最近、人工知能やロボットに関する話題が多くなってきましたね。囲碁や将棋の世界では、A.I.は圧倒的に人間を凌駕するまでに進化してきました。さて、そんな人工知能が進化した未来について、「恐ろしい」という人がいる一方、「ロボットの発展によって、みんなが幸せになれる社会がやってくる」と考える人がいるようです。そして、そんな見解を主張する記事なども増えてきたように思います。
当ブログでは、ロボットや人工知能に関して、ほとんど独自と言っていい、他とは一線を画す捉え方を提唱してきたつもりです。そして、今回のテーマに関する考え方は、記事名ですでに分かると思いますが、残念ながら、非常にネガティブです。「ロボットが運ぶみんな幸せな社会」は、単なるまやかしに過ぎないことは、ここでお伝えしてきた内容をまとめれば、簡単に分かってしまう気がしているのです。
ロボットが幸せを運ぶ理由
ではまず、ロボットが幸せな社会を作る、と主張する方の根拠を探ってみましょう。
ロボットが代わりに働いてくれるから働かなくてよくなる
これがロボットが幸せを運ぶと信じる方の最大の理由ですね。「ロボットに仕事が奪われる」、どなたも最近一度は、そう言うよろしくない未来についてのお話を耳にしたことがあると思います。それをポジティブに変換した発想だと言えるでしょう。「仕事を奪われる」のではなく、「あなたの代わりに働いてくれる」のだと。
~ 日経BP net ~
この記事の通り、近い将来、実際にこれは起こることだと思います。技術的には十分可能だと考えられますね。じゃあ、やっぱり、この中島教授が言うように、
やりたくないことはやらなくてもいい。お金に関係なく、やりたいことをやればいい
という世界がやって来るのか、というとやって来ると思います。お金に関係なく、やりたいことをやればいいなんて、なんと素敵な世界でしょう。これはまさに夢、偉い教授が言っているし、やっぱり文明の進歩はすばらしく、未来は明るいのでは? そう思われた方もいたかもしれません。 しかし・・、誠に残念ながら、そんな世界は”私やあなたに”やって来る可能性は非常に低いと言わざるを得ないのです。
私やあなたに誰が幸せをくれるのか
私がそう考える、第一の理由はこれです。私やあなたにいったい誰が幸せを運んでくれるというのでしょうか。ネット上を見ていると、ロボットが発展すれば、自分が無条件にその恩恵にあずかることが出来ると考えている方もいるようなのですが、これはかなり甘い考えではないでしょうか。
技術的にロボットが労働の代替になることは可能だと思います。しかし、それとは別に、生み出される富の話を考えなければなりません。この富は誰の物でしょう。今度は、政治や経済のお話です。
これから先、ロボットを開発するのは人です。そこには当然、相当の労力を要します。その対価として、開発者が莫大な富を得るのは当然のことでしょう。そして、元々その対価を払える富を持っている方は、ロボットを所有し、きっと幸せな生活、お金に関係なくやりたいことをやればいい、という生活を営むことが出来るでしょう。
しかし、私や(失礼ながら)あなたは、きっと、そっち側の人間ではありませんね。では、そんな私達に、誰かがその幸せ、富を分けてくれると言うのでしょうか?
