に驚かされます。
よく小説は、「文学」と「エンターテイメント」にジャンルわけがされますが、この作品はおそらく「エンターテイメント」に分類されるのではないでしょうか。こんな古典でそれは不自然でしょうか。しかし、あらすじを覗けば少しはそんな気がするかもしれません。
この作品、誉れ高いギリシャ古典悲劇の最高傑作ということで有名なので、さぞかし格式高い、堅苦しい話なのだろうと思い、覗いてみると、意外や意外、その非常に刺激的なサスペンス的な内容に驚かされます。
よく小説は、「文学」と「エンターテイメント」にジャンルわけがされますが、この作品はおそらく「エンターテイメント」に分類されるのではないでしょうか。こんな古典でそれは不自然でしょうか。しかし、あらすじを覗けば少しはそんな気がするかもしれません。
前回、少し取り上げさせていただいた宮沢賢治の『注文の多い料理店』について書いてみたいと思います。
『オリエント急行殺人事件』にお笑いの要素がある、と言ってもなかなか理解されにくいことかもしれませんが、この『注文の多い料理店』であれば、少し分かりやすいのではないでしょうか。この結末を知ったときに、くすっと自然と笑みを浮かべたという方も多いのでは?
久々の更新で四大悲劇で最後の紹介になる『ハムレット』を書きたいと思います。
シェイクスピアは「人間のど真ん中を描いてくる」と、本当に何度も書きましたが、この作品もまさにそれです。『復讐の悲劇』とよく言われますが、「復讐」に限定する必要はないと思います。「争い」の悲劇と、言えるのではないでしょうか?
「争い」は人間、だけでなくこの世の生物に背負わされた宿命です。その人間、生命にとっての避けられざる宿命が、はかなくも美しく描かれているのです。
『ジーキル博士とハイド氏』のところで、紹介した『二重人格』が今回です。
「主人公は小心で引っ込み思案の典型的小役人。家柄も才能もないが、栄達を望む野心だけは人一倍強い。そんな内心の相克がこうじたあまり、ついにもう1人の自分という人格が現れた! 精神の平行を失い発狂してゆく主人公の姿を通して、管理社会の重圧におしひしがれる都市人間の心理の内奥をえぐった巨匠の第2作」
これは岩波文庫の表紙の解説です。これは見事にこの小説を表しているな、と思いますが、
「管理社会の重圧におしひしがれる都市人間」とは何かというと、それは私たちサラリーマンです。サラリーマンだけとは限りませんが、一番分かりやすい例ではないでしょうかね。
今更推薦する必要などない、この小説をあえて取り上げてみようと思いました。
世界文学の最高の作家と賞されるドストエフスキーですが、もう一人の巨匠のシェークスピアと比べると、立体的なイメージがあります。シェークスピアは人のありのままを平面、まるで美しい絵画のように描く印象があります。マネやモネや、ゴッホのようなイメージです。
それに対して、ドストエフスキーはありのままプラス「創造的思想」、が加わっていて、立体的な感じがするんです。未来への予見といったものも感じられます。ピカソのイメージですかね。
久々に古典文学の『マクベス』を書きたいと思います。シェイクスピア三作目です。
シェイクスピアは「人間のど真ん中を描いてくる」と私は思っていますが、四大悲劇において、それは顕著です。この作品も例外ではありません。誰もが持っている、愚かしい部分を描いています。だから、面白いのです。
私がこの作品のテーマとして、一番注目するのは、
「非科学的な未来の暗示に傾倒する人の姿」です。
芥川龍之介の『藪の中』を、取り上げてみたいと思います。
私は、これを始めて知ったのは、黒澤明監督の映画『羅生門』を見てです。この映画の原作が『藪の中』だと、終わりのテロップで知りました。映画はとても、面白く、悪いことをするにも自らの正義を、隠れ蓑にする人間の弱さが描かれていたように思います。
人は、自分を正しいと思ってしか行動できないということです。例え、誰から見ても、悪いことであっても。私は、原作も当然そういった趣旨のものだと、思い込んでいました。しかし、実際、原作を読んでみると、その違いに驚かされました。
ホラー小説の古典といってもいい、こちらの作品です。誰でも、一度くらい題名を聞いたことがあるくらい有名ですね。テーマはご存知の通りの「二重人格」ですが、医学的な病気としてのそれをリアルに描いたものかというと、そうではないようです。作者の意図はもう少し別のところにあったと思います。
シェイクスピアの2回目です。同じ作家で二つ目は、初めてですね。やはり、それだけ面白いということでしょうか。こちらは、嫉妬の悲劇ということで、よく評されています。正しくその通りですが、「男の嫉妬」といっていいでしょうかね。
この物語は、馬鹿な男二人によって引き起こされる悲劇ですね。男の欲というものを強く感じる作品です。男の欲といえば、もちろん性欲です。それに翻弄された愚かな男たちとその犠牲者の女たちという分かりやすい形となっています。
ヒロインのデズデモーナには、まったく罪はないです。テーマから言って、シェイクスピア作品の中で、一番エロイといっていいかも知れません。だから、面白くないはずないのです。
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