「合理性」「合理的」のあいまいな理由

いきなりですが、「合理的な」とか「合理性」とかって身近にある言葉だと思うのですが、こちらの意味をご存知ですか? はっきりと知っている! と言う方は意外に少ないのではないでしょうか。なぜなら、この言葉は辞書を引いても曖昧にしか、記されていないんです。

ちなみに三省堂の辞書によると、

合理的 (1) 道理にかなっているようす。 (2) むだを除いているようす。

となっています。

どうでしょうか? ⑵は分かりやすいですね。しかし、⑴となると、どうでしょう? 「道理」って何? っとまた別の疑問が出てきてしまいます。調べてみましょう。

道理 ⑴物事の正しい筋道 ⑵理由

だそうです。余計分からなくなりましたね(笑)。「合理性」と言う言葉の意味を分かりにくくしている理由はここにあります。「正しい」という、個人の正義感、道徳観を持ち出してしまっていることが、それを曖昧にしてしまう原因なのです。

「正義感」、「道徳観」は普遍的な物ではなく、個人的な感覚です。ですから、「合理性」も感覚でしか捕らえれられないことになってしまうのです。別にそれでも困りはしないのですが、「合理的とは何か?」をはっきり理解することは出来ません。

今回当ブログでは、この「合理性」の意味を本質的にお伝えするという難題に挑戦してみました。

 

辞書には載っていない「合理性」の本当の意味

この際だから書いてしまいますが、辞書に載っている「合理性」の定義はちょっと違がっていると私は思っています。合理性とは、個人の道徳観や正義感など関係なく、生物としての一つの性質のことではないか、と考えているのです。

それはシンプルに誰でも分かる、生物の普遍的性質です。これからそれをズバリ書き記したいと思います。

合理性とは、目的を最短で成しとげる性質のこと

ではないでしょうか。もう少し広げると、目的に対して最短で最大の効果をあげる性質となります。これですべては表せるのです。合理性とは、道理なんて小難しいことは関係なく、単に速度、時間の話だったのです。道理が通れば、目的がより早く達成できる可能性が高まるよ、というに過ぎないということです。

 

例から見る

では、具体的に合理性の例を挙げて考えてみましょう。

ある男が、川沿いを歩いていたとします。彼は偶然、対岸に非常においしそうな果物を見つけました。男はとてもお腹が空いていて、どうしてもその果物が食べたい。橋は5キロも先です。一番安全な方法は橋を渡って取りに行くことですが、そんなに時間がかかっては、誰かに奪われてしまうかもしれません。

どうしようかと、思案していた彼の近くに、木板が落ちていました。これをボートにしては渡ろう! その作戦は見事に成功し、彼は果物をものの10分程度で手に入れることが出来たのです。めでたし、めでたし。

こんな場面があったとして、これが所謂「合理性」です。木板をボートにするという、合理的な判断によって、彼は果物という目的に最短で到達することが出来たのです。この例からもう一つ言えることは、合理的かどうかは結果で初めてわかると言うことですね。

もし、仮にボートが転覆してしまったら、彼は流されて最悪死ぬかもしれません。もし、結果がそうなってしまったら、橋まで歩いて行った方が合理的だった、と言うことになるわけです。

「なんて、馬鹿なやつだ。欲に駆られて慌てて取りに行くからだ」

彼は、後にこう言われてしまうことでしょう。すべては結果論なのですね。

次にこの例をもっと展開してみます。果物を見つけたのが、人間でなくて、動物だったら、どうなるでしょう。泳げる動物なら渡るでしょうが、そうではない場合、もちろん木板をボートになんて芸当は出来ないですし、先に橋があることも分からないでしょう。結果、動物君は果物を手に入れられない。

つまり、動物は人間に比べて合理性が低いため、目的に到達できない可能性が高い、と考えられるのではないでしょうか。

テレビの動物系バラエティで、よく、動物がしかけられた餌を獲得出来るかと言うような実験内容を目にすることがありましたが、あれは動物の合理性を試していると言えますよね。人間には、いとも簡単なことを動物が出来るかを見て楽しむという悪趣味な物です(笑)。

 

人間は合理性が突出して進化した生き物

人間は、動物に比べて、目的に対して最短で到達する性質が、非常に進化した生き物だと言うことでが言えるでしょう。文明や科学が、その最たるものです。

科学の力で私たちは、目的地に信じられないほどの速度で到達することが出来ます。また、食べきれないほどの食料を蓄え、保存することが出来ます。これはすべて人間の突出した合理性のおかげなのです。こう考えると、合理性とは、とても素晴らしい性質のものだと言うことが出来ます。

しかし残念ながら、それだけの認識では、少々甘いかもしれません。なぜなら物事には必ず、正負両面が存在するからです。「合理性」だって、例外でないのです。

 