国が強制的にそういう社会にすればいい、そう思う方も結構いるようです。これはどこかで聞いたことがある発想ですね。そうです、これは共産主義の考え方ですね。ちなみに共産主義とは、
財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざすその理念
~ ウィキペディア ~
だそうです。人類史上、共産主義が全くの失敗であったことは明らかだと思うのですが、ロボットが発展すると、この主義が復活し、いい社会になる、と言うことなのでしょうか。私は個人的に、共産主義が失敗した理由は、その理念が余りにも人間の本質とかけ離れているからだ、と思っています。
代わりの現在の世界の主流は、資本主義ですね。色々と弊害が指摘される資本主義ですが、その一番の問題点は、格差が拡大していってしまうことですね。富める者はより富み、貧しいものはより貧しくなっていくということです。ちなみに現代の富は、62人の大富豪が独占していて、その富を平等に分配すれば飢える人はいなくなるのだとか。
これは、ロボットの存在有無に関わらず、すでに人類はみんなが幸せになれる十分な富を手にしていて、一部の人は「やりたくないことはやらなくてもいい。お金に関係なく、やりたいことをやればいい生活」をすでに実現している、ということではないでしょうか。
ロボットが出てくると、その富が全人類に平等に配られる? 私にはどうもそうは思えません。もし、そうなら、すでにある程度、そういう世界になっているはずです。少なくともその一端くらいは覗けるはずです。でも、現実は真逆で、格差はより拡大しています。ですから、この先この動きがより加速していく、と考える方が普通、自然ではないでしょうか。
ところで、資本主義が現在の世界の主流となっている理由は何でしょうか。それは、人間の本質により近かったから、ではないでしょうか。
AIを活用することで、会社組織だって、株の仕組みだって変えられるし、極論すれば、資本主義だって変えられる
先程の記事で中島教授はこうおっしゃっています。偉い教授が言うのですから、技術的にそれは可能なのでしょう。しかし、こんなことはきっと、起きませんし、もっと言うと、彼らは起こさせないでしょう。彼らというのは、一部の優位な人たちのことです。なぜかと言うと、それが人間の性質だからです。
ですから、「ロボットが進化したら、富を誰かが分けてくれる」なんて、子供じみた妄想はさっさと捨てた方が身のためだと私は思います。
人工知能は恐れない方がいいのか
A.I.を恐れるべきではなく、うまく付き合う方法を考えるべきだ、という人がいます。これはある意味あっていると思います。これからの社会は、A.I.の活用を避けて通ることは出来ないと思うからです。文明の進歩に反逆することなんて、決して出来ません。ですから、あなたがビジネスマンであるならば、いち早く取り入れる方法を考えるのが賢明だと思います。
うまく行けば、働かずに幸せな一部の人間になれるかもしれません。
しかし、一人の人間として、人工知能を考えた場合、どうでしょう。本当に恐れないでいいのでしょうか。
AIは使って便利なんだけど、ちょっと不気味
先程の記事の中で、これは単なる不安感なのだから、乗り越えればいい、というようなお二人の見解がありますが、私は私たちの感じるこの感覚はそう軽く扱っていいものだとは思いません。人間の感覚に軽く扱っていいものなどないのです。
当ブログでは、この「ちょっと不気味」という感覚の理由もずばり明言しています。それは、ロボットは非合理性を持たないから、としています。人間は、合理性と非合理性という重大な二面性を持ち合わせているが、ロボットにはこのうちの合理性しか存在しない、これが、私たちに不気味さを感じさせる理由で、危険な理由そのものだと書いてきました。
科学者にも余り知られていないのですが、人間の脳にはある片側の性質が、人工知能にはまるっと存在しないのです。そんな彼らを、人間と同じか、もしくは超えた存在だというのは、勘違い甚だしく、社会を任せるなんてそりゃあ、危険だよ、という話なのですね。
「人類の文明にとってAIはリスクに」テスラCEO 、規制の必要性を指摘
~ ZUU online ~
ですから、私はこのイーロン・マスクさんに賛成です。実際に、株式市場においては、超高速取引を操るA.I.は、市場を混乱させるとして、忌み嫌われ、規制の対象にさえなりつつあります。これが、実体社会だと別だ、という風には私には考えられません。
ちなみに、他にもかの有名なホーキング博士も人工知能の未来に関して、警戒を示しています。対して、googleの会長のシュミットさんは、「そんなに恐れることないよ。それにイーロン・マスクやホーキングは専門家じゃないしね」と言っているようです。
しかし、私に言わせると、専門家が一番信用できない。なぜなら、これから大いに発展させようという人工知能の専門家が、自分たちに都合の悪い話を言うはずはないからです。これは彼らが何かを隠しているという陰謀論ではなく、人間は、そもそもそういう思考が出来ないのです。自分に都合の悪い思考は、決して働かないのです。高名な科学者だろうと一緒です。
ですから、私たちは専門家の言うことは鵜呑みせず、自分自身の頭で考える必要があるのです。
最後に
今回は、少々ネガティブな内容となりました。将来については、もっと明るく考えた方がいいんじゃないか、そういう意見もきっとあることでしょう。でも、私は、科学は単にハイリスク、ハイリターンの道具だと考えています。だから、巨大なハイリターンをもたらす道具は、そのハイリスクを十分認識することは非常に重要だと考えています。
リスクから目をそらすことは楽ですが、そのリスクをより高めることに繋がるからです。
今回の記事で、人工知能、ロボットがみんなに幸せを運ぶかどうか、また、それらを恐れるべきか否か、という答えが出ましたでしょうか。もちろん、それは私とは全然違う見解かもしれません。