とにかく”べらぼうな”作品
昨日、TV東京の『美の巨人たち』を見たのですが、岡本太郎さんの『太陽の塔』が特集されていました。私は元々、岡本さんの特別なファンと言う訳ではないのですが、今回、改めてこちらの作品を見させて、その「無意味さ」に驚愕したため、記事を書いてみたいと思いました。
「とにかくべらぼうな物をつくってやる」
大阪万博のシンボルとして依頼を受けた岡本さんはそう息巻いていたそうですが、この言葉には全く嘘はなく、その”べらぼうさ”加減には舌を巻くばかりです。
ちなみに、「べらぼう」とは、「程度が尋常でないこと」と言う意味だそうですが、この他に単に「アホ」や「馬鹿」と言う意味もあるようです。私は、一見、難解で深遠な意味を含んでいそうな『太陽の塔』は、実はべらぼうの二つの目の意味で捕らえた方が理解できるのではないかと思っています。
つまりは、『太陽の塔』とは、「とにかくアホな物」と言うことです。そして、その舞台が「大阪万博」であるということが、重大な意味を持つのではないか、と。
当ブログ的に言うのならば、それは「非合理的な物」ということになるのですが。
万博とは
順を追って考えてみます。まず、万博とは何でしょうか。大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマとした博覧会であったようですが、一般的には、
新しい文化の創造や科学、産業技術の発展などを目的に、世界的な規模で開かれる博覧会
~コトバンク~
だそうです。まあ、一言で言えば、科学の展示会、なわけです。岡本さんはそれに対し、
「人類は対して進歩なんてしていない」
とおっしゃっていたそうですが、その辺りに、この万博への反逆精神のようなものを感じますね。これが、『太陽の塔』の重要な要素になっている、と言う感じがします。
では、もう少し、突っ込んで「科学とはなにか」と言う問いを考えてみましょう。私は科学とは、
目的に対して最短で到達しようとする方法のこと
だと考えていますが、言い換えれば、それは、極端に無駄を排除しようとしたもの、とも言えるでしょう。これに対し、『太陽の塔』は余りにも無駄に溢れているとは考えられないでしょうか。
無駄だらけの『太陽の塔』
さて、皆さまは『太陽の塔』を見て、第一印象はどう感じられますでしょうか。はっきり言って、まったく、意味不明ですよね? ウィキペディアにはモデルはカラスと書かれています・・。高さ70m、底部の直径20m、腕の長さ25mという巨大な構造物です。しかし、これはいったい何の役に立つと言うのでしょう。巨額をかけて、建設されたと思われるこの建築物が。もし、人類が滅びて、これが残っていてとして、後からきた知的生物がこれをみてとしたら、「これはいったいなんだ?」と首をかしげることでしょうね。
太陽の塔は、万博の屋根を突きぬける高さだったのですね。これは、合理的な物を世界中から集めた万博と言う舞台に於いて、相当異質な存在であることがわかります。合理的に考えれば、これは正に無駄に馬鹿でかい無用の長物だったのです。しかし、同時にそれは万博と言う枠を突き破り、我々の従来の価値観をぶち壊すものであったことは、間違いのない事実でしょう。それこそが、鬼才、岡本太郎が目指したもの、だったのではないでしょうか。全く無意味な存在が、最大の意味だと考えられます。
「アホ」こそ価値 その精神はある何かに似ている
合理的な物の世界的な祭典である万博に於いて、まったく「アホな物」、「非合理な物」を創造し、世界中の人々の度肝を抜く、これぞ正に芸術家の精神と言う感じがします。そして、これは、私はまったく別な物とされている、ある物に似ているのではないかと考えています。それは何かというと、「笑い」です。それは笑いの精神とつながっているところがあるのではないか、と思われるのです。
「太陽の塔」は、目にサーチライトが入っており、光るようになっていたようですが、夜にその目から光線を放っている姿などは、あまりに間抜けすぎて笑ってしまいます(笑)。馬鹿でかいと言うことが、尚更絶妙なエッセンスとなっています。
人間は非合理的な存在 それこそ芸術?
「極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通じて、理性による社会構造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する」
これは世界最高の作家と言われるロシアの文豪ドストエフスキー作、『地下室の手記』に対する岩波文庫の解説です。
ドストエフスキーによれば、人間とは本来、非合理的な性質、つまりは、無駄な、無意味な存在なのです。岡本太郎が『太陽の塔』で私たちに示してくれたものは、科学、合理性に偏った価値観への反逆、人間の非合理性の肯定だったのかもしれません。そして、それこそが芸術の極致なのだとも言えるのではないでしょうか。人は案外、無意味なものを創ることが苦手なのです。
「もっと無駄な、無意味なことを大切にして生きよう」私は岡本太郎さんからそう、言われたような気がしたのですが、どうでしょうか。