ちょっと空いてしまいましたが、今回カフカの『変身』を書いてみたいと思います。

まず、あらすじはと言うと、ご存知の通り、かの有名な

「ある朝グレゴールザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹のとてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた」

-青空文庫 フランツ・カフカ 『変身』-

という一文から始まり、毒虫に変身してしまったザムザがいろいろともがくも、家族から忌み嫌われ、排斥を受けたのち、とうとう最後には死んでしまい、そして、家族から喜ばれる、という何とも奇妙な話です。

 

私は、はじめ、この話を読み終えた時、この『変身』に込められた深い意味を読み解けなかったと感じました。そういう意味では頭に?マークが点灯していた訳です。ですので、少々、調べてみました。するとNHKの「100分de名著」と言う番組があり、その中で取り上げられていたので、その解説を読んでみました。ですが、どうもしっくりきません(笑)。

なるほど、確かにわからないことはないのですが、しかし、どうもしっくりこないのです。

「疎外を表している。人間扱いされなくなる。」

だって、ザムザは虫ですよ・・。人間扱いされないってそりゃあ虫けらですからね・・。

「最後には妹までもが、「あれはもうお兄さんではない」とさけぶ」

ええ、だって虫になってしまったんですからね、当然もう兄さんではないでしょう・・。

「困った虫がいなくなった開放感に満たされ、休日を楽しむ家族。そこには人間の残酷さが鮮やかに描かれている」

そんな巨大な虫に家の中をいつまでもうろうろされてはたまらないでしょう。そりゃあ、うれしいですよ。

「たやすく失われてしまう、人間の尊厳」

いやいや、虫になってしまったんですよ。彼は虫っぽい顔の人でもなければ、自分を虫だと思った人でもなければ、ましてや、蠅男でもなく、完全な虫なんですよ。どこが「たやすく」なんですか? 人はたやすく、ある朝突然虫になってしまうんですかね・・。

 

と、こんな突っ込みを入れたくなってしまいます。あたかも、重大な人間の特筆すべきことを表しているように言ってますが、ザムザは、虫になってしまったんですから、人間扱いされないなんてあまりにも当然じゃないですかね。

家族は残酷とか言われちゃってますが、虫ケラになってしまったザムザを人間扱いしていつまでも優しく接してあげる方が異常で、むしろそっちの方がおかしく、おもいしろいんじゃないでしょうかね。

 

ですから、私はこの解説に書いている「深み」をこの小説の醍醐味、テーマとは思いませんでした。では、いったいこの小説のテーマとは?

 

もちろん、私にとってということですが、この小説の醍醐味、テーマとは

 

「ある朝グレゴールザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹のとてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた」

 

この開始の一文、これが全てなのではないかと考えています。この出だしの一文のインパクトは衝撃的で、これだけで十分この小説に大きな価値があるのではないかと思います。文学において唯一無二の出だしです。

いわゆるお笑いでいうところの「出オチ」と言うやつではないでしょうか。私は『注文の多い料理店』のところなんかでも、お笑いと文学の意外な類似点と言うものを書いておりますが、こちらもそういった点を見いだせる作品なんじゃないかと考えます。

 

「朝起きたら理由もなく巨大な虫になっており、家族から嫌われ、リンゴをぶつけられ、最後には死んでしまう話」
なんとも、悲惨な、でもちょっと視点を変えればおかしい、おもしろい、笑える話ではないですか? そんな唯一無二の文学の価値はとても大きく、芸術の極地と言ってもいいのではいでしょうか。

 

フランツ・カフカはNHKの解説のようなことを伝えるためにこの小説を書いたんでしょうし、まさか笑わそうと思って、この小説を書くわけはないと思います。NHKのような「深み」の解説は正しいのだとも思います。

しかし、この奇妙な小説には、そんな深みはむしろどうでもよく、結果としてその奇妙さは笑いを生み、おもしろい小説には必ず「深み」は必要ない、そんな奇妙な読み方が一つくらいあってもよいのではないかと思いますが、どうでしょうかね。