合理性の悪しき性質➀

全てがいいことづくしに思える「合理性」ですが、その悪い面をこれから書いてみたいと思います。辞書に載っている合理性の意味合いは、どうもいいイメージだけで表そうとした結果、曖昧さを含んでしまったようにも見えます。いい面しかない事なんて、この世に存在しないんじゃないでしょうか。その意味でも、辞書の定義は違っていると考えていいと思います。

目的に対しての最短最大成就を目論む性質と考えられる「合理性」ですが、果たして人間の目的とは何でしょうか? ごく簡単に捉えると、それは生きること、ですよね。もっと言うと、弱肉強食の世界で、他の人より有利に生きることです。これを達成するために「欲望」がありますね。と言うことで、

合理性とは、欲望に対して最短で最大の効果を上げようとする性質

とも言い換えられるのです。そして、それを突き詰めたものが、科学、文明だと考えられます。どうですか、イメージがだいぶ悪くなりましたね(笑)。しかし、これは単なる言いがかりではなく、人間の本質的な性質上、逃れられない呪縛だと思います。

われわれは遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ

~ 『利己的な遺伝子』 リチャード・ドーキンス ~

かの有名なリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の冒頭にこのような記述があります。生物は常に利己的な欲望を目的に生きる性質のものだと言うことです。

 

合理性の悪しき性質② ~合理性は有限~

それぞれの個体が常に利己的な存在である、という呪縛から逃れられない我々にとって、合理性は常に自分のために存在し、自分の利益のために使われると言うことです。ですから、個体の合理性は、常に奪い合いを演じると言うことになるのです。

得られる獲物や利益には、当然限りがあります。ですから個々の合理性同志がぶつかり合い、争います。ビジネスや戦争は、結局そういうことですよね。ビジネスはとりあえずいいとされているお金の奪い合い、戦争は国同志の富(土地)の奪い合いです。これらはすべて合理性の仕業です。

この奪い合いの行き着く先は、最も早い的確な合理を持つ個体への独占です。合理は同程度で、それほど高次でない場合はよいのですが、一個体が突出してしまうと、均衡が崩れてしまうのです。結果、一個体がすべてを独占してしまったら、活動はそこで停止してしまいます。合理性には限界があるのです。進化しすぎて突出しすぎては、自らをも滅ぼしかねないのです。

少し難しかったら、ゲームで考えてみてください。何らかの持ち点を奪うゲームをしていたとして、あなただけがダントツに強い状況では、アッという間にすべてがあなたの物となり、数分で決着がついたのちに、それは終わりとなるでしょう。

以上のことから、合理性には大きな欠陥があることが分かりました。ですから、当ブログでは、合理性しか持たないロボットやアルゴリズムは、生物としての機能はまったく持っていないし、生物として捉えるならば、完全な出来損ないだと主張しているのです。

では、非常に高い合理性を持った人間は、危険なのかってことになると思うのですが、安心してください! 人間はロボットと違って神様が作ったのですから、決して欠陥品などではありません。合理性の欠点を補う機能をちゃあんと持っているのです。

 

人間に無限の可能性を与える”非合理性”

「極端な自意識過剰から一般社会との関係を絶ち、地下の小世界に閉じこもった小官吏の独白を通じて、理性による社会構造の可能性を否定し、人間の本性は非合理的なものであることを主張する」

~ 『地下室の手記』 ドストエフスキー 新潮文庫の解説より~

そう、合理性の欠点を補う崇高な性質とは、合理性の反対、”非合理性”だったのです。人は、合理性の限界を補完するため、一見無意味な合理性の未達成、つまりは、非合理に価値を見出すと言う崇高な力を持ったのです。そして、これが人の可能性を無限大に広げたと考えられます。

具体的には、合理的な文明に対して「文化」と呼ばれるものだったりします。芸術と呼ばれるものもこれに入るでしょう。そして、実は「笑い」もこれではないかと言うことが分かったのです。

詳しくは各記事をご参照ください。

我々は非合理への価値の獲得によって、「遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボット」からの脱却も可能になった、と言うことが言えるのではないでしょうか。

『合理性と非合理性の仮説』

さて、私はこの度上記の考えを大げさにも『合理性と非合理性の仮説』と名付けることににいたしました。こちらを用いると、「AIとは何か」「科学とはなにか」「人間とロボットの違いは何か」「文明と文化の違いは何か」「ピカソはなぜすごいのか」また「笑いとは何か」まであっさりと分かることが出来てしまいます。

これらは当ブログを読みこむことでも知ることが出来ますが、「知りたいけど記事探すのめんどくさい!」と言う方のために一つの書下ろし作品としてまとめてみました。

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